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2015年6月25日 (木)

【第384回】 今日の空はどんな空?梶本 朋子 (情報アシスタント)

空を眺めるのが好きです。
家の窓から、車の窓から、外を歩きながら、学校の廊下を歩きながら・・・
いつでもどこでも気付けば空を眺めているような気がします。

入道雲、いわし雲、ひつじ雲、かすみ雲、すじ雲、波状雲、雨雲、飛行機雲...
朝焼け、夕焼け、「天使のはしご」と呼ばれる光のカーテンなど、毎日いろいろな表情を見せてくれる空は本当に見ていて飽きません。
私にとって、空を眺めるのは究極の癒しなのだと思います。

遊学館の中庭からの眺めもなかなか良いものです。
真っ青な空と、真っ白な雲と、鮮やかな緑の木。
皆さんも勉強に疲れたら、何も考えずにボーっと空を見上げてみてはいかがですか?
いい気分転換になると思いますよ。

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2015年6月18日 (木)

【第383回】 山登りK. T. (理科)

日本は山だらけの国です。海無し県はあっても山無し県はありません。でも高山(こうざん)となると話は別です。高山帯というのは標高が高く、背の高い樹木がない場所のことをいいます。石川県には白山という立派な高山があります。白山は日本列島の高山帯の西限に位置する重要な山で、日本に5か所ある高山生態系モニタリングサイトのひとつに選ばれています。

私はかつて北海道の大雪山という山で高山性の植物や昆虫の生態を調べていました。春から秋まで山の上にテントを張って生活し、シャツやズボンはもちろん下着から靴下まで1週間以上着替えることなく全身から悪臭を放ちながら調査をしていました。

大雪山はとても山深い場所なので下界の音が全く届きません。聞こえるのは鳥のさえずりとナキウサギの鳴き声、そして風の音だけです。夕方調査を終えてテントに戻り研究メンバーたちと晩御飯を作って食べ、そして満天に広がる今にも降り注いできそうな星々をしばし眺めて就寝。まさに天国生活でした。

そんな私も最近は山に登る機会がめっきり減ってしまいましたが、白山にはちょこちょこと登り続けています。白山は金沢から日帰り可能で、早起きして車を登山口まで走らせて早朝から登り始めれば朝食の時間には標高2千メートルを越えてしまいます。花や虫を観察しながらだらだら登ってもお昼前には山頂付近にたどり着けます。弁当を食べてからぐるっとお花畑を歩いて、それからゆっくり下山しても明るいうちに登山口に戻ることができます。

いろいろな山に登りたい気持ちもあるのですが、私はなぜか白山ばかりに登り続けてしまいます。数日間隔で登っても、植物も虫も鳥もそして全体の空気感もどんどん変わっていくので、毎回必ず何かしらの季節的変化を味わうことができます。ですから何度登っても飽きることがないのです。

白山は「登ったぞー」と感じることのできる登りがいのある山だし、面積は狭いですが高山帯のお花畑も十分に楽しむことができます。こんな素晴らしい山が石川県にあることはとても幸せなことです。これからも白山には何度でも登り続けていきたいものです。

2015年6月11日 (木)

【第382回】 最近考えていることA. H. (数学)

