« 【第722回】「この1年を振り返って」 | メイン | 【第724回】「正しい漢字使えている?」 »

2022年3月31日 (木)

【第723回】「48年の教員生活を振り返って」山本 雅弘 (保健体育)

3月で教員生活48年を終えることになりました。
思えば大学を卒業後私立S高校に26年7か月勤務し、遊学館高校に移り21年5か月勤務して今を迎えています。この間、部活動を器械体操部、女子ソフトボール、スキー部、男子ソフトボール、中学軟式野球部、高校硬式野球部を受け持ちました。私自身の専門は陸上競技なので専門外の部活動を持ち続けたことになります。

遊学館高校に移り硬式野球部を創部したのが2001年4月。
1年生22名がグランドに集合したのが3月25日、グランドには土がなくガレ石の状態でしたが、かろうじて工事が終了していたサッカー場でキャッチボールをしたのが遊学館野球部の歴史のスタートでした。
1年生だけでの春季大会。練習試合もなく金沢市民球場で旧富来高校と対戦し7対0(7回コールド)で勝つことができました。試合前、スタンドから私に対して「軟式野球で勝っても硬式野球で勝てるわけない」など、ヤジが飛び交っていました。その中で選手たちが試合に集中しプレーしてくれたことを思い出します。
2年目の夏の大会、甲子園を目指し1・2年生だけで勝ち上がり、準々決勝を迎える頃から私の家に嫌がらせの電話が・・「県外から集めた選手を出して勝つことを許さんぞ」「わかっているだろうな・・明日負けろ」「今からお前の家に火をつけに行くぞ」などなど・・・。当時大学生の娘が電話の音に恐怖を感じていました。
決勝は金沢高校、初回に3本の本塁打で6点を失うが大逆転で優勝。
「創部1年4か月で甲子園出場」からヤジや嫌がらせの電話がなくなりました。
そのあとがむしゃらに頑張った21年。500名を超える優秀な教え子たちの頑張りで夏の甲子園に6回、春の選抜大会に1回、神宮大会に1回、国民体育大会に2回出場することができました。また、教え子たちの中で野球を始めた時からの夢を叶えたプロ野球選手が7名、勉強に切り替えて医者や弁護士になって社会に貢献している教え子たち、未来ある子供たちを指導する教育者になった教え子たちがたくさんいることが嬉しいことです。
また、全国高等学校野球連盟から「育成功労賞」、北國スポーツ賞の「育成功労賞」、いしかわ中日体育賞の「指導者賞」の表彰を受けたことが身に余る喜びです。

私は昨年の夏の大会で野球部監督を退任し中川新監督にバトンタッチしました。新スタッフには創部当時のように勢いのある強い遊学館野球部の再現を期待したいと思います。