2026年2月 5日 (木)

【第925回】「3年後の私」H. Y. (英語)

 私は時々、「3年先の自分はどうなっていのだろうか」と想像します。勿論、日々に流されていることが圧倒的に多いのですが、時々、履歴書を更新しながら自分のスキルの棚卸をし、もう役立たなくなったものと新しく追加されるものを選別し、これから先、自分に何が必要かを考えます。

 私は大学で数学を専攻し、教員免許は取ったものの、IT企業でエンジニアとして働き始めました。しかし長年勤めていた会社でリストラが始まり、周囲が次々と会社を去っていきました。また当時担当していたお客様の業界の縮小・再編成が続く状況下でそのお客様との次の契約更改に苦戦していました。なんとか直近の契約は取れたものの、3年間という短期の契約となってしまいました。そのとき3年後もし契約更改できなかったらこのチームは一体どうなるのだろうかと不安を覚えました。もし顧客を失い、仕事にアサインされずにベンチで待機する状態が一定期間続くと、リストラの対象となります。将来に不安を感じた私は、短期計画として同業他社への転職を、長期計画として英語教員としての転職を考え、行動に移しました。
 まずは他の外資系企業への転職のため、履歴書に書ける英語力としてTOEICの点数をアップさせ、長期的な目標のために英語教員免許を取得すべく通信教育大学の講座を受講して(他教科免許保持での追加取得なので)1年で取得しました。幸い好条件で転職でき、それまで培ったITスキルと英語力を駆使して忙しくも充実した毎日を過ごせました。まずは短期目標達成です。そんな時、転職前に担当していたお客様が吸収合併されたこと、そして時を置かず、所属していた会社でも組織の再編や切り離しが行われたことをニュースで知りました。3年後どころの話ではありませんでした。そのまま残っていたら大波に飲み込まれてどうなっていたのだろうかと、冷や汗が出ました。勿論、転職先も安定した職場では決してありませんが少なくとも自分が進んで選んだ道なのでチャレンジのし甲斐があります。
 次に転機が訪れたのは母が病に倒れたときでした。月に数回、当時住んでいた横浜から金沢まで新幹線で往復するうちに里心がついたのかもしれません。また、仕事も日に日に厳しさを増し、毎晩続く終電での帰宅に体力・気力ともに限界を感じていました。そんなとき、遊学館高校が英語の非常勤講師を募集していることを知り、即応募しました。数年前に追加取得しておいた英語免許がここで役立ったわけですが、実現したのは英語教師として実績のない私を受け入れてくださった遊学館高校のおかげです。
 今は少し前から「次の3年後」を見据えて色々と試行錯誤を重ねています。歳を重ね、遠からぬ日に遊学館高校を去らなければいけない日が来ます。また、少子化の影響もあり時間数の調整にも対応が必要です。生きていくには健康第一はもちろんですが、年齢に関係なく、先を見据えた新たなスキルの習得やスキルアップ、そして実体験の積み重ねが欠かせません。

2026年1月29日 (木)

【第924回】「馬制作」H. H. (芸術)

 児童文化IIの授業も残り2か月。3年生最後の作品として「馬」を制作することにした。新聞紙を折り曲げて硬い心棒を作り、それを組み合わせて馬の骨組みを作る。次に新聞紙を丸めて肉付けをする。馬らしい立体感と丸みが出てきたら土台が完成。あとは短冊状に切った半紙を、小麦粉と塩をお湯で煮詰めて作った澱粉のりで貼りつけていく。張子の完成だ。21体の白い馬が並んだ光景は爽快感がある。ここまでで2学期終了。

 2026年が幕を開け、60年に1度の丙午の年に、いよいよ白馬に着彩とデコレーションを施す。どんな馬が完成がするか楽しみだ。装飾デザインするにあたって、それぞれにテーマを決めてもらった。馬のタイトルだ。例えば「桜」「クリスマス」など、子供達に馴染みのあるものでと提案したものの、やはり高校生の等身大のテーマがリアルに現れて、それはそれで納得で楽しそうなモノが出てきそうで面白い。楽しいだけでは無く、中には少し意味深なモノも見え隠れしていて、生徒たちの心の奥底にあるいろんなモヤモヤが想像できたりもする。

 3年生の幼教美術の授業も残り2週間、約10か月を通して、将来リアルに現場で役立つ作品を作ってきたつもりだ。卒業制作となる「馬」達が、21体元気に駆け抜けて欲しいと願うばかりだ。

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2026年1月22日 (木)

【第923回】「心のコップ」N. A. (保健体育)

 みなさんは、大人の話を聴くのは好きですか?
私は話を聴くと自分も色んな経験をしている感覚になります。
学生の時は「また同じ話かよ」「自分の人生に関係ない」
そんな風に思っていた記憶があります。
自分自身の器が小さかったなと感じています。
 そんな学生時代に「心のコップに水を入れなさい。」と先生に言われました。

