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2020年7月 2日 (木)

【第635回】 「中学生、高校生のみなさんへ」松田 淳 (地歴・公民)

 今、高校3年生の『倫理』では、「青年期の課題と生き方」を学習しています。この範囲は、57歳の私にもこれまでの生き方の原点を思い出させてくれること、またこれから老年に入っていく人生においても心の若さを呼び起こしてくれることから私自身にとって大好きな単元です。
 教科書(『倫理』東京書籍)の文章がとてもわかりやすく、中学生にも理解できる表現です。教科書を作った方が、青年期に生きる中学生、高校生にエールを送っているかのように感じます。

 教科書P.12の14行目~P.13の5行目

 アイデンティティ(※)の確立に際しては、自分の体験から学ぶことと、他者の経験から学ぶことがある。実際の生活やボランティア活動などの社会参加の中で、あえてこれまで体験しなかった立場や役割、活動を体験してみること(役割実験)は、自分自身を広く深く理解したり、自分の可能性を広げることに役立つ。その一方で、一人の人間が体験できることには限りがあるので、親や親友などの身近な人物の体験や考えから学ぶことも重要である。それに賛成であるか反対であるかにかかわらず、普段の活動をよく知っている人物の考え方や生き方は、自分なりの考え方や生き方を形成する上で参考になり、生きたモデルや比較の対象となる。
 ※アイデンティティ…(中学生のみなさんにわかりやすく)「主体性」、「自分らしさ」

 教科書P.15の9行目~13行目

 自分を理解するためには、自分自身を対象化することが必要である。そのためには、自分で自分をふり返るだけでなく、自分のことを進んで他人に話してみて意見やコメントを求め、他人の指摘や忠告に素直に耳をかたむけることも有効である。また、自分が他人にどう見られ、どう扱われているかによって、友人を自分を映す鏡とすることもできる。

 このように、これからの生き方のヒントになる文章がいたるところにちりばめられています。
 ストーリーの対象は、青年期を生きる中学生・高校生ですが、卒業後の生き方、社会人になって新しい環境で友をつくるヒント、老年になっても謙虚に生きるための道しるべなど、いろいろな世代への応用として大切なことを伝え想起させてくれています。
 そうなんです。人間一人ができること、知っていることには限界があります。そうそう完璧な人間がいるわけではありません。「自分はまだまだ。」「いろいろな人に支えてもらっている。」と思えたら、自然と「ありがとうございます。」という言葉が出てきます。若い高校生と接していて、時々心の中で自分の頭をコツンと叩く気持ちがあります。「人間、偉そうにしちゃイカンな…」と。
 生徒が寝そうになっていれば自分の授業が下手なわけで。生徒に時間を守らせるためには、まず自分が時間を守るべきで。生徒に服装をしっかりしなさいと言うなら、まず自分の服装がしっかりしていなければ。生徒のみなさんを自分の鏡だと意識する。まだまだ自分自身を伸ばすために謙虚であり続けること。生徒にとって鏡にならなければ。それを気づかせてくれる担当科目です。
 中学生、高校生のみなさん。反抗期はあって当然。人として健全に成長するための通過点です。みなさん一人ひとり、その階段を上って次なるステップに入ってください。親や先生を自分の味方、アドバイザーとする。耳をかたむけ、まずは聞く。それに賛成であるか反対であるかにかかわらず、いろいろな考え方を学ぶ。私自身これからもいろいろな方々から吸収したいと思います。もちろん若い方々からも。その努力する姿勢、人が見ていなくても真面目に取り組んでいるその姿勢。大人が途中であきらめてしまうことも夢を信じて頑張り続けるその姿勢、ひとつひとつが忘れかけていることです。中学生、高校生のみなさん。自分を支えるのは自分です。自分を信じて!

