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2010年1月13日 (水)

【第116回】THINK TWICE!I. I. (国語)

「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」

おなじみ夏目漱石「坊ちゃん」の冒頭部です。
僕はこの小説が大好きで、主人公の坊ちゃんと同じく無鉄砲な自分とを重ねて、長年何回も愛読しています。ただ、自分の性向ゆえに、「損ばかり」というよりむしろ「後悔ばかり」しています。これを心配した母は、いつも僕に「考えてから行動しなさい」と半ば呪文のように説教していました。いつも坊ちゃんの無鉄砲さを心配して、苦言を呈していた清(きよ)のようですね。

それでも何度も繰り返し同じことを言われると不思議なものです。事を起こす前には考えるようになってきました。もちろん、性向は簡単には改まるものではなく、そそっかしく無鉄砲であることは変わりませんが、年を経るごとに少しは落ち着いて行動できるようになってきたと思います。

人生において人は時に大きな決断をしなければならないことがあります。それは多分に取捨選択に迫られると言っていいでしょう。どちらかを捨て(あきらめ)、どちらかを選ぶのは、つらいことです。時には、その重大さに気後れし、泣き出したくなるような決断もしなくてはなりません。その時に、失敗しない確率を上げるためにも、正しい道に進むためにも、常日頃から、安易に刹那的に行動に起こす前に、小さな事でも「よく考えて行動する」ことが大切だと理解しています。

さて、昨年亡くなったマイケル・ジャクソンの「ビリージーン」の歌詞にこういうのがあります。
 So take my strong advice. Just remember to always think twice.
(だから、僕の強い忠告を受け入れなよ。いつも二度は考えなきゃって思い出してくれよ。)

僕が明確に教員を志した二十歳のころに流行していた歌です。レコード(CDはまだなかった!)を買って繰り返し聴いていました。「ビリージーン」の歌詞は衝撃的で全文をここに載せるのはふさわしくありませんが、すでに数多くの歌をヒットさせていたマイケル・ジャクソンは、その溢れんばかりの才能に溺れることなく、ひたすら努力することによってスターダムにのし上がりました。「ビリージーン」の入ったアルバム「スリラー」が記録的な売り上げ記録を残したことは、多くの方がご存じのことと思います。同年代の彼の活躍は僕を奮い立たせ、その後の僕に大きな影響を与えました。

この歌詞の中の「think twice」こそが母から諭されていた「考えてから行動しなさい」なんですね。以降、「think twice」は僕の座右の銘となり、ことあるごとにこの言葉を基に、総合的に判断し慎重に行動するように努めるとともに、今の自分でいいのかと省みるようにしています。そして、生徒たちにも忠言として教えています。「考えてから行動しなさい」よりも「think twice」のほうが、その意味をかみしめるうえで心に刻まれやすいと考えたからです。

でも本当は、自分自身に忘れないように言い聞かせているんですね。

2009年2月25日 (水)

【第77回】イレブンバックI. I. (国語)

 卒業式が近づいてきました。

 本校が「遊学館高等学校」となって、13年になります。僕はこの間、平成11年卒業の第1期生と、今回卒業の第11期生の2回だけ、1年から3年へと持ち上がりました。そのぶん、この二つの学年には多くの思い出があります。

 第1期生は、明朗快活で積極的な生徒が多く、自分たちが「遊学生」としての伝統をこれから作るんだという、強い意気込みが感じられました。それまで「金城高等学校」という女子校であったわけですから、先生方は男子を指導する経験がありません。男子生徒は、もしかしたら、そういった先生方の指導に少し戸惑っていたかもしれません。それでも、とても明るく自然に高校生活を送っていたように思います。学園祭や体育祭といった学校行事も、生徒主体となり、ずいぶん様子が変わりました。

