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2016年3月31日 (木)

【第419回】 遊学館での1年間H. M. (英語)

遊学館へ来て、はや1年。教師として働き始めて、はや1年。
長いようで、短かった1年が、まもなく終わろうとしています。

思えば1学期。
何をどう教えればいいのか、どう生徒に接すればいいのかが分からず、ただただ葛藤の日々でした。
学校という場所にも慣れず、とにかく毎日を過ごすことに精一杯でした。

時は流れて2学期。
ようやく日常のリズムがつかめ、授業をすることにも(少し)慣れてきたように感じました。
どうすれば分かってもらえるだろう、楽しい授業になるだろうと、考えない日はありません。

そして3学期。
みんなと一緒に過ごせる時間、授業時間を指折り数えました。
それは、とてもとても寂しい時間でもありました。

私は、この3月で遊学館を離れ、4月から新しい学校へ行きます。
どんな学校だろうとわくわくする気持ちと、遊学館を離れることの寂しさ。
今もずっと複雑な気持ちでいっぱいです。

今このブログを書いていても、思い出すのは、みなさんのことばかりです。
授業で関わってくれた生徒、部活で関わってくれた生徒、テスト前勉強で一緒に頑張った生徒、担任代理でホームへ行ったときに関わってくれた生徒。その他、私に関わってくれた生徒…。
数えればきりがありません。どうもありがとう。

遊学館は、イメージ通り、あいさつがよくできる高校です。
そして、とても人間味に溢れ、元気で明るい生徒達が多いです。
そんな素敵な学校で、みなさんと過ごせたことに感謝し、次へと生かしたいと思います。

1年という短い期間でしたが、みなさん、どうもありがとうございました。

楽しかったなぁ
辛いこともあったけど、良かったなぁ
良い友達ができたなぁ

メリハリのある高校生活を送り、無事に卒業してくれることを願っています。
そして、またいつかみなさんにお会いできる日を楽しみにしています!

2016年3月24日 (木)

【第418回】 時間Y. Y. (英語)

時間が経つのはとても早いもので、遊学館高校で教え始めてから一年が過ぎようとしています。
一年間という短い間でしたが今年度で遊学館を離れることとなりました。
遊学館に関係する全ての方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

この一年間を思い返すと様々なことがありました。
今年度は一年生3クラス三年生3クラスの他、遊学講座も担当させていただきました。
バドミントン部にも少し関わらせていただきました。
少し前まで学生だったこともあり昨年の四月は全てが新鮮で、何をするにもとても緊張していたことを覚えています。
授業をすること、質問を受けること、プリントを作ること、
全てが初めての経験で、うまくやっていけるのか深く悩んだこともありました。
当初の授業は何をしていいか分からず、指示も曖昧で生徒には理解できなかったことも多かったと思います。
それ以降どんな授業をすれば生徒が興味を持ってくれるのか試行錯誤を繰り返しました。
遊学館は素直で優しい生徒が多く、普段の授業、遊学講座、部活動で新しいことを試そうとするとき、すんなりと積極的に付き合ってくれました。
色々と挑戦出来たことによって確実に成長できました。正しい言い方なのかは分かりませんが、生徒に教えていることよりも生徒から学んだことのほうが多い一年間でした。

今年度授業を持っていた1年生、2年生が卒業するまでいられないのは寂しいです。
しかしただ寂しい悲しいだけでは駄目だと思います。この一年間の経験を活かして、次に会ったときにはお互い成長したと言い合える存在になりましょう。

私自身若くて未熟なのでみんなに一方的に『頑張れ』とは言いません。
代わりに私が大切にしていることのひとつを紹介します。

楽しい時間は早く過ぎるが、つまらない時間はとても長く感じるとよく言われます。
当然つまらない時間は早く終わってほしいと思うでしょうが、私はそんな退屈な時間も大切にするように心がけています。
楽しい時間も退屈な時間も同じ価値ある時間です。
せっかく同じ時間を過ごすのなら、より充実させたほうがいいと思いませんか?
退屈な時間も自分を成長させてくれる何かが絶対にあります。
全ての時間を精一杯過ごすことによって新たな自分を発見できると考えています。

もし良いなと思ったら心の片隅に置いておいてください。

遊学館高校にはみんなの様々な時間を彩ってくれる環境があります。
授業、部活、遊学講座、放課後、先生、そして何より身近にいる仲間たち。
全てがみんなの高校生活を充実させてくれるでしょう。人生のなかのたった3年間ですが、とても大切な3年間です。決して無駄にすることがないように、と願っています。

それではまた逢う日まで...

