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2024年1月 4日 (木)

【第816回】「師走の候」K. Y. (国語)

 師走ってよく言いますよね。年暮になってきて、気温も下がりだし雪もちらつき出すと「しわすだなぁ」と、ぽつりと呟いてしまいます。
 師走を辞書で調べてみると、陰暦(旧暦)12月のことを指し、陽暦(新暦)12月の和風月名とでてきます。明治期から新暦を日本では採用し12ヶ月を1月〜12月の数字で表すようになりました。それ以前は旧暦を使用し、12この和風月名で各月を表現していたんですね。
 ちなみに、列挙してみると睦月(1月)、如月(2月)、弥生(3月)、卯月(4月)、皐月(5月)、水無月(6月)、文月(7月)、葉月(8月)、長月(9月)、神無月(10月)、霜月(11月)、師走(12月)となります。
 こうして月名を並べてみると、時の移ろいや季節感が感じられて、特に令和の時代を生きている高校生には、お洒落で可愛く感じられる表現かなとも思います。
 女の子の名前でもやよいちゃんとかさつきちゃん、はづきちゃんと生徒の中にもいて、名前を呼びながら親御さんの命名時の思いなどを感じてしまいます。
 さて、師走の候、校内では期末テスト、通知簿渡しからの冬休みと、年暮に向かってまっしぐらに突き進んでいく雰囲気となっています。
 特に三年生は、大学入試に向けて「師走の忙しさ」を感じ入る間もなく、苦しみあえぎながら、人生を懸けて自分を追い込んでいます。
 彼らの高校生活の集大成が成功体験で終わるよう、ひとえに応援、叱咤激励に勤しむ師走の候であります。

2022年8月 4日 (木)

【第741回】「還暦を迎えて」K. Y. (国語)

 干支で言うと寅年の今年、私も晴れて還暦を迎えることになります。中原中也の詩「頑是ない歌」の一節に「思えば遠くに来たもんだ」とありますが、高校生の十代半ばで、このフレーズを耳にした折、なにか『はるかなる人生の厚み』というものを感じ取っていました。ここで第一連から第四連まで抜粋してみると、

 (頑是ない歌)
 思えば遠くに来たもんだ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気は今いづこ

 雲の間に月はいて
 それな汽笛を耳にすると
 竦然として身をすくめ
 月はその時空にいた

 それから何年経ったことか
 汽笛の湯気を茫然と
 眼で追いかなしくなっていた
 あの頃の俺はいまいづこ

 今では女房子供持ち
 思えば遠くに来たもんだ
 此の先まだまだ何時までか
 生きてゆくのであろうけど

 となり、このあと第9連まで続きます。
 私は地方の港町で生まれ育ちました。十二歳・寅年の冬はまさに、汽笛の音に竦然として雪降る街を彷徨し、母の愛に守られていた、そういう時代でした。おとなになれるなんで思いもしなかった。けれど、たまに響いてくる汽笛の音は、遠くの街、遠くの未来へつながっている、そういう期待もありました。
 二十四歳・寅年の冬、都会の片隅で彷徨していました。竦然と雑踏の中でもがいており、希望の道に進むには能力も乏しく、さりとて鍛錬することもなく、電車の音に身を任せていた、そんな時代でした。ただ、思いがけない旱天慈雨の出会いもありました。加藤晃現学園長との出会いです。このことが現在の私につながってきます。

 あれから36年、還暦、人生6度目の寅年がめぐってきました。彷徨しているのは相変わらずですが、それほど人の道を踏み外すことなく歩んで来られたのは、ひとえに金城学園のおかげだと思っております。
 おかげさまで、生徒に教えられ育てられ、それなりに成長をしながら、有意義な人生を送ることができたと実感しています。一期一会の人生、かかわってくれたクラスや部活動の卒業生並びに在校生には感謝感謝感謝です。

 思えば遠くに来たもんだ さあれど
 遊学館の隆盛が励みの 一つの生きる指針はできました。
 とくにたくさんの思い出を作ってくれた 硬式野球部 応援しています。頑張れー!!!

