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2016年3月 3日 (木)

【第415回】 春よ、来い西村 美恵子 (英語)

   童謡「春よ、来い」を知っていますか。
     春よ、来い。早く来い。
     歩き始めたみいちゃんが、
     赤い鼻緒のじょじょ履いて、
     おんもに出たいと待っている。
歌の中の女の子と同じ名前で呼ばれていた幼い私が、この歌を自分の歌だと思い込んでいたのか、おそらくは生まれて初めて歌っていた歌のように思えるのだ。じょじょという言葉は知らなくても、赤い鼻緒なら、履物だとわかる。“おんも”という語は使っていたから、おんもに出たい気持ちは共感できる。
   それが、童謡「お正月」になると、少し違う。
     もういくつ寝ると、お正月。
     お正月には、凧あげて、独楽を回して遊びましょ。
     早く来い来い、お正月
この歌は自分たちの歌ではない、と子供心にも思っていた。何が違うのかおわかりですか。
   私はここ金沢で生まれ育った。お正月は、みぞれや雪が降るのが当たり前で、凧あげは春にならないとできなかった。もちろん、歩き始めたばかりのみいちゃんよりも、大きくなった子供たちは、雪がたくさん降った後は、外を駆け回り、雪合戦、雪だるまやかまくらづくり、そりやスキーで遊んだりと雪遊びができるのだけれど、それも雪がやんでいる時だけなのだ。冬は、天気が悪くて普通なのだ。春になれば、外で思いっきり遊べる。春にさえなれば・・・。春を待つ気持ちは、日本海側の地域の人々にとって、特に強いのではないだろうか。ちなみに、「春よ、来い」の作詞者は糸魚川出身で、ほかの作品には、「都の西北」など。
   そんな春を待ち望む気持ちは、小学校から始まる学校生活の中で別の意味合いを重ねて行く。春は、卒業・進級・入学・入社などの季節である。その前には受験もある。人との別れがあり、新しい出会いがある。新しい生活がはじまる。不安や期待でパンパンに膨らんだ心に春を待つ気持ちが重なり、息苦しいほど心がざわざわする。いや、正確には、そんなときが私にもあったということなのだが、しかしながら、いまだに、春が近づくと、私にはこの症状が出るのだ。もちろん毎年、3年生が卒業し、新1年生がやって来るわけだから、私はただ見守っているだけなのであるが。
   今年は新年早々、心が一足飛びに春になったかのような素敵なニュースが届いた。
   プロ野球選手をしていた卒業生が、昨年秋、戦力外通告を受けていたのだが、この春から鍼灸学校へ進学、しかも昼間鍼灸院でアルバイトをして生計を立て、夜間部で勉強をするとのこと。けがに泣かされ続け、1軍で思うように活躍できなかった彼の、鍼灸師として選手たちの力になりたいという選択に、心からの拍手を送りたい。一人前の鍼灸師になる春よ、早く来い。
   それと、もうひとつ、正月2日の箱根駅伝で2年続けて山登りをした卒業生が、駅伝部のある企業に就職か決まったとのこと。今後は実業団駅伝にも注目しなければ。彼が社会人としてのスタートを切る春がもうすぐそこまで来ている。
   3月1日遊学館高校を卒業するみんなに素晴らしい春が来ますように。
   4月に遊学館高校に入学する生徒の皆さん、いっしょに良い春を迎えよう。
   みんなみんなにとびっきりの春よ、来い!