【第393回】 努力はなんのためにするのかK. N. (数学)
今年の夏の甲子園で、遊学館の生徒たちがプレイをしているのを見た。
彼らが楽しそうに野球をしているのを見て、うれしく思うのと同時に、ここまでくることの道のりを思って気の遠くなる思いをした。
どれだけ苦しい思いをしたのだろう。
どれだけ辛い練習を耐えたのだろう。
本当に頭が下がる。
二回戦を勝って、三回戦で負けたけど、毎年、千人しか生まれない甲子園球児となり、一つ勝つことで、500人の中のひとりになったのである。
高校生が(男子に限れば)167万人いることを考えると、これはすごいことなのだ。
野球部に限っても、(参加)4000の高校に30人程度の野球部員がいると仮定して、
12万人のうちの千人である。いや、12万人のうちの500人になったのだ。
本当に素晴らしい。
この夏休み、三年生のある女子生徒に付き合って、数学の勉強をした。入試で必要だから、勉強をみてほしいと言われたのだ。
一年生のときの教科担当だったので、彼女の実力については、おおよその把握はできていた。正直、(数学の)できる子ではなかった。クラスの中で、後ろから数えたほうが早いような順位の子だった。「大丈夫かな」と思ったが、彼女の「こうなりたい」という強い思いに応えたいと思った。
それが、どうしたことか、驚異的に学力が伸びている。
計算の正確さが上がり、問題を解くスピードもついてきている。
「この問題を解くには、どうすればいい?」と聞くと、(たとえば)「因数分解する」と的確に答えてくる。
計算はたまに間違える。でも、問題の解き方がわかっていて、それをきちんと言葉にできる。とても素晴らしい。
本当にやる気になったときの生徒の力というのは素晴らしい。この調子で続けてほしいと、切に願う。
そういえば、昔読んだ漫画で、主人公がこんなふうに呟くシーンがあった:
「やっぱり、そこそこなのかな」
どういうことだと、主人公に詰め寄る登場人物の一人に、主人公は答える。
「できる子は自分が下手なことをしたらそれが許せなくて頑張る。できない子は、うまくきっかけを掴むと、急に力を伸ばすことがある。でも、そこそこの子は・・・努力すらそこそこなのか・・・」
遊学館の野球部の子は(どちらかと言えば)「できる子」で、自分が下手なことをしたら、自分が許せなくて頑張る子なんじゃないかと思う。
上の女子生徒は「できない子」だったけれども、うまくきっかけを掴めたおかげで、急に力を伸ばせた子だ。
どっちも素晴らしい。では、「そこそこの子」は?
努力が必要なのは、ここだ。
先の漫画の主人公は「そこそこの子」に向けていう:
「努力の先にあるもう一つ上の世界、それを君らに見せたいんだ」
何のために努力するのか。そう。
「努力の先にあるもう一つ上の世界をみるために」
確かに、どんなに努力しても報われないことはある。挫折することもある。
でも、長島茂雄氏によれば
「挫折してもプライドは失われない。努力しているからだ」
さあ、二学期が始まった。季節もいい。たくさん努力しよう。