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2011年4月27日 (水)

【第180回】挑戦植木 大 (保健体育)

Viewimg_3 新聞等で知っている人はいると思いますが、今年度から新たな挑戦が始まりました。
実は自宅にて、小学生2名をあずかることになりました。
一人は愛知県、一人は石川県の鳥屋から親元を離れやって来ました。
二人は卓球選手で、どうしても「日本一」になりたいと高校での練習に参加しています。

 正直、私も家族も最初は戸惑いました。
私の家族は妻と子ども3人の5人家族です。
これが7人家族になるということ、一番の成長期である小学生をどう躾して行くかということ、卓球においても順調に伸びるかはわかりません。
周りからの賛同や批判もありました。
色々とありますが…
最後は二人の気持ちとご家族の気持ちに答える形になりました。
もちろん、私自身もオリンピック選手を育てたいという目標があり、この年代から指導出来る事はチャンスだと考えています。

 共に生活して、一か月が過ぎました。
今では7人家族にも慣れ、慌ただしい毎日を送っています。
小学校の宿題を毎日させるのは格闘ですが(笑)

 これから大変なことが多々あると思いますが、目標に向けて努力していこうと思います。みなさんも是非、応援してください!

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2011年4月20日 (水)

【第179回】青春!I. I. (国語)

 昨年度、2年文系進学のクラスを担当して、
 様々な生徒がいて、 非常に充実した1年でした。
 彼らを見ていて、感じたことを、言葉を借りて表現してみます。

 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のやうに、
 地面(じべた)を速くは走れない。
 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のやうに、
 たくさんな唄は知らないよ。
 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。
      金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」

 勉強一筋他には目もくれず わが道を行くこと ああ、それが青春
 スポーツこそ男の根性づくりだ やれサッカーやれ野球一年中真っ黒 ああ、それが青春
 孤独になってひとりで悩み ひとりで考えること ああ、それが青春
 自由気ままに思った通り 何でもやってみること ああ、それが青春

 さて青春とはいったい何だろう
 その答えは人それぞれでちがうだろう
 ただ一つだけこれだけは言えるだろう
 僕たちは大人より時間は多い
 大人たちよりたくさんの時間を持っている

 この貴重なひとときを僕たちは
 何かをしないではいられない
 この貴重なひとときを僕たちは
 青春と呼んでいいだろう
 青春は二度とは帰ってこない
      吉田拓郎「青春の詩(抜粋)」

 今年度は、ほとんどの生徒を持ち上がり、3年5組の担任となりました。
 生徒の一人一人が、孤独になり、悩み、苦しんでも、
それらから逃げることなく、自分自身をしっかりと見つめ、考え、自分を信じて、
何とか答えを出して欲しいと思っています。
 そして、生徒たちが、青春を謳歌し、それぞれの目標を達成できるように、
心を込めて応援していきたいと思います。

2011年4月13日 (水)

【第178回】人間が地球・自然を想定するには…I. K. (理科)

 子供の頃から、ずーっと疑問に思っていること、まだわからないことがいっぱいある。
そのひとつに「真実」「本当」という言葉。
本当って何??何が本当で、何がうそなのか、と。

 私は、終戦1年後、富山県の高岡市で生まれた。
実家は古城公園のそばで、庭は公園の堀につながっていた。(今は違う)
子供時代は近所には子供がたくさんいて、皆で隣近所の家を我が家のごとく入りびたり、
走り回り、近所のおばちゃん、おじちゃんにも可愛がられていた。
もちろん、いたずらをして叱られた記憶もある。

 でも、一人でいるときも大好きであった。庭は楽しかった。
公園の堀につながっているので、堀の草カメが庭に卵を産みにきたこともあった。
庭石の孔にいっぱい小さいヘビがいたときは驚いた。トカゲの卵はたくさんあった。
直径約1cmの楕円形。やわらかくポンポンはね、ナイフで切ってみると中に小さな子トカゲがいた。

 そして、一番楽しかったのは、蟻の行列を眺めていたときだった。飽きもせず、何時間も。
 時々、意地悪をして障害物を置いてみたり、巣をほじくってみたり…。
バケツの水を巣に入れ、慌てて出てくる蟻を見ていた。

