2017年5月18日 (木)

【第478回】 掃除部リターンズ辻元 友視 (英語)

以前の私のブログに書きました「遊学館高校掃除部」、知っている方のほうが少ないとは思いますが、ちゃんと活動を続けています。2年前、3年生2人と教職員数人で始めた掃除部ですが、当時の3年生が卒業してからは、部員が0になってしまいました。それでも、彼女たちが作ってくれた良い流れを絶やすまいと思い、時間があるときに教職員数人で学校を掃除していました。
 そんなある日、「先生掃除しとるけど、何か悪いことしたん?」「うちら暇やから手伝うよー」と2人の女子生徒が一緒に掃除をしてくれました。それからその2人は、何かあるたびに一緒に掃除をしてくれるようになりました。そして「掃除って案外いいもんやねー。先生掃除部作ってやー」と奇跡とも言える発言から、新生掃除部が約1年前からスタートしました。顔も知らない2人の先輩の、「掃除は自分から」という思いを、思いがけない形で引き継ぎ、今も掃除部は続いています。恥ずかしながら、教職員数人は忙しさにかまけて掃除部の活動に参加できない日が続いていますが、2人の部員は毎週職員室に来て、「先生掃除するよ!」と声をかけてくれます。普段生徒を指導する立場の私たちですが、このように生徒たちに教えられたり、元気づけられることも多いです。掃除部とは関係ありませんが、去年の生徒会の子たちは、学園祭を自らプロデュースし、大人を巻き込んで学園祭を見事大成功に導いてくれました。そんな大人をも巻き込んで動かす「大きなエネルギー」を、遊学館の生徒たちはみんな持っているのだなと感じます。
 伝統というには浅すぎる掃除部の活動ですが、生徒たちの思いは続けていれば誰かがちゃんと引き継いでくれるものだと信じています。遊学館高校のみなさん、校内で掃除部を見かけたら、ぜひ一緒に掃除しましょう!

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2017年5月11日 (木)

【第477回】 「変化」T. M. (英語)

前回は勉強のことについて書いたので今回は部活のことについて書きたいと思う。

私が男子テニス部の顧問をはじめてちょうど1年くらいになる。
1年前、テニス部を担当することになった私は初めて練習を見に行くことになった。私が行くと数名の生徒がおり、挨拶をしてきた。しかし聞いていた部員数と数が合わず、数名がコートでラリーをしているだけだった。しかも平然と遅刻してくる生徒(当時の部長)もいた。自分が高校生だったころの部活は遅れただけで先輩や顧問の先生に怒鳴られ、無断欠席をした際には次の練習に参加すらできないこともあった。そのイメージで部活を見に行った私にはテニス部の現状がとても衝撃的だった。しかも活動日も不定期でそのつど決めているようで、部活といえるのかあやしいものだった。私はテニスにまったく関わったことがなかったが、せっかく部活としてやるからには1つでも多く勝てるチームにしたいと考え、少しずつテニス部を変えていこうと思った。

初めに部活の活動日を明確にすることと出欠状況の確認を徹底させるようにした。練習は日曜以外の毎日行い、出欠の状況は必ず報告させ、部長と副部長に転記をさせた。そうすると無断欠席を続ける部員で辞めていったものも多かったが精鋭されたメンバーが残った。
夏になると金城大学へ行き、毎日のように練習をした。暑い中声を出させ、必死に走らせた。毎日こつこつと練習を積み重ねていくと少しずつではあるが変化が出てきた。今までは入らなかったサーブが決まるようになったり、ストロークにスピードがでてきたりと初めに部活を見たときの彼らとは別人のようだった。
そして夏休みに行われた地区大会の予選では小さいトーナメントでシングルスでは6人が決勝まで勝ち進み、そのうちの1人が本戦出場を決め、ダブルスでも1ペアが本戦出場を決めた。4月以降に取り組んできたものが一番結果に現れた大会だった。

この1年を改めて振り返ると、まだまだ未熟な部分が多いが部活として成長できたと思う。
初めに考えた1つでも多く勝てるチームという軸をぶらさずに今後も変化し、結果が出せるチームにしていきたい。

2017年5月 4日 (木)

【第476回】 「人生は摩訶不思議」T. E. (国語)

『将来は先生だけにはならないだろうなぁ…』
 ほんの数年前、私は授業中にそんなことを思う高3女子でした。それが現在、自分がみんなの前で授業をしている。「はて…先生になるキッカケはなんだったかな?」なんて、先日ふと思い返すと、私の人生には教師の道を選ぶ分岐点が2回ありましたよ。今回は、その分岐点となった出来事についてお話ししようと思います。

 分岐点1つ目は、高3の夏休み。キッカケは母の一言でした。
 その夏、将来の夢も決まらず、ただ目の前のことをエンジョイするのに必死だった私に、母が「この大学の学部面白そう!ねぇ見に行ってみようよ」とオープンキャンパスに誘ってくれた。「えー」と全く乗り気じゃなかった私でしたが、そこで「図書館司書」という職業を知り、衝撃を受けたのを覚えている。なぜなら、本が好きだった私はそんな職業があるなんて知らなかったから。
 『ウワーーこれだ!この仕事がしたい!よし、この大学目指そう』
 夏休み明けすぐ、進路変更を申し出た私の将来の夢は、この時点では「図書館司書」でしたが、母のこの一言がなければ今の大学を選ばなかったかもしれませんでした。