2020年4月 9日 (木)

【第623回】 「遊学の桜」松田 淳 (地歴・公民)

202004091_2教頭の松田淳です。
新型コロナウイルス感染症対策のために、
本校は4月10日(金)~5月2日(土)まで
休校措置を取ります。
学校の中は臨機応変に対応しつつも、
日々てんやわんやです。
今回はお忙しい先生方のピンチヒッターとしての登場です。(笑)

4月8日(水)午後1:30、これから入学式が始まります。
2日前に急きょ、保護者の方のご参列をお控えいただく旨のご案内を
ホームページから差し上げました。
保護者の皆様には大変申し訳ありません。
本校は県内全域、県外は全国各地から新入生が入学してくれています。
そして毎年、県内外から多くの保護者の方に式典にお集まりいただいています。
結果、学校として感染リスクを減らすために、「密集」の数を
少しでも減らすことからのお願いとなりました。
何卒ご理解お願いいたします。

私たちが右往左往する中で今年もまた「遊学の桜」は綺麗に咲き誇っています。
遊学館高校の敷地内のいたるところに桜の木があります。
自然は永遠に、その生命を静かにひたすら静かに繰り返しているのですね。
毎日の通勤途上の兼六園の様子も、春夏秋冬、
日々鮮やかな風景を観ることができます。
私は、やはり春の兼六園、桜の兼六園が好きです。

今年は新型コロナウイルス感染のため、児童・生徒の学校生活に
大きな影響が出ています。
延期、中止、とりやめなど、今まで節目節目に味わえた学校行事や
学校生活の思い出がコロナウイルス一色になってしまう哀しさがあります。
しかし、私自身、教師になって35年…
今まで生徒たちを見続けて思うことがあります。
生徒たちは私たち大人が思う以上に強さと、しなやかさを持っています。
自らベクトルを次に(前に)切り替えできる対応力を持っています。
たくましいです。
私はその若者の力を信じています。
信じるからこそ、この教師という仕事が大好きなのです。

今、「遊学の桜」の中のひとつ、体育館前の桜が登校してくる新入生たちに、
“たとえ何が起っても、その瞬間できることにベストを尽くしなさいよ…”と、
優しく励ましてくれるかのように桜吹雪で包み込みながら迎えてくれています。
その真新しい制服の肩や黒髪には桜の花びらが贈られています。
生徒諸君、保護者の皆様、ともに頑張りましょう。
この状況の中でも楽しさや充実感、
そして、やりがいはところどころにちりばめられています。
心の持ち様で見方や考え方、歩み方も変わります。
日々、「何事も前向きに!何事も感謝の気持ちを持って!」…ですね。ファイト!

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2019年6月13日 (木)

【第583回】 「人間は万物の尺度である」松田 淳 (地歴・公民)

 2019年6月11日(火)本日の3年生『倫理』の授業で取り上げた言葉が、古代ギリシャの代表的ソフィスト、プロタゴラスが語った「人間は万物の尺度である」という言葉です。
 プロタゴラスは、真理の基準は一人ひとりの感じ方・とらえ方によって変化するもの、それまでの絶対的な「真理」と考えられてきたものは人間のとり決めに過ぎない、一人ひとりの判断が物事の真偽を決めるのだとしたのです。
 ひと通りの説明を終えて、この「人間は万物の尺度である」という言葉に賛成か(受け入れられるか)、反対か(抵抗感を感じるか)とクラスの生徒たちに聞いてみました。

【賛成派】・一人ひとりの考えが尊重されるようなイメージを持つ。やる気がわく。
     ・自分のことは自分で判断すべきだと言われているよう。
     ・様々な意見や価値を認めるべきだと思う。
     ・今やっていることを見直すきっかけになるような言葉。
     ・人間には“考える”という能力が与えられている。存分に発揮すべき。
     ・ひとつの考え方、一人の考え方に縛られる必要は無い。多様であるべき。

【反対派】・“万物”という言葉がひっかかる。そんなに人間って偉いか。
     ・人間って傲慢(ごうまん)だ。人間だけがこの星に生きているのではない。
     ・一人ひとりの判断がすべて正しいとは限らない。
     ・この世の中が収拾つかず、まとまらないような気がする。
     ・人間の許容量には限界がある。本当にすべてを判断できるのか。
     ・いじめや体罰が人それぞれの考え方によって認められることにならないか?

