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2018年5月24日 (木)

【第530回】 新1年生へK. S. (国語)

 最近、朝の出勤時間を15分早めています。地元の小学校の新1年生の登校時にかち合わないようにするためです。自由で屈託のない子供たちは、時としてとんでもない行動をとります。道路に大の字でねっころがるは、急に飛び出すは・・・・、本当にはらはらします。それを回避するためです。まだまだ幼稚園の延長かな・・・、机の前に時間が来るまでじっと座っていられるのかな・・・? ただ、みんないい表情です。
 さて、わが遊学の新1年生はというと、まだ2か月も経っていないのにクラスにも学校にも馴染んでいるようです。やっぱり高校生。きらきらとした笑顔が素敵で、意欲に満ちています。中間試験の結果をみて実感しました。よく頑張りました。
 吸収する力は人それぞれ、自分以外の人と比べる必要はありません。私自身とわが子で認識しました。なにせ理解するまでに二倍三倍の時間を必要とする親子だから・・・。 社会人となった今でも彼らは試験に苦しんでいます。そんな中で、ただただ根気よく継続していくことが何より大事なのだと悟ったようです。得た知識はあなたの人間性を高めてくれます。考える力を養い、たしかな行動力を生みます。高校時代は悩める年頃だと思います。友人関係・勉強・部活・将来等に感じている胸のつかえをそのままに、その解決を後回しにしていると不安はどんどん膨らんでいきますよ。何とかなるさ・・・、いいえ何ともなりません。あなたが行動を起こさなければ進展は望めませんよ。投げないで、諦めないで、何とかしようよ。今がチャンス!!飛躍の時です。どうか決して「朽木糞墻(きゅうきふんしょう)(やる気のない者のたとえ)」といわれないようにしよう。
 「屈託なく笑って生きる」が理想の生き方です。「屈託」があると喜びも楽しみも集中も気力も、大事なことすべてが半減してしまいます。笑いには余韻があり、連鎖があります。道行く人の思い出し笑いを目にすることがあります。どんな楽しいことがあったのだろう、想像するだけでこちらも幸せを感じ、ついつい微笑んでしまいます。そうあることがあなた自身を、そして、あなたの周りの人をも幸せにします。わたしはそう信じます。
 素晴らしい3年間でありますよう・・・ 応援します。

※「屈託」・・・一つの事ばかり気にかかってしんぱいすること
        退屈や疲労などで精気を失っていること

2016年12月22日 (木)

【第457回】 ひとりごと・・・・K. S. (国語)

 はぁ~~ 終わった~ 試験が!!  今年もあと少し、 うふふ・・・
嬉しいのは生徒たちもわたしも一緒。
だけど、三年生との古典は楽しかったなぁ。
   それ、どういうこと? なんで?
   こういうことでいい? そういうことか・・・
   じゃぁ、こうなる? わかった! このあとどうなるの?
わたし、調子づいて、しゃべりまくったよ。だんだん声は大きくなるし、速くなる。終わったらぐったり。あ~あ 疲れた、楽しかった。とどめに
   古典、おもしろ~い。 おもしろい話が多いね。
これまでも、口語訳や文法などをしっかり勉強していたのに、・・・ あれ?
そうか、なかなか内容を楽しむまでいっていなかったんだ。
 そうだよね、一年次の基礎はいやだったよね。あれも覚えろ、これも覚えろ・・・。本当にどうにかしてよ・・・の気分だろうなぁ。わかっているんだけど、こればかりはね。
   わけわからん。
と言っていたのが、考えて、答えを導き出そうとしている過程がみえる。うんうん。
 二年次では、何をどうすればよいかが分かってるから、あの子たちも、わたしも、ちょっと楽。でも、知ってて欲しいことがいっぱいあるから、また、しゃべりまくった。
   本当にしゃべりがはやいんだから・・・
また、怒られた。これじゃ内容を楽しむなんて、無理かも。でも、成長してんだよね~。
 すぐに追い越されちゃう。あの子たちの成長は、ほんといやになるほど早い。あ~あ、老いは怖い。
 あと少し。一緒に楽しもうね。来年三月、卒業するまで。
 四月には新一年、成長した二・三年生との出会いが・・・・

2014年3月 6日 (木)

【第321回】 年の初めに考えたことK. S. (国語)

 正月に、うちの嫁が子供たちに「今日はグラタンにする?スパッゲティにする?」だって・・・・私だって、お節がたべたいよ~(姑)  雑誌に掲載されていた記事です。

 おせちは「御節供(おせちく)」の略であり、五節句(正月7日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日)の行事に由来する。奈良時代には朝廷内で節会として行われ、そこで供される供御(天皇の飲食物をいった語)を節供(せちく)といった。そして、この五節会の儀をならって、今日のようなおせち料理が形作られたといわれています。
 おせち料理には長い歴史があったのです。この1年が健康で幸せであることを祈念する思いが詰められているのです。だから、お重に詰められる料理も縁起もので、エビ(長生きを象徴)や昆布巻(健康長寿)、数の子(子宝と子孫繁栄)などなどが、美しく盛られているのです。節日のうち最も重要な正月だから、自然に力がはいるのでは……。

 だから、「お姑さん」、あなたの気持ちわかります。「お嫁さん」わかってよ~!