 分岐点2つ目は、大学2年から友人に誘われボランティアに参加したこと。実はこれこそ、私が「教師」という職業を意識し始めた1番のキッカケでした。毎月泊まりで自然の家に行き、子ども達と一緒にパンを生地から作ったり、いかだを作ったり、鬼ごっこで転げまわり草の味を噛み締めたり…。初めは、「ふーん、行ってみようかな」ぐらいの気持ちしかなかったボランティア。しかし、何度も参加する内に、その魅力に引き込まれました。
 中には、接するのが難しい子ども達もいて、どうしたらいいのか悩んで眠れない日もありました。それでも3年間ボランティアを続けられたのは、一緒に過ごした子ども達の笑顔。どんなにヘトヘトに疲れていても、彼ら彼女らの笑顔を見ると不思議と元気が湧いてきました。
 『そうか、教師の仕事もいいのかもしれない…』
 友人が誘ってくれたボランティアに、もし「行かない」と答えていたら、私は「図書館司書」になっていたかもしれません。「ためしにやってみるか!」という気持ちは、大事だとしみじみ感じました。

 これを読んでくれている人の中には、「まだ将来のことなんてわからない」という人もいるかと思います。でも、焦らなくても大丈夫。高校生の自分が「教師になる」という道を考えもしていなかったように、いやーまったく「人生」っていうのは、本当に何が起こるかわかりませんね。
 だから、これから体験する出来事、これから自分が感じることから、どうか目を離さないで。
 いまみんなが持っているどんな小さな感情も、必ず自分の人生の糧となります。

 「こんなの役に立たない」と思っていたことが、案外役に立つかもよ!
 そんな「摩訶不思議な人生」焦らずのんびり行きましょう!

2017年4月27日 (木)

【第475回】 努 力 の 壺Ta. Y. (英語)

 みなさんは「努力の壺」の話を聞いたことがありますか?
 私自身いつどこで、この話を知ったのかは覚えていません。 自分が生徒だったときに授業中に聞いたか、息子の道徳の教科書で読んだかでしょう。その時も「いい話だな」と感じましたが、最近英語の文章で同じような内容を読み、国が違っても努力する苦労やそれに対する考えは同じだとしみじみ思い、ここで紹介したくなりました。

 「私達は、何かを始めようとするとき神様からつぼをもらいます。そのつぼは・・」
この話はこの文章から始まりますが、例えば「勉強」に関する「努力の壺」が目の前にあるとします。子どもがすっぽり入ってしまうくらいの大きな壺です。
その壺には「テストで80点以上取りたい」という札が付いています。勉強するたび壺にはコップ1杯の水が入れられます。つまり「コップの水」=「努力」なのです。最初のうちは水を入れても入れても、水が増えている気配すら感じられません。どれくらい水がたまったかを確認したくても、壺の口が小さいので見ることが出来ません。
 人間には弱い心があります。
途中で、「どんなに努力しても全く進歩しない!」 「こんな事自分にむいてないのでは?」「無駄だしもうやめよう」と自分自身の努力に疑問を持つようになります。そして終には壺に水を入れるのをやめてしまうのです。
 人間には強い心もあります。つまり弱い心を克服できる人がいます。
「自分にむいていないのでは?」という悪魔のささやきに負けず、初心を貫ける人です。
毎日コップで水を入れていると、あるとき、水の音が変わってきたことに気付きます。水を入れたときに音がするのです。その音でちゃんと水がたまってきていることを知るのです。
 こうなってくると、コップで水を入れるのが楽しくて仕方ありません。「確実にたまってきている」と実感できたことで、今まで1杯入れるのがやっとだったのに2杯3杯の頑張りを惜しみなくできるようになります。
 ここまでくると、努力を頑張りとは感じず、生活の一部として取り組むことができるようになります。そして、いつかは壺から水があふれ出す時が来ます。このとき初めて努力の大切さを知ることができるのです。
 今は4月。新学年スタートです。努力してみませんか?

2017年4月20日 (木)

【第474回】 古い色紙T. Y. (英語)

 今年遊学館高校に戻ってきました。新任式で挨拶させていただきましたが、実は「新任」ではなく「再任」です。

 十数年前、私はこの遊学館高校で教員としてのキャリアをスタートさせました。しかしそのときはそれほど教員という職業に思い入れがあったわけではなく、もちろん経験もなく、右往左往しながらの毎日。そんな私を周りの先生方や明るい生徒たちが助けてくれましたが、悩みの種のクラスが一つ。「授業中話を聞いてくれない…」毎回ため息をつきながら授業から戻ってきたものです。

 ある日、その年に結婚した私に同じ職員室の先生方がお祝いメッセージを書いた色紙を下さいました。そのプレゼント自体がpleasant surpriseだったのですが、真ん中に書いてあるイラストとメッセージを見て目を見張りました。「話を聞いてくれない」と思っていたクラスの中でも特によく注意をしていた女子生徒二人からのものでした。

「先生の授業はとても丁寧で生徒たちに優しくふるまっていただきありがとうございます」

 そんなふうに思ってくれてたのか。じわーっと心が暖かくなりました。退職してからも、町で「先生、覚えてる?」と満面の笑みで声をかけてくれたのはそのクラスでよく注意した別の男子生徒。授業中の様子だけでは分からないみんなの顔。あの1年間は生徒のみんなに成長させてもらった気がします。

 色紙は今も大切に部屋に飾ってあります。出産を経てもう一度仕事を始めようとしたとき、その色紙の思い出がなかったらきっともう「教員」という職業には就いていなかったでしょう。久しぶりに遊学館に戻ってきて、以前よりももっと元気で明るい生徒たちの声が響いていると感じます。またここでいろんな生徒たちとの出会いがある。そう思うと心の底からわくわくしています。