 高校生の感性はとても良いですね。ハッと気づかされます。私が高校生の時にこのような考え方や発言ができたかなぁと振り返ります。
 高校時代は正義感が強く、大人の正しい行為には共感し、ズルい行為には見抜く力を持つ。かといって、自分自身の弱さや能力の限界がわかるがゆえに困難から避けたい、楽をしたいとも思う。ゆえに、その尺度は一人ひとり様々であり、日々、揺れ動いている!?
 実は、実験をしてみました。あるクラスには解説として賛成派の意見を先に紹介しました。すると、賛成論・反対論では賛成論が多数になる。別のクラスには、反対論から先に解説する。結果、議論の場では反対論が多くなる。(もちろん誘導していませんよ。)
 それだけ高校生は純粋というか、まっすぐに物事を吸収する。(吸収してしまう。)
 さて、今日の授業を受けた皆さん!
 世の中はある意味、「人間は万物の尺度」でなければならない。でも反面、「人間は万物の尺度」でないこともたくさんある。それを見極めるためには、バランスよくいろいろな教科の考え方を学ぶべきです。そして、いろいろな人に出会って、いろいろな考え方に触れることが大切です。
 3年生のみなさん!卒業して進学する人、働く現場に入る人といろいろな進路に進むでしょう。社会に出て、しばらくしたらもう一度、「人間は万物の尺度か?」と聞いてみたい。大人になった皆さんは、どのように答えるでしょうか?
 まずは、高校生としての今の感性を大切にして、高校時代に何を考えていたか記憶に留めておいてくださいね。一つひとつが成長へのステップなのです。

2017年12月14日 (木)

【第508回】 「遊学館高校バトン部、全国大会から戻ってきました!」松田 淳 (地歴・公民)

 高校バトン界の2大全国大会のひとつ、冬の全国大会「第45回バトントワーリング全国大会」が12月9日(土)~10日(日)千葉幕張メッセにて開催されました。昨日までの熱戦も束の間、今朝から再びまた1年後の全国大会をめざして、いつもと同じように早朝練習を続けている部員たちです。

 巨大なドームである幕張メッセイベントホール客席のいろいろな場所から「ゆうがくか~ん!」「頑張れー!」の大声援が響き渡る瞬間には心が熱く涙が出そうになります。
 夢や希望は必ずかなうものでもない、試合も情熱と冷静さの両輪がかみ合わないと結果は出せないという現実があります。しかし、高校生には短期間で結束し、短期間で実力を伸ばすことがある“伸びしろ”があるのももうひとつの現実です。そこに普段の練習、全国大会に出場し続けている伝統がノウハウというエネルギーとして加わってくる…。夏の全国大会である「2017ジャパンカップ高校選抜大会」では2位に終わり、本来武器としたい“遊学館らしさ”を発揮できず、自分たちの力量に不安を感じて終わった大会のようでした。いつも冷めた目で観戦する私にも本来伝わってくるはずの“熱波”を感じることができず、冬の全国大会までの3ケ月にとても不安を感じた大会となりました。
 この冬の大会では、前述した“伸びしろ”が発揮されたようです。演技はまさに今ある実力を正面切って発揮した“遊学館らしい”演技でした。「こうでなければ!」と、一人の観客化した私は会場の盛り上がりととともに熱く楽しむことができました。絆そのものを体現する集団美・統一美、バトントワリングの持つショーとしてのパフォーマンス…気迫と思いを熱波のように、前へ前へと観客に全エネルギーを発出する。歴代の部員たちのめざした“遊学館らしい”演技とは、会場の観客の皆様に満足と感動を体感していただくこと。結果はあとでついてくるもの。アクター(演技者)としての責任を果たすことが最大の満足感と考えています。
 それにしても高校生の持つ“伸びしろ”には感心します。目の前の壁を乗り越えようと心をひとつにして立ち向かうときのエネルギーはたいしたものだと思います。私は高校時代、硬式野球部に所属していましたが、女子チームの結束力には男子チームにはない特性があります。特に、本校バトントワリング部は年間40回にもおよぶ校外の出演の中でご覧いただく多くの皆様から多くの拍手とご声援をいただく機会があります。演技力・表現力そして笑顔と度胸はそれらを通じて磨かれていくのでしょう。すでに“伸びしろ”そのものが発揮できるように潜在的に養われているのかもしれません。
 これからも私たちは立ち止まることなく走り続けます。「観て感動したよね!」「凄かったよね!」をチームの勲章として、そして喜びとしたいと思います。
 バトントワリングの楽しさをお伝えするために…。