 私の幼き頃のおせち料理です。煮しめを中心に酢の物、焼き物、数の子、金時豆(我が家では黒豆でなかった)、卵巻、くわい(子供のころは食べられなかった)、ユリ根、練り物、棒だら(これ嫌い)などなど・・・・ です。12月31日の夜、銭湯から帰って、母が一人でせっせと作っていた傍でつまみ食い。おいしっかった~! そうだ、我が家では、正月三が日は、雑煮やご飯を炊くこと以外あまり火を使いません。当時はお店屋さんも正月休みだから、そんなものだと思っていました。調べてみると、そこにも意味があったのです。歳神を迎えて共に食事を行う正月の火を聖なるものとして捉え、神と共食する雑煮をつくるほかは火を使うことをできるだけ避けるという風習に基づくものらしい。(私の母がそのことを理解していたかどうかは・・・・?) 知らず知らずのうちに身についた慣習となっていたようです。

 クリスマスもいい、バレンタインもいい。でもね、ちゃんと祝うべき日は、クリスマスより、バレンタインより、正月だと思う。自然の恩恵を受け生きている私たちの忘れていけない感謝の気持ちが、「風習」となってそれぞれの土地に根付き、それぞれの家庭に伝わっているのだと思う。そんな風に育ってきているんだもの・・・・ やっぱり、正月には、お節料理でしょう。お嫁さん!! 初詣に出かけるでしょう? お年玉が…… なんていっているんじゃないの? お雑煮があって、お節があって、みんがいる。写真で見たようなものでなくていい、あなたらしいものでいいと思う。あなた達が父になり母になった時に、あなた達がその家風を作り上げ、子供たちに伝えていくのだから・・・・
 母が作ったものと、私がそれらしく作ったものとは、大きな違いがあります。それでいいじゃない・・・・私はそう思っています。1年の、人生の節目節目を生活のなかで意識し、大事にしていくことが、豊かな心を養っていくのではないかと考えています。そのことを伝えていきたいと………。

2012年11月29日 (木)

【第257回】 感    謝K. S. (国語)

 去る10月、森川先生がお亡くなりになりました。退職されてから、まだ、1年半しか経っていませんでした。あまりに突然の訃報でした。尊敬する、大好きな先生でした。毎日いろんなお話をお聞きしました。
 先生のお話には、愛があふれていました。いつも前向きで、活動的でした。先生からは、

  学びましょう
  人の話はしっかり聞きましょう
  自分の考えを、意見をしっかり持ちましょう
  自分の意見は、発信しましょう
  話し合いの中に発展や成長があるのだから。

ということを受け取りました。

 最近の私はややもすれば頑なになり、ついつい先生のお話を忘れがちになってしまっています。いつのまにか、“私が、私が、”という思いや、私の言うことこそが正しいのだ“譲らないぞ”という変な意気込みが前面に出てしまい、自分でも“あれ?”と思っても引くことはしません。しばらくすると、私の心に“これでよかったの?”という思いが強くなり、その矛盾に少し疲れて、へこんできます。
 自分の考えに自信があっても、他の誤った考えや対処する人(と、私は思っている)に対し、向かい合うことをしなくなり、“まっ、いいか”、“言っても仕方がない”と引き下がっているのです。相手は自分が“正しいのだ”と勘違いをし、したり顔。それを見てだんだん不満をつのらせているのです。
 私の場合、頑なであることは、人の意見を聞かず、考えを述べず、他に目を向けることをしない、自分にとって楽な(無気力な)道を歩むことだったのです。私は、真摯に生きていたつもりでしたが、年々楽な方へ、楽な方へと逃げていました。そして、今、“これが処世術”とうそぶいている自分にあきれています。

  これから社会にはばたく君たちに一言。

楽な道ばかり選んでいては視野が狭くなり、どんどん世界が狭くなっていきます。夢を叶え、希望に満ち溢れる広い世界に飛び出すには、頑なな心を解放し、人の意見に耳を傾け、視野を広げましょう。  (自分のことは棚に上げて、これまでを反省して・・・・)