 そして、大学進学を希望する生徒が急増しました。「自分で自分の道を切り拓いていけ」また「自分の道が分からなくても、道を探すことを止めてはいけない」という僕の指導方針を、生徒たちは真剣に受け取って、自分はどうすればいいかを考えてくれていました。現在、第1期生たちは、三十歳を前にして、それぞれ社会で活躍していることを耳にしています。その中の一人は、本校の先生として頑張っています。

 今回卒業の第11期生は、素直で優しい生徒たちでした。
ですから「自分で自分の道を切り拓いていけ」という言葉には少し抵抗があったようです。

 1年次は、なかなか自分の道が見つからず、悩む生徒が多かったような気がします。僕は、様々な場面で、指示しがちになりそうでしたが、失敗があろうとも、生徒たちの判断・決断を我慢強く待ちました。指示過多になると、過保護に育った子供と同じように、自分で考えようとせず、指示待ちをするようになり、自分自身の人生に関わる重要な決断も人任せになります。そうなると自分の人生にも責任を持たなくなります。

 しかし、心配は杞憂に終わりました。2年次からは、ちゃんと自分の進むべき道を見つけ、目標を持って、努力を始めました。そして、現在。ほとんどの生徒たちが自分の夢を叶えつつあります。中でも、バトントワリング部は、とうとう念願の全国優勝を成し遂げたのです。

 第11期生たちは、人生の荒波にもまれながらも、岐路に立ったとき、自分で考え、自分で判断・決断し、自分の信じた道を進んでいくでしょう。

 「イレブンバック」はこの第11期生たちの同窓会名です。ちょっと変わったネーミングですが、いつの日か、志を果たして、「第11期生ここにあり」と誇らしげに、母校を訪ねてくるものと信じています。

 少し早いけど、卒業おめでとう!
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2008年5月21日 (水)

【第39回】天は…I. I. (国語)

「天は二物を与えず」という慣用句があります。
広辞苑には「一個の人間は、そう幾つもの才能や長所を持っているものではない」とあります。たしかに人間には、人生において発揮できる能力は数多くありません。だから、「天は二物を与えず」を「ひとつこれだという自分の誇れるものを見つけたら、それを極めよ」というふうに僕は解釈していますし、この言葉の意味を具現化した「自分の一番を見つけよう!」は、本校のモットーでもあります。

 ところが、例外はあるものです。

 第35回目の山本雅弘先生のコラムをご参照願いたいのですが、野球部の一期生が、今春大学を卒業し社会人として巣立ちました。その12名のうちのひとりから、この3月末に電話がありました。

 「先生、おかげさまで無事、早稲田を卒業しました。ありがとうございました!」

 山本先生が、野球人として挫折してしまったと心を残されている生徒の一人からです。
 僕は、彼の2年生の時の担任でしたが、卒業してからも、彼は、時折近況報告をしてくれましたし、母校の野球部の試合の応援にも顔を出していました。そのつど、最後には「ありがとうございました!」とさわやかな挨拶を残します。僕はいつも「何もしてやれてないのになあ」と恥ずかしい思いをしています。

 本校の野球部は「〈感謝〉の気持ちを常に持って、練習に試合に臨め!」と教えています。「今、自分があるのは、自分を支えてくれている多くの人たちのおかげであり、その人たちへの〈感謝〉の気持ちでプレイする」という、すがすがしい教えです。彼は、卒業してもなお、その教えを忘れずに実践しているのでしょう。山本先生の教えは、野球を超越して、彼の心に生き続けています。

 天は、彼に、甲子園大会に出場できるまで努力する才能と、人間としての才能「人格」を与えたのです。もっとも「人格」は、教えられたのち、自分自身で獲得したとも言えるでしょう。

 今月、彼は、遊学館高校出身者初の弁護士を目指して、司法試験に挑戦します。近いうちに、また彼から、電話がかかってくると思います。

「先生、おかげさまで無事司法試験に合格しました。ありがとうございました!」

きっと天は、彼に三物目を与えますね。

2007年8月14日 (火)

【第2回】校歌にみる「遊学館高校」 −その伝統−I. I. (国語)