2016年8月 4日 (木)

【第437回】 社会福祉施設への訪問に際して、バトン部員に必ず話すこと松田 淳 (地歴・公民)

 この夏から秋にかけて、本校のバトントワリング部には各方面から多くの出演の依頼をいただきます。夏まつり、創立記念、PTA主催行事、スポーツ大会の開会式、文化祭、学会のオープニングセレモニーなど様々な行事にお伺いして演技を披露します。その多くのシーンの中で、社会福祉施設への訪問も部員たちにとって意義ある場面と考えます。ご高齢の方々、身体的・知的障がいを持たれた方々との出会いは、普段、健康で何不自由なく部活に打ち込める自分たちの生活の中で、ふと忘れていること・気づかされることが多くあり、大切な学びの場、気づきの場となっています。
 バトン部は1年間に30回を超える出演をこなします。3年間で100回以上の出演となります。上級学年になっていくと、度胸もすわってきて、演技にも余裕が出てきます。1年生はまだまだ演技すること自体に心がいっぱいで余裕がありません。社会福祉施設の出演では知的障がいを持たれたお子さんや大人の方が曲に乗って、リズムを取り、時には演技の中に入ってこられることがあります。1年生部員はびっくりして身を引いてしまいます。3年生ぐらいになると、演技を止めて笑顔で接し、手を引いて客席まで誘導したりします。
 さて、タイトルになっている「社会福祉施設への訪問に際して、バトン部員に必ず話すこと」とは、“認知症のおじいちゃん、黙ってうつむいているおばあちゃん、車椅子の男の子、知的障がいを持たれた女の子を、自分のおじいちゃん、自分のおばあちゃん、自分の兄弟、姉妹と想像しよう。みなさんを自分の家族だと想像しよう”と。これは代々の部員に言い続けていることです。心にバリア(偏見)を持ったままで、本当の笑顔の演技はできない。まず、心のバリアフリーがあってこそ、みなさんの心の中に入っていくことができる。共にその時間を楽しむことができる。おじいちゃんが手をたたき始める。おばあちゃんが笑顔になり始める。男の子が車椅子のまま前へ前へと出ようとする。女の子が嬉しそうに演技の中に入ってきて一緒に踊ろうとする…この瞬間、部員たちは自分たちの演技を通して“心”を伝えることができたのではないかと思い始める。自分たちに何ができるのか…ずっと一緒に過ごすことはできない。しかし、このひととき、少しでも楽しい時間を過ごしていただければ…という思いが深まり、より一層演技に力がこもります。施設に到着したときの緊張した表情は、施設からの帰路にはとても優しい笑顔に変わっています。
 このストーリーを早くこのブログでお伝えしたかったのです。先月7月26日、相模原市の知的障がい者施設で起こった事件はあまりにもショッキングであり、怒りをおぼえました。私自身、夕方のニュースを家族と見ながら、わが家の子どもたちにこの事件の異常なところ、また、犠牲となった方々の無念、ご家族の方々の悲しみを想像しながら、心から真剣にこの事件の理不尽さを伝えました。そのときに、遊学館高校バトン部のお姉さんたちはどのような気持ちでいろいろな施設に行っているか…という先の話もしました。
 私は現在、3年生の「現代社会」を教えています。障がいを持って生きることが不幸とは思わないような社会をつくりあげていく大切さ、高齢者も障がいを持った人も共に社会の中で同じように生活を送ることができる、そのような社会を実現することの大切さを生徒と共に、その学びの場を共有しています。
 そのような中で、あの狂気のような事件は絶対に許せない。決してスマートフォンが悪いのでなく、時として話題になっているゲームアプリのキャラクターが悪いのでない。ただ、今の世の中は確実に、人を思いやる、人の痛みを想像することに無頓着(むとんちゃく)になっており、便利なことや流行させることだけを追いかけているような気がしてなりません。人間は画面の中にいるのでなく、温かさとふれあいがあってこその存在なのです。何か“人”が置いてきぼりになっている気がしてなりません。
 社会福祉施設への訪問に際して、バトン部員に必ず話すこと…これからも言い続けていきます。バトン部の活動を通して、人としての優しさ・思いやりを純粋に素直に表現できる女性になってほしい、“障がい”を“障害”と思わない家族をつくってほしいという思いを込めて。