 先生、お世話になりました。本当に楽しい毎日でした。
 ご冥福をお祈りします。 “ 感 謝 ”

2011年7月14日 (木)

【第190回】「好き」から始まる知識の積み重ねK. S. (国語)

最近の夕食時のテレビ番組は、バラエティーやクイズ番組が大半を占める。今やテレビは
夕食時においては、家族には不可欠なものである。というのも、食卓についた家族の視線
は一方向にしか向けられないから。テレビを通しての会話しかなされないのでは・・・と。
とにかく、今日一日の出来事や感じたことなど、他愛のない会話が少なくなった。

我が家はただいま三人家族。(本来なら五人なのだが、子供二人が県外で就職)
大人三人の我が家の夕食時も御多分に漏れずクイズ番組を見ながらの食事。ちょうど国語
の問題。その問題を息子は分からなかったのか、チラッと私を見る。私は答えた。(内心・・・
これはわかるぞ、よかった~)  その時息子が、「ほんとにたまに、ほんのちょっとだけ
尊敬するときがある」と・・・。「たまに」も「ちょっとだけ」も余計だが・・・。
ちょっと嬉しかった

次は、歴史の問題だ。私は日本史が好きで、史学科を志望していた。
(しかし、縁がなく断念)
聞いたことあるぞ~!  何だっけ~?  忘れた~!!
横でその事件について、また、それにまつわることを語る息子。
そうだった! そうなんだ! ちょっと感激~!!!

どんなことでもいい、子が親を超える、親にとってこれほどの喜びはない。

わが遊学館にも博学の生徒がたくさんいる。
私の知らないことをいっぱい知っていて語ってくれる。
ふ~ん・・・  へ~・・・! 
たくさん本を読んでいるんだな~。
ついつい聞き入ってしまう。
得意げに話す子・恥ずかしそうに、でも楽しそうに話す子。
とっても素敵な表情だ。特に目の表情がいい。

国語が好き。英語が好き。社会が、数学が、理科が、家庭が・・・。
「好き」から始まる知識の積み重ねが、人を豊かにする。
豊かになった人は、社会の中でちょっと注目される。
ちょっと評価される。(・・・と信じている)
(親になったとき、わが子からちょっと尊敬される)

遊学にはそんな将来を感じさせるすばらしい生徒が沢山いる。
遊学に入学して、向学心に火をつける子も多い。

私は毎日、彼らのすばらしい変化を目にしている。
頑張っているぞ~!!!
遊学の生徒たちは~ !!! 

2010年11月10日 (水)

【第158回】遊学生いろいろK. S. (国語)

9月8日教室にて、
「はい始めます。」  
「先生!誕生日だって?HAPPY BIRTHDAY歌うね!せ~の … 」
すてきな歌声、すてきな笑顔。素直にうれしい!ほんとうに嬉しかった。
「先生、いくつ?」      (屈託なく質問してくる)
「36、違った、37」     (大嘘つきの先生)

廊下にて、
向こうから女子生徒が小走りに走ってくる。思わず、身構える。
私のま~るいおなかにタッチ!!ニコニコ笑顔で立ち去る。またやられた~

野球場にて、
遊学大好き、野球大好き青年T君。今日も野球場に足を運んでいた。
「先生、こんにちは! 今日も勝ってよかった、楽しかったね。夏の甲子園
 予選来てましたか?会えませんでしたね。」
卒業して何年になるかな?5年?6年?    
そういえば、去年の夏もその前の夏も、野球場でみた彼の顔も腕も皮がむけていた。
「日焼け対策しなかったよ。」  なんともさわやかな笑顔。いい顔してる。

終業ベル直前の教室にて、
「国語の時間が楽しみになってきた。今日、放課後いいですか?
 この内容と次の内容のつながりがよくわかりません。」 「いいよ。」
放課後、教科書とノートをもってやって来る。もう一度、ゆっくりと説明する。
うん、うん頷き帰っていく。周りには同じように質問に来る生徒が…  先生は大忙し。
熱が入って次第に大きな声に…
いいね~、こんな光景。

三年生と
看護師をめざしている彼女。
「もう一つやりたいことができた。どっちがいいかな?まよってるの。」
夢が、その夢の可能性が広まったんだね。それだけコツコツ努力を重ねたんだ~。
もうちょっとだよ。がんばれ~!きっとつかめるよ、その夢。

友人に「最近、遊学の子たち変わったね。どうして?」といわれた。
確かに … 12年前、遊学にお世話になったとき、子供たちが大人びて見えた。
私自身の子供3人が、まだ幼かったせいかも知れない。
いや、それだけではない。ほんとうに、表情があどけない。
背伸びのない、身の丈の今を満喫している。
こう思うのも私がまた一つ年老いたからでしょうか。