2021年2月11日 (木)

【第667回】 「コロナ禍の日々」K. Y. (国語)

 旧年度から思い起こすと、3年生が三学期の自宅研修時期に入ってから、金沢での感染がさけばれるようになり、ハレの日であるはずの卒業式まで、簡略化に簡素化を重ねた式典となってしまいました。
 式典での呼名も略されてしまい、感染がおこっては一大事とばかり、式典後のロングホームも縮小して、三年間の日々を語らい合う時間も奪われ、 卒業していく三年生には申し訳ないと思ったものです。
 あれから一年近くが過ぎ去り、現在は二年生の担任をしております。春休みに続く長い休校期間を経て一学期が始まりました。夏休みもお盆近くまでの授業でしたが、それでもある程度の通常授業ができたことで、学校行事はかなり削減されましたが、ほっと一息つけたお盆休みでした。
 そして、お盆明けすぐの二学期始まり。当初の最悪想定されたような再度の休校もなく二学期自体は順調な学校生活を在校生は送れた感じがいたします。全員がマスクをしての教室での日々ですが、授業での真剣な眼差しや、休憩時間や昼休みの笑顔で和らいだ目元は、それぞれの健康状態が順調で学園の中も活気で満ちているように感じられました。
 年もあけて三学期。感染拡大が顕著で、緊急事態宣言も各地で発令され、生徒の眼差しも少し深刻感を増してきました。このあと三学期末試験や卒業式と通常でも緊張感のある日々となるのですが、通常通りの日程で過ごせるのか少し心配です。
 ただ、コロナ禍のこの一年を通して、生徒間の結びつきは強くなり、また互いを思いやる心遣いも細やかになってきているようです。生徒同士の気遣いの繊細さには大人の方が学ばされる日々で、残りの三学期を元気よく活気に満ちた学園生活であるよう期待している今日この頃です。

2018年4月26日 (木)

【第526回】 「青春ていいな」K. Y. (国語)

 映画で『ちはやふる 結び』を見てきました。高校で「競技かるた部」を作り、仲間を募って全国の舞台に挑んでいく「ちはや」という女子生徒が主人公のお話です。三部作構成の映画で前作の「上の句」「下の句」も鑑賞しました。
 一言で言うと、いと面白かったです。
 あたりまえですが、人生の中でいちばん多感な時期は十代の後半かと思います。なんでもない日常が色づいていて、それこそ泣いたり笑ったり怒ったり寂しがったり。
 部活動を中心の高校生活の一生懸命さに感動したり、友情や恋愛との葛藤も表現されており、「きずな」ということがテーマの作品なようであります。
 千年の昔の百人一首の世界と現代とがつながっているようにも感じられました。
 古典を学習していて文法中心で面白くないし、作品内容も興味をそそられないと常日頃雑感していますが、共感とつながりが感じられたら、私も古典を好きになることがあるかなと、この映画を見てふと思った次第です。
 あと、部活動ってほんとにいいものですね。なにをやっても正解のないのが高校生の頃であり、悩んだり迷ったり悔やんだり。ただ、それも同じ目標をもった仲間とともに過ごせることで、振り返れば良い思い出であり、人生の肥やしになるような気もします。
 まだ、部活動選びに迷っている1年生がいたら、どのクラブでもいいと思います。
 「きずな」を求めて飛び込んで見て下さい。

2016年11月24日 (木)

【第453回】 「小論文について」 K. Y. (国語)

 個人的には一般入試受験だったのですが、第一志望の大学が小論文、英語、日本史の受験でずいぶん小論文の点数におんぶにだっこで恩恵を受けた覚えがあります。
 小論文の勉強といっても、これといってした覚えはありません。ただ、当時の読書量については誇るものがあった感があります。新聞はもちろん毎日読んでいましたし、普通の小説は小学校以来、月ベースで数十冊は読破していたと思います。
 書く練習といっても、当時の自己表現の術が文章だったので、雑記帳にあることないこと日記のようにして書いていたものでした。
 とどのつまり、小さい頃から毎日小論文対策の日々を送っていたような気がします。
 
 推薦入試やAO入試の盛んな今日この頃ですが、入試2ヶ月ほど前になって小論文を見て下さいと言ってくる生徒がたくさんいます。正直、数ヶ月小論対策の勉強をしたところで書く能力が向上するとは思いません。
 ただ、その時点で持っている文章力を100%発揮することは可能です。新聞のコラムをみっちり読んで、数百字とかで要約する練習を、毎日2時間程度行えばかなり小論文対策になると思います。
 いずれにしろ、一般入試を含めて、楽して大学に入るのではなく、一所懸命に生涯最高の受験勉強をして合格されることを祈っております。
 合格という結果はもちろん大事ですが、受験勉強というプロセスは今後の人生に生きてくると思います。