2016年3月17日 (木)

【第417回】 色彩 ~そこにある風景in my heart~福田 圭一 (保健体育)

先日、3年生442名が遊学館を卒業し巣立っていきました。
福田ホームの41名、女子バレーボール部の7名もここに含まれています。

今年度の卒業式は、初めての3年生の担任ということもあったのですが、
それ以上に、この卒業式を最後に第一体育館が取り壊され、新体育館へと1年かけて生まれ変わります。遊学館にお世話になり、一番多くの時間を共にした場所でした。

 
体育館での最後の行事がこの卒業式であったのですが、本当に素敵な式となりました。
体育館も卒業生と共に有終の美を飾れました。お疲れ様。
(先生ブログ414回 中村先生担当参照)

この体育館でどれだけの先輩が汗を流したのだろうか?
先輩たちの思いや願いは受け継がれていますか?

今日、3月14日は体育館の外観はまだ残っていますが、フロアーや内壁は全て剥がされています。

皆さんは進化論をご存知でしょうか。
生物の進化は未だ多くの謎に包まれていますが、
この進化論には有名なラマルクとダーウィンの説があります。

 
なぜキリンの首が長いのか、という事でよく説明されていますが、ラマルクは「用・不要説」「獲得形質の遺伝」を唱えました。ラマルクによれば、首の短いキリンが高い場所の葉っぱを食べようとして首を伸ばす努力をしたから首が長くなったと。
そして、子孫にそれが受け継がれていきました。
つまり、親キリンの努力、経験値がDNAに書き込まれるという説でした。

 
これに対して、後に「種の起源」で有名なダーウィンは「自然選択・適者生存説」を唱えました。こちらの説では、首の短いキリンと長いキリンが混在していたのだが、首の短いキリンは自然淘汰されていき首の長いキリンだけが生き残ったと。
つまり、親キリンの努力や経験値がDNAに書き込まれることはないというのです。

 
現在ではこのダーウィンの説が支持され、進化論の定説になっているそうです。

 
しかし、最近になって新たな説が生まれています。それは親キリンの努力や願いが体のどこかに記憶され、子孫に受け継がれていくというもの。ラマルクが唱えた進化論と同様に、今の世代では考えられなかった願いが、次の世代へ受け継がれるかもしれない。

そんな希望の願いが含まれた説なのです。

それならば、金城からの先代の思い、強い願いが、少しずつ進化してその努力がいつかカタチになりますように。

女子バレーボール部の今年の卒業生もキャリアがあった訳ではありません。(ホントに)最後まで、もがいて、あがいて、その取り組みが後輩たちに伝わりました。

 
卒業時には、しっかりとした色がついたステキな人物に成長したと思います。 これから君たちに出逢う人たちが笑顔になり、そして人と人を繋げる優しいパスを出してあげてくださいね。(^_^.)!

 
第一体育館と、そしてこの体育館から卒業していった君たちへ、
ありがとうございました。
 

2803171春高バレー代表決定戦。
当日は遊学の応援で会場を埋め尽くしましたね。
チーム遊学サイコー。 感謝、感謝。(^_^.)  

 

2803172大会前の確認シート。
体育館での取り組みの成果が充分に発揮されましたね。

   

28031733年9組。みんな頑張れよ。

 

2803174保護者の皆様もありがとうございました。
ステキな姉さんたちでした。(何人かは年下 笑)

 

2803175それぞれの道へ・・・。

2016年3月10日 (木)

【第416回】 金沢今昔物語N. M. (地歴・公民)

 前回の先生ブログで私は金沢の地名に関することを書きました。今回も金沢の歴史と現在の遊学館高校に関するネタを1つ紹介します。ちなみに、今回書く内容を学問分野では「歴史地理学」といいます。

 江戸時代に城下町として栄えた金沢。加賀100万石と言われる豊かな農業生産高や手工業で発展を遂げ、当時の日本で有数の経済力を誇っていました。そんな江戸時代の寛文7年(1667年)の金沢の様子を示した地図に「寛文七年金沢図」というのがあります。これは現在石川県立図書館に所蔵され、石川県の重要文化財に指定されています。最近は便利な世の中になり、インターネット上でこの地図を拡大して見ることができます。
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1700105100/1700105100100060/kanbun-kanazawa/

2803101寛文七年金沢図(石川県立図書館所蔵 掲載許可済)

 この図では金沢城を中心に上に東、下に西という今の地図表記とは異なる方位で金沢市中が描かれています。一見すると、どこがどこだか判別しにくいですが、所々にヒントとなる「場所」があります。例えば、青色で記された線。これは江戸時代に整備されたと思われる水路です。これらは現在でも鞍月用水や辰巳用水やその支流として残っています。流路もほぼそのままです。この水路の曲がり具合を現在の地図と比較すると場所の特定が容易にできます。また、金沢市内に残る細い路地もこの図に描かれているものがあるのでさらに詳しく知ることができます。