今年の甲子園大会県予選の時の話です。

本校の第1回戦が、休日と重なったこともあって、私は県立球場に応援に出かけました。
対戦校には申し訳ないですが、16対3という大差で5回コールド勝ちをした試合は、
学期末で疲れ気味の私に、元気を与えてくれました。

試合が終わり、主審のゲームセットのコールで、両チームが挨拶を終え、たがいに握手で健闘を称え合い、
勝利チームの選手たちが、バックスクリーンに向かい横一線に整列し、脱帽します。
勝利の満足感で誇らしげにこうべを挙げて、母校の校歌を待つ、おきまりのシーンです。
ベンチ裏で観戦していた私も、当然起立して帽子を取り、選手と一緒に校歌を歌おうとしていました。
私の隣には、某高校のユニフォームを着た生徒が、グラウンドへ整備に行こうと待機していましたが、
その生徒も一旦その場で動きを止め、脱帽しました。
本校の校歌が流れ出しました。

前奏が終わり、私が校歌を歌い出したそのとき、隣の彼も同時に歌い出したのです。
「ウーエケーンー、ヒートモー、ナーツカァーシィーヤー…」
こんな難しい歌詞の校歌を、しかも他校の生徒が歌い出したことに驚いて、
私はしばらくその生徒を眺めていました。
なんと彼は、本校の校歌を見事に歌いきったのです。
校歌が終わり、彼は整備に遅れまいとグラウンドに降りようとしました。
私は思わず無理矢理に、急ぐ彼の袖をひっぱり、本校の校歌を歌えるわけを尋ねました。
「何回も聴いているから自然と覚えました。意味はさっぱり分からないけど、いい校歌ですよね」
そう言い残して、彼は走り去って行きました。
それだけの話です。

それでも私はとても嬉しく幸せに感じ、この時、本校の「伝統」を強く意識したのです。
本校の校歌は、金城高等女学校の校歌として、大正13(1924)年に制定されました。
ですから、それ以来、多くの生徒たちによって、80年以上も歌い継がれてきたことになります。
ここに、本校の七五調の格調高い校歌と、その意訳を載せたいと思います。
未熟な私の拙い訳です。
間違いやご指摘がありましたら、メールやお便り等でお知らせください。

遊学館高等学校校歌

八波則吉先生 作詞   大西安世先生 作曲

植ゑけむ人も なつかしや         いったいどのような人が植えたのだろう
庭の姫松 年毎(としごと)に        その校庭に植えられた姫松が年を追うごとに
弥栄(いやさか)えゆく 学びやは     ますます繁っていくように我が校が栄えゆくのは
名も*金城の 揺るぎなき         その名も金城のように堅く揺るぐことのない
*徳の礎 あればこそ            徳の礎があればこそである

*桃李(とうり)言はねど おのづから   徳のある人のもとには人柄を慕って
下蹊(したこみち)成す 習ぞと      自然に人々が集まってくるものだと
教の君の 言の葉の            教えていただいた先生のお言葉のように
末は紅葉と 照り映ゆる          ゆくゆくは紅葉と光り輝く
錦心に 飾らばや              錦のように美しい徳で心を飾りたい

万花の春に さきがけて          多くの花が咲き誇る春に先だって
清き香放つ 白梅の            清らかな香りを放つ白梅のような
高き操を 則(のり)としつ         気高いまでの志を手本としながら
知徳を磨き 体を練(ね)り         学問に励み身体を鍛え
皇御国(すめらみくに)に 尽さなむ   我が祖国に貢献したいものだ

*金城(守りが堅固な城。)    
*徳(修養によって身につけた、すぐれた品性や人格。)
*桃李…下蹊成す(「史記-李将軍列伝」にある「桃李言はざれど下自ら蹊(こみち)を成す」に拠る。
「桃やすももは何も言わないが、その果実に誘われて人が集まってくるので、その下には自然と小道ができる」との意味。
転じて上記訳。