 追伸 相模原市の事件で犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

2015年3月26日 (木)

【第371回】 新入生のみなさんへ…ぜひ伝えたい!松田 淳 (地歴・公民)

 3月20日(金)午後5時。入学説明会後の制服採寸も終わり、先ほどの熱気とにぎわいから、いつものように部活の生徒の元気な声や楽器の音が校舎に響いています。
 新年度は447名の新入生のみなさんを迎えることになりました。今年も定員を超える多くのみなさんとの出会いに、胸踊る期待感と感謝の気持ちでいっぱいです。
 3月28日(土)は制服渡しと教科書注文の日となります。13:00~15:00の間に保護者の方と登校し、各自で済ませてください。学校ポスターの写真撮影もあります。頭髪も整えて、いい表情で撮影にのぞんでください。
 高校生活の舞台に、遊学館高校を選んでくれたみなさんに、私の好きな言葉を贈ります。

 『自分に起こることすべては、必然で、必要で、ベストなことだ。
          自らが燃えてこそ、風向きが変わり、光が見えてくる。』

 私の職員室の机上のノートパソコンには、この言葉を印刷した小さなメモが貼られています。
 みなさんにはこれまでの中学校生活で得たたくさんの良かった思い出や頑張った満足感と同時に、後悔や自己嫌悪におちいるような失敗が数多くあるでしょう。しかし、時間は待ってくれません。確実に1時間は過ぎていき、確実に1日は終わっていきます。大好きな中学校までの友人とはお別れになります。支えてくれた先生は目の前からいなくなります。
 そして、新しい生活がこの春から始まるのです。「あのときこうすればよかった…」という気持ちは今後の反省として活かしたとしても、ずっと引きずってはいけません。人間はそれほど弱いものではありません。“心機一転”という言葉がありますが、ここは気持ちを切り替えましょう。その後悔と反省に気づかせてくれるための今までの体験だったのかもしれません。すべての体験は今の自分の成長へとつながっていると考えてみてはどうでしょうか。
 つらく、苦しい体験があったからこそ、今のあなたは強く、優しく、他者の心の痛みも理解できる人になっています。(よくそれらを乗り越えて、今まで頑張ってきましたね。)
 できないもどかしさを体験したからこそ、わからない、できない人の気持ちがよく理解できるのだと思います。その失敗や後悔があるからこそ、今後に向けての反省すべき材料が見えるのです。つらく苦しいときに、未熟だった自分はそれでも自分なりにベストを尽くそうと、もがいていたはず。みなさん、気持ちを後ろ向きにしてはいけません。これから迎える新しい生活をどのような気持ちで過ごそうとするのか、そちらの方に気持ちを切り替えましょう。人間は強い生き物なのです。ちゃんと前に向かって生きようとする生き物なのです。春からの新生活に向けて、心を燃やしましょう。前向きに、前向きに!
 今の自分に何ができるか、自分はこれからどのように生きていくのか、自分の良いところはどのようなところなのか…。もっと自分の長所に気づいてください。そして、これまでの多くの体験を通じて、自分が直すべきところに率直に向きあって、何事も前向きに物事に取り組んでください。すると、見ている風景が変わってきます。他人からのひと言の受け取り方が変わってきます。  気持ちを前向きに切り替えた人は強いです。良い意味での開き直りと笑顔、明るさ、そしてこれから始まる生活をゼロからの出発と考えて、いち早く歩みだす気持ち。気持ちが変われば今後起こるすべてのことがとても楽しみで新鮮なものです。仮に不安なことが頭をよぎっても、もう一度ゼロからのチャレンジなのです。高校生活はまだまだ人生の中での15歳から18歳の3年間です。この3年間を前向きに楽しんだほうが見えてくるもの、出会える人の数が格段と変わってきます。この3年間前向きにもう一度ゼロから努力し直した方が、今後失敗があっても立ち直り方が変わってきます。
 この春スタートのときの心の持ち様が大切なのです。心は強く、優しく、前向きに…。
 4月7日(火)は身体測定・健康診断、4月8日(水)は入学式です。
 さぁ、気持ちを新たに、気持ちを前向きに、スタートを迎えましょう!