人の心には、それぞれ「心のコップ」があると言われる。
そのコップは大きさも、形も、透明度も、人によって違う。
誰かの話を聴くとき、私たちはその言葉を
心のコップで受け止める。
水は一滴ずつ、ゆっくりと注がれていく。
その水は、ただの情報ではなく
話した人の思い、迷い、喜び、後悔が溶け込んだものだ。
耳を傾けず心を閉じていれば、水はこぼれてしまう。
けれど、急がず、評価せずただ受け止めようとすると
水は静かにコップの底に溜まっていく。
すぐには役に立たないかもしれない。
どんな味の水なのかも、その時は分からない。
それでも、確実に心のコップに蓄えられていく。
やがて、自分が悩んだとき、誰かに言葉をかけるとき、
そのコップの水が自然とあふれ出す。
それは「聞いた話」ではなく、「自分の経験」として流れ出る。
よく聴く人の心のコップは深い。
人の話を受け止めることは、自分の人生を豊かにすることなのだ。


補足:「聴く」というのは耳+目と心で聴くということ。
    YouTubeを見ている時のように話を聞いてませんか?
    目を見て心に水を溜めていきましょう。

2026年1月15日 (木)

【第922回】「自分観察してみませんか。」西村 美恵子 (英語)

 新学期が始まって最初の授業で、私は名乗った後すぐにテキストの話とどんなふうに授業をすすめるか、成績はこんな風にして付ける等々説明して授業に入ります。すると生徒の誰かが決まって“自己紹介は?”と尋ねてきます。それで“名前は名簿に書いてあるし、後はそのうちわかって来るから今はいいです。”と私。最初の自己紹介にあまり期待していません。みんな何を語ってくれるのだろうか?クラスでの自己紹介で。
 それでは私は一体何が聞きたいのかといえば、――あなたはどんな人ですか?(あなたの長所・短所など)、それとあなたの好きなことは何ですか?(趣味とまでは言えなくても、それをしているとワクワク、ドキドキできるもの)、そして将来どんなふうに生きていきたいですか?などです。私が気になるところはそのようなことなのです。別にこれらに全部答えてほしいのではなく、その人について考えるヒントになるような事でいいのです。これらは担当クラスの生徒だからではなく、初めて会う誰に対しても持つ関心であると思います。露骨にそのようなことを初めて会う人に尋ねはしませんが、尋ねられて即答できる学生・生徒は少ないでしょう。(そのようなことを尋ねられる機会がなかったでしょうから。)でもこれからはそうではありません。高校を卒業して進学するにしろ、就職するにしろ、面接や小論文試験ではこのような質問にたくさん出会うはずです。一応何を尋ねられても困らないように準備が必要です。その第一歩が、自分観察です。
 これまでの自分を省みたり、今の自分を見つめてください。自分のことは自分が一番よく分かっているはずですが、それを言語化するためには外から自分を見る目が必要ですし、独りよがりにならないように、周囲から自分がどのように見られているかを考えることも大切です。そのためにも周囲のひとたちとの対話も欠かせません。そのように自分自身を十分観察して自身の全体像を自分の言葉で表現できるようにしましょう。これは単に何かの試験対策ではなく、生きていくうえでどんなときでも必要になってくることです。よく言われる、自分を見失った時、自分探しをする時、人間社会における生き辛さに負けそうな時、等々。時々立ち止まって、自分観察をして、いろいろと考えてみてください。例えば悩みや辛いことがあったら、何が自分を苦しめているのか知ることが大事です。その本質を見極めることが解決への近道です。自分自身をよく知ることが一番です。
 そしてもう一つ大切なことは、観察力を高めるためには良い目を持たなければなりませんが、そのためには日本や世界で起こったこと、今起こっていることなどにも関心を持ち、多くの人の考えを聞き、自分の意見を持つことです。自分を磨くことができるのは自分しかいませんから。自分観察をして、自分を理解して、もっともっと自分を磨きましょうね。

2026年1月 8日 (木)

【第921回】「いやしけ吉事」N. Y. (国語)

『 新(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の

いやしけ吉事(よごと) 』

新しい年の初めの初春の今日降る雪のように、
吉事(良い事)もたくさん積もれ

 大伴家持が因幡の国司となって赴任した元旦の宴席で詠んだ歌、万葉集4516首の最後の和歌として収録されている。古来元旦に降る雪は縁起が良いことの象徴とされていて、そのことと勢力を増す藤原氏に対し、衰退していく大伴一族の運命と自身の不遇を憂い、良い方へ向かうよう願う家持の気持ちが詠み込まれているとされる。この歌が詠まれた新年は、元日と立春が重なるさらにめでたい年であり、家持のより一層の思いが重なる。

 2024年元旦の能登沖地震から2年。復興への道はまだまだ遠く、ゴールが見えていないのが現状である。実家への帰途、車窓から見える風景は私が幼少から慣れ親しんできたものとは掛け離れていて、まだ手付かずの家屋や崩れた山肌、地割れしたままの道路、更地になった土地…目にするたびに胸が痛む。20260108_2
それに加えて震災に伴う人口の流出…課題は山積みである。本校生徒にも自分自身を含め、お身内や知人に被災された方が多くいる。それでも救われるのは少しずつ状況が前進していることと、被災地の方々が明るいことだ。メディアで取り上げられることは賛否両論あるかと思うが、話題に上らなくなれば他人事として忘れられてしまう。被災された方々の今の声を見聞きすることは『時』が持つ重さを再認識させてくれる。「あとで」や「また今度」は二度とないかもしれない。だからこそ今を大切にし、巡ってきたタイミングで後回しにせず、やるべきことをやらなければならないと強く思う。
 1200年前の家持が詠んだ和歌のように、人々にたくさんの『吉事』が重なることを願いたい。