2014年2月 6日 (木)

【第317回】 立春大吉(2月4日)K. Y. (国語)

 現在、三年生は期末考査中。外は雪景色ですが、暦上は今日が1年間で寒さのピークの日で、この立春を境に、徐々に春の訪れを感じることになります。
 最近、季節感を感じることも少なくなりました。今日は一般常識のお復習いで、二十四節気の一部を紹介します。

(春)
   立春 2月4日ころ 暦の上で春に入る日。
   啓蟄 3月6日ころ 冬ごもりしていた虫たちが、地上に出て活動を始める時分。
   春分 3月21日ころ 昼と夜の長さが等しくなる。
   穀雨 4月20日ころ 植物、穀物を育てる春雨の降る時分。

(夏)
   立夏 5月6日ころ 暦の上で夏に入る日。
  芒種 6月5日ころ 稲を植える時分。 
  夏至  6月22日ころ 北半球では昼が最も長く、夜が最も短くなる。
  大暑 7月23日ころ 一年中で最も暑い時分。 

 (秋)
   立秋 8月8日ころ 暦の上で秋が始まるとされる日。
   白露 9月8日ころ 秋の気配が強くなる時分。
   秋分 9月23日ころ 昼と夜の長さが等しくなる。
   霜降 10月23日ころ 朝晩冷え込むようになり、霜が降り始める時分。

(冬)
   立冬 11月8日ころ 暦の上で冬に入る日。
   大雪 12月7日ころ 雪が降り続いたり、根雪が残ったりする時分。
   冬至 12月22日ころ 北半球では、一年中で昼が最も短くなる。
   大寒 1月20日ころ 一年中で最も寒さが厳しい時分。

 
 どうですか。半分くらいは知っていたでしょうか。「啓蟄(けいちつ)」や「芒種(ぼうしゅ)」「白露(はくろ)」など、四季の移ろいと人の生活が同化している感じで、素敵な言葉ですね。
 古典で習う語彙で死語となっている言葉が多いですが、こういった自然に根付いた風味ある言葉は現代でも使って欲しいものです。

2012年11月 1日 (木)

【第253回】 一葉散りてK. Y. (国語)

 秋が深まるかと思うと、一気に気温が下がり、冬の到来も間近です。読書の秋と申しますが、この時期になると感傷に耽ったり、しみじみと物事を考えたりと、文化人になったつもりで、自分の人生を振り返ったりします。

 人の一生を季節に例えたりすることもありますが、振り返れば私の年齢を考えますと、盛夏はとうに過ぎて、中秋の候、月を見ながら安穏に過ごしているといったところでしょうか。

 私事ながら、長年一緒に遊び歩いた悪友が、この度、華燭の典をあげるはこびとなりました。年齢も違わず、彼にとっては晩秋を迎える前に、人生の新たな扉が開かれたことになり、誠に喜ばしい限りです。

 私はというと、まだまだ、いろんな扉を開け閉てしては、袋小路に行っては後戻り、まっすぐ進んでいるようで、出発地点に戻ったりと、なかなか思うように進めません。

 思うに、一人ではいつまでも迷子になったままで、家族をつくってはじめて、人は迷わずに人生を歩んでいけるような気もします。
 遊学生の皆様も、これから一人で迷いながら人生を歩んでいくことになると思いますが、ふと、立ち止まって、まっすぐに進みたいと思ったときに、素敵な人との出会いがあれば良いですね。

 青春まっただ中を過ごしている遊学生の皆様が、まぶしく感じられる今日この頃です。

2011年6月29日 (水)

【第188回】最後の夏休みK. Y. (国語)

 働き出してから夙に思うことで「時間がないなあ」と強く感じる。
「読書したい」「映画みたい」「水泳したい」「ぐっすり寝たい」などなど…。

 特に毎日決まったスケジュールで労働していると、
痛切に「非日常」に自分をおきたいと感じる瞬間があり
「旅に出た~い!」と一人ぶらぶら文庫本片手に列車に乗ったりする。