2014年7月15日 (火)

Vol.20 あっ、蝉(セミ)の声だ!松田 淳 (地歴・公民)

私の自慢は、遊学館の職員室の中で最も早く“蝉の鳴き初め”に気づく人間だと。(笑) 
先週の金曜日。遊学館の中庭を囲む廊下を歩いていたときのこと。
ふと、ある鳴き声に気づき、足を止めました。
「あっ、蝉(セミ)の声だ!」
遊学館の中庭の真ん中に大きな榎(えのき)があります。
そこからの蝉の声です。そして、空には夏の青空と白い雲。
「いよいよ、夏だなぁ…」
しばらく、蝉の声を聞きながらたたずんでいました。
そして、今年もあの遠い昔の思い出がよみがえってきたのです。

故郷、小松の梯(かけはし)川の土手を、父親の自転車の後ろに乗せられて走っているあの夏の昼下がりの思い出。
やはり、あの日も、同じ夏の青空と白い雲…。
私の父は肺癌(がん)で亡くなりました。
ものごころがついた時から、父の匂い(におい)といえば、煙草の匂い。
その煙草臭い父の体にしがみつくようにして、自転車のうしろに乗っていたあの日…。
小学校1年生の私は、いつも煙草を吸っている父が嫌いでしたが、あの日はなぜか、その匂いが父に抱かれているような気がして、心地よかったのを憶えています。
ブーンと、小松の飛行場から飛び立った飛行機が白い飛行機雲を描きながら、はるか上空で旋回していく…。
父の背中がとても温かく、なぜか涙が出そうになり、力を込めてしがみつきました。
めったに家族と旅行なんて行くこともないし、父と親子らしく語り合った記憶もない。
その父との唯一最高の思い出がその瞬間だったのです。
今でも、あの青空と白い雲、そして、飛行機雲は忘れません。
土手のまわりは、一面見渡すばかりの田んぼだらけです。木々はありません。
でも、蝉の声が聞こえていました。記憶のなかでも、その蝉の声が残っています。

父が亡くなる前。
癌を患っているゆえ、その姿のあまりの変わりように見舞いにも行きませんでした。
あの温かい背中が日に日に痩せ衰えて、別人となっていく姿を見たくなかったのです。
病院から連絡が来て、息を引き取るときには父の傍ら(かたわら)にいましたが、なぜか涙もでず、客観的に冷静に父を見つめていました。

今、妻と4人の子どもたちと小松の実家の母親に会いに行くとき、小松インターチェンジを下りると父の墓に立ち寄ります。必ず。どんなに急いでいても。
子どもたちは「小松のおじぃちゃん、会いに来たよ。」
「また、来るね。」と口々に語りかけています。
亡くなる前、お見舞いに行かなかった償いと後悔をずっと今でも背負い続けています。

