【第444回】 山の不思議U. K. (理科)
山歩きでのことを書こう思うが、途中の景色や高山植物の花が咲いていたという話ではない。不思議な体験をしたという話である。
前任校にいたころ、夏休みに北アルプスの常念岳に上った時のことだ。久しぶりの山行で、一人で登山客に人気の表銀座を歩く計画を立てた。朝8時に、一の沢の登山口から登りはじめ、午後1時ころに常念小屋に到着、一休みして3時半から常念山頂に上ろうと小屋を出た。荷物もないことだし、頂上まで1時間もかからないだろう。ゴロゴロした石とハイマツのなだらかな斜面には、同じく山頂を目指す登山客も前を歩いているのが見える。だんだんと体力は落ちており、午後の登山は足にこたえてきており、前を行く登山客からどんどん引き離されていることに気が付いた。そうこうするうちに雲が出始め、山頂が見えるところまで来たときには、他の登山客はすでに下山するところだ。頂上までは自分の他には誰もいない、心細くなってきた。
もう少しで頂上というところまでたどり着き、青息吐息で人の体くらいの岩石に手をかけた、ちょうどその時のことである。今から数万年前、銀河のはるか向こうで巨大な恒星の一つが、星の命を終えようとしていたと想像してほしい。すんなりと暗くなって衰えていく代わりに、大爆発とともにその終焉を迎えた。これが超新星爆発である。その星をなしていた物質は、ほとんどが原子のかけらとなって、超高速で宇宙に放り出された。そして今、一つのかけらが太陽系の第3惑星に届き、いき絶え絶えの中年登山客の脳髄を貫通した。彼の脳髄は何ら損傷を受けてはいない。ただし、一つの神経細胞のシナプスの小胞に影響を与えたらしい。シナプス小胞からアドレナリンが放出されて、目覚めたように彼は頭を持ち上げた。眼の前に、西に傾いた太陽の光線に照らされた、穂高連峰の雄大な景色が広がっていた。
超新星の話は冗談ですが、山で色々な不思議な体験をしたという話は、古今たくさん本に書かれている。あたかも、ヒトがまだ野山を駆けていた時の感性が甦り、忘れていた昔を思い出すように。忙しい現代人は、遠い過去を思い出すために山に登るとも考えられる。
(一部、X染色体_男女を決めるもの_ ベインブリッジ,デイヴィッド著 を参考にした)