 列車の中で、缶ビール片手に老眼鏡を掛け、文庫本を耽読し、物思いに耽る至福の時間。
最近は便利なもので携帯電話さえあれば、時刻表もいらず、
ホテルも当日予約でとれてしまう。ほんと快適な世の中になったものだ…。

 先週末に久々に神戸に行ってきた。
少年時に自分が住んでいた家の辺りにも行ってみたが、
どうやら震災で倒壊したようで、昔の街並みの面影が全くない。

 親父が働いていた神戸港も散策したが、ポートタワーだけがそびえ立っていた港湾も、
高級ホテルやレストラン街が広がり観光客で混雑していた。

 「赤い靴を履いていた少女が異人さんに連れて行かれた」のは横浜港だったと思うが。
私の記憶の中の神戸港は、いかにもその童謡の歌詞がぴったりの情緒があったと思う。

 今は一人旅にはちときつい場所になってしまった…。

 先生コラムということで、生徒のことにも触れなければならない…。
余暇は何してるのか生徒と会話をすることがある。

 受験勉強、ゲーム、テレビ、ぼおっとしてる、などなど。
特に強いインパクトで「これをしたい」と言ってくる生徒が少なくなったと思う…特に最近の生徒は。

 物資が行き届いて平和惚けしてしまった日本国民の典型だろうか…言い過ぎか…。


 特に三年生、最後の夏休み、勉学に趣味に遊びに、有意義に過ごして欲しいと思う。
大人になったら、ほんとに時間ないし、子供の頃のあの「黄金の日々」は戻ってこないのだから…。

2010年2月10日 (水)

【第120回】三年生のみなさまへK. Y. (国語)

 ご卒業おめでとうございます。
これまでは、小中高とある程度のレールにのった人生で、選択権を行使した経験は多くなかったと思います。これからも、両親や諸先輩、友人からのいろいろなアドバイスがあると思いますが、人生の決定権は君ら自身に委ねられます。

 私事ですが、年に数回卒業生と会って、お酒を酌み交わしながら歓談する場があります。在校中はどなりつけ、親御さんに連絡しては、苦労しながら(本人及び私共々)卒業していった生徒と先年会う機会がありました。

 彼は推薦入学した大学も中退し、暫くは家業のアルバイトをしておりました。これから先どうなるか「やれやれ」と思っていたところ、ある時、連絡があって「就職試験を受けるから面接のポイントを教えてくれ」と言います。

 本人なりに人生の指針が見えてきたようで、その後就職が決まり、現在は勤めた会社で主任さんとしてばりばり頑張っております。暮れに電話したところ「今度また飲みましょう」とのお言葉で、彼のいろいろな成長談が聴けるのが楽しみな今日この頃です。

 卒業生のみなさん、人生の選択を迫られる機会がこれから無数にあります。個人的には大人になって選択ミス(就職・結婚も含めて)ばかりの人生ですが、思うとおりに生きてきたので、それほどの後悔はありません。みなさんもこれからの人生、深く思慮し、自己の決定権を行使しながら固有の人生を歩んでいってください。

 人生は「進取の精神」が肝要であります。

2008年6月18日 (水)

【第43回】香港遊学K. Y. (国語)

 インターアクトクラブ(国際交流・ボランティア)の顧問を20年ほど務め、毎年のように生徒を引率し海外研修に参加した。その際の雑感を述べたいと思います。

 古いことだが、返還の前後の両年に渡り、石川・富山の代表生徒を引率し渡港することとなった。同僚の先生から「ベルリンの壁」ならぬ「香港の壁」のかけらを土産にと頼まれ、見知らぬ異文化に触れる喜びに溢れながら期待して臨む。

 香港空港に到着しての最初の感想は「異様に高いビルが密集しているなあ」ということ。この最初に感じたことが、その後の旅程中に得る感想の核となったようです。

 高層ビル群に象徴される西欧文明の臭いを、この「東洋の真珠」と呼ばれた都市の至る所で感じることができた。アジア諸国の中で、成る程一つの特異性を示していると思われる。

 ただ、不満に感じたのは日本人の旅行客が多いこともあってか、中国の一都市、あるいはアジアの一都市としての文化を感じることができなかったこと。先進的な「文明」はあるけれど、アジア固有の「文化」があまり感じられないというのが、率直な感想として残りました。

 金沢にもどってから思い起こしてみると、世界史の中での香港の役割というのも、直に香港の街並みを闊歩して、少しは理解できたような気がしました。