2016年10月20日 (木)

【第448回】 「言葉の重み」中村 裕行 (地歴・公民)

 先生ブログのすき間を埋める管理人の文章にお付き合いください。

 私の最近のお気に入り番組は「プレバト」(木曜夜7時~ MRO)で、中でも俳句のコーナーを面白く見ている。1枚の写真をテーマに出演者達が俳句を作るのだが、俳人の夏井いつき先生がそれらの句を毒舌混じりで批評し、添削するのである。五・七・五の限られた十七音の中に、季語を入れることはもちろん、擬人法や倒置法などの手法を用いることや音の響きなどにも配慮して、風景の描写や作者の思いを凝縮していく技は見事と言うほかない。

 近頃は思いつくままの文章をメールに並べたり、私もついていけない絵文字や省略語がとびかう中で、この俳句の世界は実に新鮮である。ふり返って、私達は1つの事を表現するのに、どれだけ吟味して言葉を使っているだろうか。教員という立場で言えば、適切な表現でわかりやすい授業ができているだろうか、悩んでいる生徒や試合で負けた生徒に適切な言葉をかけてきただろうかと自問自答する。教員にとって、言葉とはコミュニケーション手段以上の商売道具のようなものであり、言葉で商売をするのであれば、それだけ言葉を磨かなければいけないということにもなるだろう。倫理の授業に登場するカッシーラーという人物は、まさに「人間は言葉(象徴)を操る動物」と規定している。

 話は少しそれるが、赴任して3年目、持ち上がった初めての卒業生を送り出す年、俵万智さん(福井県の高校出身 創作活動の他、当時は高校の先生でもあった)の「サラダ記念日」という歌集が大ヒットした。日常の断片を型にこだわらない言い回しで表現し、若者達の共感を集めたように記憶しているが、これにあやかり、皆で卒業文集に記念の短歌を寄せることとした。私自身も作った(であろう)歌は覚えていないのだが、ある生徒が寄せた歌を今でも強烈に覚えている。

 “先生を 育ててやった 3年間 感謝しろよと 俺達言った”(Y子)
  ― う~ん、重たい! 今でも感謝しています。

(余談)ところで、この文章にこのタイトルは適切だったであろうか。「言葉の重み」とするか、「言葉の重さ」とするか、それとも「言葉のもつ重み」とするかで結構悩みました。 他にもっと適切なタイトルがあったかもしれません…。

2016年10月13日 (木)

【第447回】 『頑張る遊学人』を紹介(その1)尾谷 力 (地歴・公民)

 みなさん、こんにちは。今回は私の身近な所で頑張っている遊学人を二人、紹介したいと思います。

 一人目は私が担任しているK君。
 彼は文系クラスに在籍する三年生。引退するまでは、ある運動部のキャプテンとしても活躍していました。そんなK君。懇談会で「将来は生物関係の研究者になりたい」と相談してきました。いくら理科が得意といっても3年生の夏休みで文系から理系への変更は大きなリスクが伴うことを説明しました。それでもと、強く希望するのでダメだとは言えず、AO入試や推薦入試も併用し、ダメなら文系大学を滑り止めにするという条件で了解しました。そして最初のAO入試をむかえました。年明けの一般入試をにらんだ受験勉強と平行しながらの準備でしたが、見事合格を勝ち取りました。

 もう一人の生徒は、私が顧問を務める駅伝競走部で競歩に取り組むYさん。
 彼女は、先日閉幕した希望郷いわて国体の成年女子5000m競歩に出場しました。リオ・オリンピアンや昨年・一昨年の高校チャンピオンが大学生となって参加しているなど、成年の強豪選手が多数参加する、なかなか冷静には参加できない種目への挑戦です。このような中、スタートの200mはオリンピアンを押さえて先頭で通過。中盤以降苦戦しましたがよく粘り7位入賞を遂げました。

 「やればできる」とか、「精一杯挑戦することが大事」などと、偉そうに言っていた私ですが、結果を考える前の「挑戦」とか「精一杯取り組む」ことの大切さを改めて生徒達から教えてもうことになりました。

 この二人。決して簡単に成功したわけではありません。何度もブレそうになりながら、それでも諦めず頑張り抜くことができたから今回の成果に結びつけることができたのは間違いありません。また、これからも多くの壁が二人の前に立ちはだかると思います。しかし、この二人ならそれぞれの方法でその壁に立ち向かい、きっと乗り越えてくれると思います。

 そんな頑張る遊学人を全力で応援する遊学館高校。

 みなさんも、あらためて自分の夢や目標、生き方を考えてみてはどうでしょうか。紹介した二人の頑張りも、きっと自分の夢をかなえるという一心から始まったはずですから。

2810131私が担任するクラス。それぞれの進路目標実現にむけて頑張っています。

2810132_2希望郷いわて国体  成年(・・)女子5000m競歩  表彰式 (右から二番目が本校生徒Yさん)

2016年10月 6日 (木)

【第446回】 遊学館高校第85回定期演奏会を終えて大嶋 直樹 (芸術)

去る9月23日、24日に金沢歌劇座にて第85回定期演奏会を開催させていただきました。
生徒公演も含め、合計3回の公演に本当にたくさんのお客様にご来場いただきました。

昭和6年に吹奏楽部の前身リードバンド部が創部され、間もなく開催された第一回の演奏会から回を重ね85年が経ったという事になります。おそらく県内の高校生の演奏会としては最も歴史のある行事だと思います。

この伝統ある演奏会を毎年吹奏楽部が演奏を担当させていただく事は、正直私にとっても部員にとっても大きな誇りを感じると同時に、失敗は許されないというプレッシャーもあります。構成面でも演奏や演技の質共に、最低レベルでも前年以上のものを、そして新しいアイディアを盛り込んでお客様に届けたいと準備を進めます。