長々と個人的なことを書いてすみません。
夏がやってくると必ず思い出すのです。
青空と白い雲、まっすぐな飛行機雲、蝉の声とともに、温かい父親の背中を…。
自分が4人の子どもたちの父親になった今、あの子たちに何を残しているんだろう。

遊学館の榎(えのき)は優しく私を見下ろしてくれています。
そして、蝉の声とともに、あの父の背中の温かさに包まれているような気がしました。

2013年11月 7日 (木)

【第305回】 時代の輝き・人の輝き松田 淳 (地歴・公民)

平成27年春に開業する北陸新幹線の名称が「かがやき」と決まった。

そのニュースを聞いて、「かがやき」という響きに、現代の4人の若者を重ね合わせた。

史上最速新入幕・不撓不屈、穴水出身の遠藤関。

シーズン無敗を誇る世代最強エースの田中将大投手。

自らの名が新技につけられた金メダリスト・スーパー高校生の白井健三君。

バドミントン国際大会で史上最年少・日本人初の優勝を果たした福井勝山高校の山口茜さん。

4人に共通することは、積み重ねた基本から生まれる圧倒的な強さ、しなやかさ、柔らかさ、
そして、眼の輝き。

いつの時代も輝き放つ存在は、人々の心を湧き立たせ、前向きにさせてくれる。

北陸新幹線も4人の若者も、子どもたちの憧れとして活躍し、彗星のごとく時代を疾走する
光として、人々に夢と希望を運んでほしい。

この国には次々と「かがやき」が生まれている。

そして、人々の心を励ましてくれる。

この国に生まれて来てよかったと想う。

2013年8月 2日 (金)

Vol.19 大丈夫。私たちが日々やっていることは間違いない。自信を持とう!松田 淳 (地歴・公民)

 久々にこの“教員一覧”の自分のコーナーを見て、ずっと投稿していなく恥ずかしい限りです。一時は「定期的に更新する!」と決めていた初心はどこに行ってしまったか…。大いに反省です。これでは生徒に偉そうなことは言えませんね。(笑)

今週火曜日、本校は全校登校日でした。多くの先生方が遠征や出張でいなかったので、朝の校門での遅刻指導にピンチヒッターとして出ていました。今、本校の正面の道路は側溝の工事をしており、多くの工事関係の方や安全誘導の方がお仕事をされています。
 3名ほどの方とご挨拶方々、お話をさせていただきました。昨日の小松の梯川の増水の話、道幅が広くなり助かることなど、蒸し暑い朝でも、大変爽やかな笑顔での会話でした。
そのなかで心から嬉しかったこと。「ここの生徒さんは本当に挨拶してくれますね。“こんにちは”とか“ありがとうございます”とか。いい学校ですね。」と いただいたひと言です。そのあとに体育館で行なわれた全校集会で、生徒全員に向かって、「大丈夫。私たちが日々やっていることは間違いない。自信を持と う!」と呼びかけました。
 もちろん、まだまだ未熟な面も多々あるので、生徒に対しては“日々声かけ・日々鍛錬”と心に言い聞かせています。その遊学館の基本的な生活姿勢が褒められたことは正直、心から嬉しいです。
 教師になって28年目、現在50歳。若い世代の先生、そして、大人のみなさんに心から伝えたい。生徒たちを肯定的に、かつ希望を持って接すれば生徒たちはそのように伸びていきます。“鏡の法則”です。自分の心の有り様はそのまま生徒に伝わるものです。  ですから、私自身、生徒より先に挨拶します。生徒より大きな声で挨拶します。それを自分の教師を続けていくうえでの信念としています。

 今日は、久しぶりに金沢には夏の青空が戻ってきました。また、蝉のにぎやかな声が聞こえてきます。 Japan Cupマーチングバンド・バトントワリング全国選抜大会まで、あと28日…。