私は遊学館に来る前は新潟県の中学校で勤務していました。金沢に来て二ヶ月半程です。1年生の担任になり、気がつけばあっという間に6月に入っていました。時が経つのがこんなに早く感じたことは今までになかったなと思うくらいです。そんな毎日の中で、ふと自分の学生時代を思い返すことがあります。
 1999年小学6年の夏、姉とともにセビリア世界陸上をテレビで見ていました。はじめて見る世界陸上はすべてが衝撃的でした。世界にはこんなにも速く走る人が、こんなにも高く遠くに跳べる人が、こんなにも遠くに投げることができる人がいるのかと。そのときの衝撃を忘れる日はなく、中学・高校・大学と10年間陸上競技部に所属しました。時には陸上に夢中になりながら、時には勉強のことで頭が一杯になりながら、それでも自分なりに必死に陸上と向き合ってきました。もちろん辛くて苦しい思いもたくさんしました。走ることが嫌になり、練習をサボったこともあります。足に痛みはないのに、「痛い」と言って練習を見学したこともあります。でも心の中では、罪悪感で一杯でした。苦しくて逃げ出したくなるけど、実際に逃げてしまうと、その数十倍の苦しさがやってきました。そんなときにいつも頭をよぎる言葉があります。それは中学時代の顧問の先生の言葉です。『限界はそこにあるんじゃない。自分で作り出しているんだ。』この言葉を思い出しながら、常に全力で陸上と向き合い、常に全力で自分自身と向き合ってきました。どんなに苦しくても走り続け、百分の数秒でもタイムが縮まったとき、その喜びはとてつもなく大きかったです。一度タイムが出たときの喜びを感じてしまうと、それが楽しくて、また走りたくなる、そんな感じです。苦しさと楽しさを交互に感じながらも、気づけば毎日陸上のことを考えている学生時代でした。
 私は陸上を通して『仲間の存在の大切さ』、『夢中になることの大切さ』を主に感じてきました。もしあの広いトラックで、一人で練習していたら、辛いことを避けて楽をしようと考えてしまうでしょう。ともに練習する仲間がいるから自分の力も発揮できるし、苦しいときは支えあうことができました。それにみんなで大好きな陸上に夢中になっているから、本気で笑ったり、本気で泣いたり、たくさんの感情を共有できたのだと思います。中途半端ではなく、本気でやってきたからこそ、陸上を通して出会った仲間たちは今でも最高の仲間です。だから私は陸上競技に感謝し、陸上競技を通して出会ったすべての人に感謝する心を決して忘れずに、これからも過ごして行きたいと思います。

2015年6月 4日 (木)

【第381回】 『やっとわかった大切なこと』尾谷 力 (地歴・公民)

今回は、父の話をさせてください。私の父は、今年の二月に亡くなりました。 具合の悪いことは知っていましたが、入院することもなくお酒やたばこを楽しむ毎日を送っていたので、こんなに早く亡くなるとは思ってもいませんでした。何一つ親孝行をしないまま最後の別れとなりました。

父は高校卒業後、夢を追いかけ上京しました。帰郷後は教職に就き、自身の夢を生徒たちに託し共に歩む(走る)人生を送りました。多くの教え子に囲まれ充実した人生だったと思いますが、そこで私の人生とも親子以上に大きく重なることになりました。私の高校時代の部活動の監督が父だったのです。 当時を振り返ると、厳しかった父に仲間の二倍も三倍も殴られて納得がいかず苦しんだ時期もありました。しかし、大学卒業後自分と同じ人生を歩むことを決めた私の気持ちを最初に理解してくれたのは父でした。それからは、全てのノウハウ、全ての人脈、そして出来得る限りの協力を与えてくれました。 最近は、「生徒を怒るなよ」が口癖で、今年の年末、「選手がいちばん大切、帰ってこんでいいから選手についておいてやれ」が最後にくれたアドバイスでした。

生徒の皆さん、高校生時代は保護者の方の存在が当たり前で過ぎて、感謝とかありがたいとか分かりにくくなる時もあると思います。保護者の方がどれほど皆さんのことを心配しているのかを気づくことも難しいかもしれません。実は私もそうでした。しかし、間違いなく皆さんの一番の味方は保護者の方です。 そこで生徒の皆さんに提案です。保護者の方に皆さんの思いを伝えてみてください。保護者の方の話を聞いてみてください。 きっと皆さんの人生が色鮮やかになるはずです。もし悩んでいることがあるなら、解決の糸口を掴めるはずです。なぜなら、保護者の方は、みなさんよりも人生経験が豊富で何よりも皆さんのことを考えているからです。

最後に一言。父であり師でもある父さん、今までありがとう。越えられるよう頑張ってみます。