性別問わず幅広い年齢層、そして吹奏楽に馴染みのある方々から初めてコンサートに来てくださるお客様全てに、会場までお越しいただき、約2時間のコンサートの時間が無駄ではなかったと感じてもらう事は簡単ではありません。

先日のコンサートでも今年のメンバーのテーマ『魅せる遊学』のスピリットが一人でも多くのお客様に届いていたら嬉しいです。

ステージに立って演奏演技するのは79名の部員と指揮者ですが、ステージの裏には舞台監督、音響スタッフ、照明スタッフ、大道具スタッフ、学校関係者、遊学館高校の先生方、卒部生、吹奏楽部保護者会の方々、合計100名以上のスタッフに支えていただきながらコンサートが行われています。

こうして本当にたくさんの方々から応援される部員たちは幸せだなと感じます。

第86回の演奏会に向けても、演奏技術の向上と遊学館カラーを最大限に表現する努力を惜しまず、部員と共に頑張っていきたいと思います。

2810061

2810062

2810063

2810064

2810065

2810066

2016年9月29日 (木)

【第445回】 歳をとるということO. M. (国語)

 別に威張って言うことではないと思いますが、最近「納豆」が食べられるようになりました。大阪生まれ大阪育ちなので(昔から大阪の人は納豆を食べない傾向にあります。らしい・・)、周りにはほとんど納豆を食べる人がいなかったせいもあって、とにかく納豆は毛嫌いしていました。一度高校生の時にチャレンジして思わず●✕てしまったので、それからというもの「あんな腐ってるものは食べもんやない!!」と公言して何十年かが経ちました。それが去年、突然食べてみようと思い立ち、なんとあっさり食べることができたのです。しかも、美味しいとまで思ってしまったのです。これは、僕にとってまさに「青天の霹靂(へきれき)」【意味】青く晴れ渡った空に突然激しい雷鳴が起こることから、予期しない突発的な事件が起こることをいう。 そして、まるで神の啓示のごとく思える体験でした。
 そうなんです!!歳をとると、初体験なことが実は増えるのです。たとえば、今まで着たこともなかった赤やオレンジの服を着ることができたり、絶対に知り合えないと思っていた種類の人と友達になれたり(例えばミュージシャンやDJや陶芸家と言われる人達)。あまり聞いたことのなかったイタリアやアルゼンチンのジャズのCDを山のように聞いてみたり。ノンストップで10キロ走れるようになったり。それから、猫を飼うということにどっぷりとはまってみたり。
 高齢化社会が問題になり、歳をとることがまるで「悪事」のように世間では言われていますが、歳をとることは悪いことばっかりじゃないんですね、実は。もちろん身体のあちこちが痛くなってきたり、ちょっと夜更かしすると翌日にとんでもなく響いたりしますけど・・・
 というわけで、若い若い、超若い高校生の皆さん。オヤジやおばさんをなめてはいけませんよ。オヤジやおばさん達はみんな歳をとってからできるようになった初体験に心を躍らせ、陰でこっそり牙を爪を磨いて「来たるべき超高齢化社会」に備えているんですよ。
やばいよ~気をつけてね・・・

280929我が家のネコ

2016年9月23日 (金)

【第444回】 山の不思議U. K. (理科)

 山歩きでのことを書こう思うが、途中の景色や高山植物の花が咲いていたという話ではない。不思議な体験をしたという話である。
 前任校にいたころ、夏休みに北アルプスの常念岳に上った時のことだ。久しぶりの山行で、一人で登山客に人気の表銀座を歩く計画を立てた。朝8時に、一の沢の登山口から登りはじめ、午後1時ころに常念小屋に到着、一休みして3時半から常念山頂に上ろうと小屋を出た。荷物もないことだし、頂上まで1時間もかからないだろう。ゴロゴロした石とハイマツのなだらかな斜面には、同じく山頂を目指す登山客も前を歩いているのが見える。だんだんと体力は落ちており、午後の登山は足にこたえてきており、前を行く登山客からどんどん引き離されていることに気が付いた。そうこうするうちに雲が出始め、山頂が見えるところまで来たときには、他の登山客はすでに下山するところだ。頂上までは自分の他には誰もいない、心細くなってきた。
 もう少しで頂上というところまでたどり着き、青息吐息で人の体くらいの岩石に手をかけた、ちょうどその時のことである。今から数万年前、銀河のはるか向こうで巨大な恒星の一つが、星の命を終えようとしていたと想像してほしい。すんなりと暗くなって衰えていく代わりに、大爆発とともにその終焉を迎えた。これが超新星爆発である。その星をなしていた物質は、ほとんどが原子のかけらとなって、超高速で宇宙に放り出された。そして今、一つのかけらが太陽系の第3惑星に届き、いき絶え絶えの中年登山客の脳髄を貫通した。彼の脳髄は何ら損傷を受けてはいない。ただし、一つの神経細胞のシナプスの小胞に影響を与えたらしい。シナプス小胞からアドレナリンが放出されて、目覚めたように彼は頭を持ち上げた。眼の前に、西に傾いた太陽の光線に照らされた、穂高連峰の雄大な景色が広がっていた。
 超新星の話は冗談ですが、山で色々な不思議な体験をしたという話は、古今たくさん本に書かれている。あたかも、ヒトがまだ野山を駆けていた時の感性が甦り、忘れていた昔を思い出すように。忙しい現代人は、遠い過去を思い出すために山に登るとも考えられる。
(一部、X染色体_男女を決めるもの_ ベインブリッジ,デイヴィッド著 を参考にした