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2014年3月20日 (木)

【第323回】 年度末ですK. N. (数学)

年度末になり、来年度へ向けて身のまわりの整理をした。
いらなくなったプリントを整理しながら、ちょっと物思いにふける。
気忙しい一年だったような気もするが、過ぎてしまえばそれもいい思い出だ。
整理してみると、今年度は2年生の授業用プリントが多い。手のかかる生徒が何人かいたせいだろうか。

2年生といえば、うれしいことがあった。

3学期に期末試験のテストを返したときのことだ。
2年生の生徒Tが、思ったよりよい点数を取れたらしく、喜んでいる。
ところが、まわりから「勉強してたよね」と言われると、
「あれは勉強したって言わんよ。だって答えを写していただけだし。ちゃんと勉強している人に失礼だから」
というようなことを言った。Tがそんな発言をしたことに、僕は驚き感動した。

Tは1年のときも担当していた生徒で、手のかかる子だった。
数学ができる方ではない。僕の授業で赤点をとったこともある。
1年のころは、ほとんどノートを開かず、教科書すら持ってないこともあった。
でも、2年になって、少し勉強するようになった。
プリントを渡すと、わかるところを埋めるようになった。
「先生、ここ教えて」ときいてくるようになった。
そして、3学期は本当に頑張って勉強していた。
本人の認識では「答えを写しただけ」なのかもしれないけど、答えを写すことだって勉強のうちだ。そして、本当に「答えを写した」だけでは試験で点数を取るのは難しい。
Tは、本人の認識はともかく、まわりがいうように「ちゃんと勉強した」のだ。
Tなりに勉強したからこそ「ちゃんとしている人に失礼だ」という発言も生まれたのだろう。

Tの心の中で何があったのかはわからない。でも、Tの成長をとてもうれしく思う。
来年度、3年生の数学の授業はないので、Tと授業で会うことはもうないのだけど、 きっと、ちゃんと勉強してくれるにちがいない。

 

数学者の岡潔先生が、その著書の中で
「人は極端に何かをやれば必ず好きになるという性質を持っています。好きにならないのはむしろ不思議です。」
とおっしゃっている。
「極端にやる」というのは、たぶん「一生懸命する」とか「夢中でやる」といった意味なのだろうと思う。

新しい季節を迎えるにあたって、好きなことを一生懸命してほしい。夢中になってやってほしい。もし、好きなことがないのなら、夢中になれることを見つけてほしい。

一生懸命すれば、夢中になってすれば、結果には結びかなくても、成長できる。
そして、Tのように、成長したら、またここで会おう。会えることを楽しみにしている。

2014年3月13日 (木)

【第322回】 銀婚式中村 裕行 (地歴・公民)

 プライベートな話で恐縮だが、先日3月11日は結婚記念日だった。年を重ねていくうち3月10日とよく間違えて妻に叱られたが、3年前に東日本大震災が起こってからというもの、3・11は社会的に「鎮魂の日」となり、皮肉なことに私も結婚記念日を間違えることはなくなった。

 今年の結婚記念日は25周年という節目の年でもあった。思い返せば、結婚した1989年も昭和天皇崩御、「大喪の礼」と、社会全体が喪に服していたことを覚えている。これも皮肉なことだが、平成改元で平成元年結婚ということになったため、結婚何年目という計算だけは間違えることなく楽だった(昔、堺屋太一の「平成三十年」という近未来小説を読んだが、その平成三十年ももう間近と考えれば、また感慨深いものである)。

 平成4年、私が現在も携わっている自主講座が生まれた年に、長男が生まれた(当時は生徒会顧問も務めており、学園祭の日に生まれたことから、その年の学園祭テーマが長男命名の由来ともなった)。この年から続いている自主講座は、新年度から「遊学講座」と改称される。多少のモデルチェンジを図りながら、さらに発展させたいと考えている。

 

 年度末、「政治・経済」の授業では、国際経済を扱う。当然、日本の経済状況も紹介されるわけだが、平成になってからはバブル崩壊、「失われた20年」と、文字通り景気のいい話は聞かれなくなった。自分の実体験を交え、昭和の高度経済成長期やバブル景気の映像を生徒達に見せたりすると、それこそ驚いたような表情を示す。不幸にも、平成世代は「ぜいたくを知らない世代」とか、「夢を見られない世代」とか称されるようだ。

 ホームページ管理者という特権を使い、記念日に合わせて思い出話を重ねたが、先日の卒業式に「何か書いてください」と卒業アルバムを持ってきた生徒達へは、「日々に新たなり」と書かせてもらった。混迷の続く時代ではあるが、公私共々、そして遊学館も(となれば、日本も世界も)、夢や希望へ向かって新たな日々を刻めればと切に願う。

2014年3月 6日 (木)

【第321回】 年の初めに考えたことK. S. (国語)

 正月に、うちの嫁が子供たちに「今日はグラタンにする?スパッゲティにする?」だって・・・・私だって、お節がたべたいよ~(姑)  雑誌に掲載されていた記事です。

 おせちは「御節供(おせちく)」の略であり、五節句(正月7日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日)の行事に由来する。奈良時代には朝廷内で節会として行われ、そこで供される供御(天皇の飲食物をいった語)を節供(せちく)といった。そして、この五節会の儀をならって、今日のようなおせち料理が形作られたといわれています。
 おせち料理には長い歴史があったのです。この1年が健康で幸せであることを祈念する思いが詰められているのです。だから、お重に詰められる料理も縁起もので、エビ(長生きを象徴)や昆布巻(健康長寿)、数の子(子宝と子孫繁栄)などなどが、美しく盛られているのです。節日のうち最も重要な正月だから、自然に力がはいるのでは……。

 だから、「お姑さん」、あなたの気持ちわかります。「お嫁さん」わかってよ~!