職員室の机上のPCより

2012年10月 1日 (月)

Vol.18 アシュリーへ、返信が遅れてごめんね。松田 淳 (地歴・公民)

 ※次の文章に登場してくる“アシュリー”とは、3年前にカナダから遊学館高校に
  短期留学をしていた女子学生です。遊学館高校の友人、先生、そして遊学館高校
  を大好きになってくれた留学生です。東日本大震災では、カナダの地元の大学で
  独自に募金活動をしてくれるなど、今でも遊学館高校にメールを送ってくれる心
  優しき女性です。カナダから日本に「遊学」した、まさに『遊学人』なのです。
  次の文章は、最近、アシュリーから送られてきた涙があふれそうな優しく・熱い
  メールに対しての私の返信です。アシュリー! 読んでくれていますか?

アシュリーへ

久しぶりですね。
なつかしいです。
ずっと、ずっと昔のような気がします。
アシュリーにとって、遊学館はいろいろなことを与えて上げられたでしょうか…。
毎年、留学生が来て、そして、お別れを迎えるとき、いつもそう思います。

でも、アシュリーは特別だった。
みんな、アシュリーが大好き。
何よりもアシュリー自身が、みんなの心の中に飛び込んできてくれた。
だから、みんなアシュリーに応えたい、何かをしてあげたいと思った。
アシュリーはみんなに溶け込もうと、人として一番大切な笑顔と、
積極的なコミュニケーションを毎日のように私たちに与えてくれた。
だから、アシュリーが静かだと、ふさぎこんでると、笑顔が無いと
とても心配だった。
私には今、小学校2年生の娘がいます。7歳です。
アシュリーのような女性になってほしいと思います。
何事にも一生懸命、小さなことに頑張る、全力で人生を生きる。

アシュリーの幸せを心から、心から祈ります。
最近、知った言葉があります。
職員室の私の机上のノートPCに、シールにして貼り付けてあります。
『自分に起こることすべては、必然で、必要で、ベストなことだ』
いい言葉だと思いませんか?
つらいことがあっても、苦しいことがあっても、それは必然で起こったこと。
それは自分が乗り越えるべき必要なこと。
そして、自分にとって障害ではなく、課題であり、チャレンジすべきことなのです。
最近、この言葉をつぶやきながら、授業に行きます。
アシュリー。毎日を前向きに! ポジティブに!

話は変わって、この前、授業中、“映画”をテーマに生徒たちと話していました。
“今まででいいなと思った映画は?”と質問されました。
私の好きな映画のひとつに『Life Is Beautiful』(1997、イタリア)があります。
第71回米国アカデミー賞で主演男優賞、作曲賞、外国語映画賞を受賞した作品です。
この映画に登場してくるグイドのような父親になりたいと思っています。
実は、先ほど紹介した最近出会った言葉、
『自分に起こることすべては、必然で、必要で、ベストなことだ』と同様に、
自分自身を励ます言葉がこの映画のタイトル『Life Is Beautiful』なのです。
仕事で疲れたとき、人生に悩んだとき、自分を見失いそうなとき、
これまでこの言葉が支えてくれました。
苦しいときこそ、つらいときこそ、笑顔で『Life Is Beautiful』…とつぶやくと、目
の前の障害が、自分が大きくなるための課題のように思えてきます。
次の新たな自分に出会えそうで、新しい明日が来るようで、ワクワクしてきます。

アシュリーに話しかけていると、目の前にいるようで、止まらなくなります。
アシュリーの勉強と宿題の邪魔になってしまいます。(笑)
もう終わりますね。
アシュリーの毎日が、
アシュリーの人生が、
アシュリーが生きているそのことが、ずっと『Beautiful』でありますように…
祈っています。

今日の金沢は沖縄から九州へと台風が通過しているため、夜遅くから雨のようです。
日本はようやく、暑い夏から、涼しくさわやかな秋へと季節は移っています。
私の家の庭では、秋の虫たちがすばらしいシンフォニーを奏でてくれています。