 今から、思うと、なんとひどいことを、したんだろう。
 そして、いろいろ考えていた。
 「ひょっとして、この蟻さんは私かも?」
 「蟻が私だったら、この大きな意地悪な生物はなんだろう?どう思っているのかな?」
 「水におぼれている蟻さん、可哀想だな…。何にも知らず、ただ、一生懸命歩いていただけなのに…」

 …それから、それから…
 生物にとっての、相対的な大きさの違い、時間の長さの違い、
生きてる時代の違い、違いってみんな違うんだな。
 なんて事を、いろいろ考えていた子供時代を思い出しました。

 大人になって、こんなことを学び、そして今、生徒達に、こういう話をしています。

 地球が誕生して約46億年。
38億年前に海で生命体が誕生し、最初の約30億年は単細胞生物の時代であった。
 約6.7億年前に多細胞生物が出現し、生物の大量発生や、絶滅の時期を経て、
古生代、中生代、新生代、そして現代に至っている。
 この地球生態系の中、温度や光などの無機的環境は、絶えず変化しているが、
生物の種類や数は長期的には、ある範囲内に収まっていて、バランスを保っているように見えていた。
 しかし、約500万年前、高い知能を持つ人間が出現した。
最初の人類は農耕と採集を主とする、他の生物と同じように生態系における消費者として、
自然と調和のとれたものであった。
が、その後、人類は農耕の技術や放牧の方法などを生み出し、
独自の進化を歩み、次第に生態系を作り変えるようになっていった。
 さらに、現在、人口の急激な増加、それに伴う大量のエネルギーや物質の消費により、
次第に地球は、疲弊していった。
 そしてようやく、人間は、人類の生活と地球環境との調和、自然環境の保全を考えようとした、と。

 その矢先、この3月11日に東日本大震災が発生した。
大地震、大津波、原子炉破壊。連日のテレビの報道は、惨憺たるものであった。
でもその後の、復興に向けての被災者の忍耐強さ、
謙虚さ、気使いの心に驚かされ、日本人魂を感じた。
しかし…原子力に関しては…一般人には、何もわからない。ただただ、怖いとしか。
そして、いろいろな風評が流れている。
テレビを見ていて、この言葉がよく使われていた。
 「想定外」の大地震。「想定外」の大津波。「想定外」「想定外」と。
 誰が定めた想定?なのか。  
 想定外とは…辞書で調べてみると「想定」はあった。
「状況・条件などを仮に決めること」と、書いてあった。
 想定外はなかった。

普通の人間にとっての
 時間のスケール…人間の想定できる時間は、生まれてから死ぬまでの約80年。
             1000年前は大昔、100年前も昔、それ以前は、わからない。
             本で勉強して、へー、そうなんだ、って思うだけ。
             恐竜が生きた時代、約3億年、わからない。何しろ人間は500万年。
             一人一人の人間は、30~40年前は大昔と思っている。
             地震が起こるプレートの動きも万~億年の単位である。
             この地震で、震源付近の海底が3m隆起し、24m移動したという。
             何万年かかっての、プレート内部のエネルギーの解放だろうか。

 長さのスケール…キロ、ミリまで。マイクロぐらいになると、ほとんど、無理。何しろ見えない。
             肉眼で見える分解能は0.1mm、光学顕微鏡では0.2μmといわれている。
             ナノは当然無理。可視光の範囲、可聴音の範囲は本当に狭い。

 これですべてが、真実が、分かるはずはない。
 人類は本当に他の生物に比べ、一番高い知能を持っているのだろうか?
 人間は、暗い部屋の小さな穴から外(宇宙、地球)を見て、見える範囲だけ、聞こえる音だけが、
全世界だと、真実だと勘違いしている、のでは??
 人類は、自然に対してもっと、謙虚に接していかなければいけないのでは。