 私の幼き頃のおせち料理です。煮しめを中心に酢の物、焼き物、数の子、金時豆(我が家では黒豆でなかった)、卵巻、くわい(子供のころは食べられなかった)、ユリ根、練り物、棒だら(これ嫌い)などなど・・・・ です。12月31日の夜、銭湯から帰って、母が一人でせっせと作っていた傍でつまみ食い。おいしっかった~! そうだ、我が家では、正月三が日は、雑煮やご飯を炊くこと以外あまり火を使いません。当時はお店屋さんも正月休みだから、そんなものだと思っていました。調べてみると、そこにも意味があったのです。歳神を迎えて共に食事を行う正月の火を聖なるものとして捉え、神と共食する雑煮をつくるほかは火を使うことをできるだけ避けるという風習に基づくものらしい。(私の母がそのことを理解していたかどうかは・・・・?) 知らず知らずのうちに身についた慣習となっていたようです。

 クリスマスもいい、バレンタインもいい。でもね、ちゃんと祝うべき日は、クリスマスより、バレンタインより、正月だと思う。自然の恩恵を受け生きている私たちの忘れていけない感謝の気持ちが、「風習」となってそれぞれの土地に根付き、それぞれの家庭に伝わっているのだと思う。そんな風に育ってきているんだもの・・・・ やっぱり、正月には、お節料理でしょう。お嫁さん!! 初詣に出かけるでしょう? お年玉が…… なんていっているんじゃないの? お雑煮があって、お節があって、みんがいる。写真で見たようなものでなくていい、あなたらしいものでいいと思う。あなた達が父になり母になった時に、あなた達がその家風を作り上げ、子供たちに伝えていくのだから・・・・
 母が作ったものと、私がそれらしく作ったものとは、大きな違いがあります。それでいいじゃない・・・・私はそう思っています。1年の、人生の節目節目を生活のなかで意識し、大事にしていくことが、豊かな心を養っていくのではないかと考えています。そのことを伝えていきたいと………。

2014年3月 1日 (土)

【第320回】 生徒の成長を通して刑部 純至 (国語)

 月日が過ぎるのも早いもので、この間、新学年がスタートしたと思っていたら、もう卒業の季節になりました。月日が過ぎることと共に、生徒たちの成長の早さも感じています。
 私は男女バドミントン部の顧問をしています。最初の頃は、まずは挨拶などの礼儀から、何から何まで指導してきました。その時の生徒(部員)は、いわゆる「言われたことだけやっている」状態です。
 そんなある冬の日、練習試合で他校の生徒が来校するということで除雪をしているときに、ある部員が「先生、あっちのほうも除雪しますね!」その他の部員たちはその場所に移動しているところでした。移動している部員達からも「バス停はあっちにもあるからこの道からもくるやろ」とか、「マジで完璧にしよ」などなど。。。
 その一つの言葉、誰かのためにと率先して完璧にしようとする行動の中から生徒の大きな成長を感じました。
 自分で考え、行動し、しかもまとめている人に確認を取る。大人でもなかなかできないことを楽しそうに行う部員達をみて、何か深く胸に感じるものがありました。
 なにかの縁でバドミントンを始めて、好きになり、上手くなりたいと願い実行し、負けを知り、また上手くなりたいとより強く願う。(ちょっとつまずくときもあるけどそれは仕方ない!高校生ですからね。気持ちに波があって当然!)そんな部員たちを見て私は逆に学ぶことばかりです。そして、自身も選手たちと同じ目標を持つのです。選手たちに負けず劣らず強い気持ちで。
 部員だけではありません。担任として持っているクラスの生徒、教科を担当しているクラスの生徒など、関わっている生徒全員の成長を感じます。
 もちろん卒業を迎えた3年生も同じです。私は2年間同じクラスの教科担任を勤めました。2年生のときから今まで、いろいろな会話をするなかでたくさんの「成長」をみました。高校生の成長ののびしろというものは計り知れないものだと感心しています。
 私は、彼、彼女たちから励まされます。転んでも転んでも立ち上がろうとする生徒たちを見て、私自身が学び、頑張らないと!と思えるからです。

 最後に、3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。
 皆さんが楽しく、素晴らしい、充実した、人生を送れるように祈っています。皆さんが行く道も、皆さんが抱く夢も無限大!常にとは言えないかもしれないけど、なるべく素敵な笑顔でいてください。