【第741回】「還暦を迎えて」K. Y. (国語)
干支で言うと寅年の今年、私も晴れて還暦を迎えることになります。中原中也の詩「頑是ない歌」の一節に「思えば遠くに来たもんだ」とありますが、高校生の十代半ばで、このフレーズを耳にした折、なにか『はるかなる人生の厚み』というものを感じ取っていました。ここで第一連から第四連まで抜粋してみると、
(頑是ない歌)
思えば遠くに来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ
雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいづこ
今では女房子供持ち
思えば遠くに来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど
となり、このあと第9連まで続きます。
私は地方の港町で生まれ育ちました。十二歳・寅年の冬はまさに、汽笛の音に竦然として雪降る街を彷徨し、母の愛に守られていた、そういう時代でした。おとなになれるなんで思いもしなかった。けれど、たまに響いてくる汽笛の音は、遠くの街、遠くの未来へつながっている、そういう期待もありました。
二十四歳・寅年の冬、都会の片隅で彷徨していました。竦然と雑踏の中でもがいており、希望の道に進むには能力も乏しく、さりとて鍛錬することもなく、電車の音に身を任せていた、そんな時代でした。ただ、思いがけない旱天慈雨の出会いもありました。加藤晃現学園長との出会いです。このことが現在の私につながってきます。
あれから36年、還暦、人生6度目の寅年がめぐってきました。彷徨しているのは相変わらずですが、それほど人の道を踏み外すことなく歩んで来られたのは、ひとえに金城学園のおかげだと思っております。
おかげさまで、生徒に教えられ育てられ、それなりに成長をしながら、有意義な人生を送ることができたと実感しています。一期一会の人生、かかわってくれたクラスや部活動の卒業生並びに在校生には感謝感謝感謝です。
思えば遠くに来たもんだ さあれど
遊学館の隆盛が励みの 一つの生きる指針はできました。
とくにたくさんの思い出を作ってくれた 硬式野球部 応援しています。頑張れー!!!