 このような観点で遊学館周辺を見ると、興味深いことに気づきました。  

2803102

 上の2枚の図を見てください。左が現在の地図、右が同じ場所を「寛文七年金沢図」から拡大して方位を現在のものに合わせて示したものです。両図に同じ色の丸で囲んだ部分がいくつかあります。これは江戸時代の面影を残し、現在でも利用されている道路や水路です。図の上、黄色で囲んだところは遊学館高校からローソン金沢本多町三丁目店へ行く途中で曲がるところです。赤色は鱗町交差点近くの北陸銀行と石川県幸町庁舎の間にある水路です。緑色と青色はそれぞれ地点特定の際に参考になる特徴的な曲がり方をする地点を示したものです。他にも幸町周辺に江戸時代の道をそのまま利用した道路があることも分かります。

 このようにみていくと、遊学館高校周辺は江戸時代の様子をよく残しているのが分かります。そして現在遊学館高校の建っている場所はなんと遊学館は江戸時代の町割り・区割りの中にあるのです(オレンジ色の四角で囲んだ一画)。遊学館高校の門から出て、犀川大通りに向かう道(黒色)も江戸時代の道路をそのまま踏襲しているようです。

 350年前からある道を歩いたり、自転車で通行したりできる遊学館高校の通学路は貴重なものかもしれません。

2016年3月 3日 (木)

【第415回】 春よ、来い西村 美恵子 (英語)

   童謡「春よ、来い」を知っていますか。
     春よ、来い。早く来い。
     歩き始めたみいちゃんが、
     赤い鼻緒のじょじょ履いて、
     おんもに出たいと待っている。
歌の中の女の子と同じ名前で呼ばれていた幼い私が、この歌を自分の歌だと思い込んでいたのか、おそらくは生まれて初めて歌っていた歌のように思えるのだ。じょじょという言葉は知らなくても、赤い鼻緒なら、履物だとわかる。“おんも”という語は使っていたから、おんもに出たい気持ちは共感できる。
   それが、童謡「お正月」になると、少し違う。
     もういくつ寝ると、お正月。
     お正月には、凧あげて、独楽を回して遊びましょ。
     早く来い来い、お正月
この歌は自分たちの歌ではない、と子供心にも思っていた。何が違うのかおわかりですか。
   私はここ金沢で生まれ育った。お正月は、みぞれや雪が降るのが当たり前で、凧あげは春にならないとできなかった。もちろん、歩き始めたばかりのみいちゃんよりも、大きくなった子供たちは、雪がたくさん降った後は、外を駆け回り、雪合戦、雪だるまやかまくらづくり、そりやスキーで遊んだりと雪遊びができるのだけれど、それも雪がやんでいる時だけなのだ。冬は、天気が悪くて普通なのだ。春になれば、外で思いっきり遊べる。春にさえなれば・・・。春を待つ気持ちは、日本海側の地域の人々にとって、特に強いのではないだろうか。ちなみに、「春よ、来い」の作詞者は糸魚川出身で、ほかの作品には、「都の西北」など。
   そんな春を待ち望む気持ちは、小学校から始まる学校生活の中で別の意味合いを重ねて行く。春は、卒業・進級・入学・入社などの季節である。その前には受験もある。人との別れがあり、新しい出会いがある。新しい生活がはじまる。不安や期待でパンパンに膨らんだ心に春を待つ気持ちが重なり、息苦しいほど心がざわざわする。いや、正確には、そんなときが私にもあったということなのだが、しかしながら、いまだに、春が近づくと、私にはこの症状が出るのだ。もちろん毎年、3年生が卒業し、新1年生がやって来るわけだから、私はただ見守っているだけなのであるが。
   今年は新年早々、心が一足飛びに春になったかのような素敵なニュースが届いた。
   プロ野球選手をしていた卒業生が、昨年秋、戦力外通告を受けていたのだが、この春から鍼灸学校へ進学、しかも昼間鍼灸院でアルバイトをして生計を立て、夜間部で勉強をするとのこと。けがに泣かされ続け、1軍で思うように活躍できなかった彼の、鍼灸師として選手たちの力になりたいという選択に、心からの拍手を送りたい。一人前の鍼灸師になる春よ、早く来い。
   それと、もうひとつ、正月2日の箱根駅伝で2年続けて山登りをした卒業生が、駅伝部のある企業に就職か決まったとのこと。今後は実業団駅伝にも注目しなければ。彼が社会人としてのスタートを切る春がもうすぐそこまで来ている。
   3月1日遊学館高校を卒業するみんなに素晴らしい春が来ますように。
   4月に遊学館高校に入学する生徒の皆さん、いっしょに良い春を迎えよう。
   みんなみんなにとびっきりの春よ、来い!