 こういうことは、今までに何度も授業中に、言ってきました。
高校生はここまで、学んでいます。
 何も、進学だけが目的の授業ではなく、正しい知識を持った大人になって、
自分の子供を大切に正しい方向に育ててほしい、と思っています。
 これが、私の信念です。
 我々はやっぱり人間ですもの。若い人々の明るい未来を望んでいます。
 私にできること…今まで通り、一生懸命、授業することかな。
 …と、思うこの頃です。

2011年4月 6日 (水)

【第177回】新入生・在校生のみなさんへ松田 淳 (地歴・公民)

 新入生・在校生のみなさん。
この春休みはどのような生活を送っていますか。

 スタディーサポート試験対策の問題集を日々消化していますか。
何回も何回も取り組むことが大切です。基礎・基本を甘く見てはいけません。

 新入生のみなさん。
この“先生コラム”は生徒諸君の高校生活へのエール、生き方・在り方のアドバイス、
先生たちの体験談・考え方など真っ向勝負としての生の声です。
作られている先生方はあたかも目の前に全校生徒、
クラスの生徒、部活の生徒がいるかのように語りかけます。

 授業の合間に、また放課後の職員室などでカタカタとキ―を叩いています。
時には新聞を片手にその時代の事件やニュースを通じての感想や
そこから学ぶべきことを生徒の皆さんとともに考える材料として発信している例もあります。
今回は一緒に考えてほしい事件についてです。
 この先生コラムに鎮魂の願いも込めて、刻みつけ、後世に残したいと思います。

 2011年3月11日(金)午後2:46頃、東北三陸沖を震源に
国内観測史上最大のマグニチュード9.0の地震が発生(のちに「東日本大震災」と命名)。
その地震と発生した大津波による死者・不明は2万8,000人超、
避難18万人超となり未曽有の被災となった(発生19日後、3月29日現在)。

 全国各地から自衛隊・消防・自治体職員、
ボランティアのみなさんが駆けつけ東北を助けるために日々奮闘している。
昨年まで本校に通っていたカナダからの留学生、
アシュリーさんは応援メールを寄せてくれた。
現在通っている大学で友人を誘って熱心に募金活動に励んでいるとのこと。
彼女の日本への応援メールには“共同体としてとして助け合って…”という一文があった。
まさに生まれも育ちも違う人々が駆けつけ、
国籍が違う人々が海の向こうから東北に心を寄せてくれている。

 この大震災を通じて学ぶべきは、苦しみも哀しみも励ましも、さまざまな思いや境遇、立場をわが身に置き換え想像しながら、すべて心を共有することではないだろうか。
東北の人々に笑顔が戻るまで「共有し続ける」ことが共同体として助け合う次なる行動を生むのではないだろうか。
3年、5年、10年かかっても忘れることなく「共有し続ける」ことである。

 学校生活においても「共有」という考え方はとても大切である。
友人の苦しみも哀しみも励ましも、さまざまな思いや境遇、立場をわが身に置き換え想像しながら、すべて心を共有することができるか。
優しさ・思いやり・感謝する心は誰もが奥底に持っている。
それらは心を共有することによって、行動として表現されるものである。

 「共同体」「共感」「共有」…すべてに「共に」という行動が示されている。
再び新しく始まる遊学館での学校生活。
クラスでの授業・放課後の補習や部活動は、先生や友人たちと「共に」という行動が基本となる。
苦労も喜びも悩みも「共に」味わう。“学校”というものは一つの共同体である。

 前述した留学生のアシュリーさんは、共同体としての遊学館から大いに魅力を感じてくれ、
遊学館という共同体を大好きになってくれ愛してくれた一人である。
同じクラスで「共に」生活した友人たちの卒業式のためにわざわざ来日してくれた。
遊学館という共同体に戻ってきてくれた。

 新入生のみなさん。ぜひ遊学館という共同体を大好きになってほしい。
成功への道はそこからだ。何事も前向きに、プラス思考で。
そのような姿勢なら自然と運も向いてくるものだ。
そして初めて出会うクラスメイトと「共に」頑張ろうではないか。

 在校生のみなさん。
遊学館は共同体として、先生と君たちが一つになったとき、最大の力を発揮する。
自分たちの力を信じて「共に」頑張ろうではないか。

 この春からの遊学館が楽しみである。