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2015年1月 8日 (木)

【第360回】 君かと思いてM. M. (国語)

 最近は、君かと思いて、という言葉に胸打たれることが多いです。この言葉は昭和時代の映画の題名にとられていたそうで、中学生だったころの夫は、よくおぼえているというのです。
 先月、二学期の古典の学習は、「万葉集」を選んでいました。この「君かと思いて」の出典をみつけることができます。

   帰りける人来たれりといひしかば
   ほとほと死にき 君かと思いて
                <万葉集十五・三七七二>

 ゆるされて帰った人が来ているということだったので、あまりの嬉しさにあやうく死ぬところでした。あなたかと思って。帰ってきたと思った時の歓喜が大きかっただけに、そうでなかった時の落胆の甚だしさが想像される。

 ほとほと死ぬくらい、ドキッとするのです。
 君かと思うのです。
 テレビの前にいても、近くを走る救急車のサイレンを耳にしても、ハッとして、君かと思うことばかりです。自分がそんな年齢になったせいもありますし、この頃の自然災害や人間社会の世相がそうであるからです。
─────人によって、君とは? 老いた配偶者かもしれないし、老いた親かもしれない。
 君かと思いて・・・・私もそう思う自分に気付くのです。

2013年9月12日 (木)

【第296回】 灯火親しむころM. M. (国語)

 暑かった夏が終わり、暦の上では灯火親しんで読書にふける季節が来ているのに、現実はそうでもない。どしゃ降りの雨が山を崩したり、道路を川にしています。

 人間は水から離れては生きられないのに、ある日、突如としてその水が牙をむき、人間に襲いかかるのです。これは恐ろしいことですが、考えてみれば、人間はそんな現実の中で生きているのですね。

 では灯火に親しんで本を読むことにします。

 本を読むのは楽しい。至福のとき、と言ってもいいですね。なぜそんなに楽しいか。それを書いた人と、直接向かい合って、お話を聞けるからです。本を書く人は、自分の思いを、一番いい言葉、一番ピッタリした表現を選びぬいて文章にしています。

 これを味わい取れる。これが至福でなくて何でしょうか。

 さあ灯火に親しみましょう。

2012年5月24日 (木)

【第232回】 「風薫る」M. M. (国語)

 遊学館は金沢の都心にあるのに、この学校へ行くと、私はいつも豊かな森の中にいる思いがします。
 ましてこの五月は新緑が匂い立って、風薫るという言葉がぴったりのいい季節です。私は国語を担当していますから、いつもありきたりの言葉を使わないようにしていますが、時にはそのありきたりの言葉でないと表現できないことがあります。
 この季節の遊学館がそうです。この学校は建学以来百余年ですが、今このあたりを吹き渡っている風は、千年の昔から吹いている五月の風、まさに匂い立つ五月の風ですね。
 この学び舎で青春のひとときを過ごす生徒たちも、教師の私たちも、その風の中にいる。そう思うと、ふと悠久を感じます。

2011年3月 9日 (水)

【第174回】建学のこころM. M. (国語)

 遊学館の二代目、加藤二郎先生は、私の主人の父・庸男(旧姓、島田)の
四高・東京大を通じての同級生であり、友人でした。
浅野川に架かる梅の橋のすぐそばにあった森井家へも二郎先生は時々お見えになり、まだ子供だった主人は、先生のお名前が「にろう」と読むことを知っていました。

 主人の父は、石川師範学校、石川県第一高等女学校の教師をしていましたが、
二郎先生が、金城遊学館の特色を出すために、リードバンド、バザー、愛犬部、自転車隊などを創設して、
全国に有名になったことを高く評価していたそうです。

 私は縁があって、この学校の教員をさせて頂いていますが、良妻賢母を育てる精神が、ここに脈々と生きていることを、日々感じています。