« 2010年12月 | メイン | 2011年2月 »

2011年1月26日 (水)

【第168回】一期一会土谷 悠成 (地歴・公民)

 私事ですが、昨年の11月15日に次男が誕生しました。
3歳の長男、1歳の長女に続き3人目の子供を授かりました。
1人の子の父親を経験し、2人の子の父親を経て、3人の子の父親となって2ヶ月程になります。

 長男が誕生すると、子育ては初めてですので、グラグラの首・力を入れると折れてしまいそうな細い手足(爪を切るのが一番怖かったです)・警報のように鳴り響く夜鳴き、毎日が喜びと発見と不安の連続でした。

 長女が誕生すると、おもちゃを奪う長男・仲良く絵本を読む2人・長男を叱るとその場を去る長女・長女を叱ると妹を心配する長男・2人を叱ると甘えてくる長女、毎日がこれまでにない新たな喜びと発見と不安の連続でした。

 次男が誕生すると、次男を寝かせない長男と長女・次男の顔を引っかき、顔を踏む長女・次男の頭を力いっぱい撫でる長男・毎日が経験したことのない喜びと発見と不安の連続です。

 『一期一会』その時の出会いは最初で最後ということです。
毎日顔を合わせている子供たちですが、日々成長し、日々私と妻を驚かせ喜びを与えてくれます。(それと怒りも与えてくれますが…)昨日の笑顔と今日の笑顔、昨日の涙と今日の涙、同じものは1つもありません。毎日が子供と私との『一期一会』になるのです。

 それは私と生徒との出会いも同じです。毎日が最初で最後なのです。
教室に入り、教壇に立つ、挨拶をしてから授業を始める。
チャイムがなり挨拶を終えてから教室を出る。
そのような中で生徒たちは、親兄弟や友人との間で何かあったのか、本やテレビから影響を受けたのか、授業内容が理解できないのか、それとも眠いだけなのか、理由は分かりませんが日々違った表情を見せてくれます。
常に生徒たちは変化しています。

 「親は子と共に成長する」という言葉を聞いたことがあります。
親は子が成長の糧となり、子は親が成長の糧となるということではないでしょうか。

 1月も終わりに近づき、3年生も卒業まであとわずかです。
授業を通しての残り少ない3年生との『一期一会』の場を大切にしていきたいものです。
そして、私が生徒や我が子を成長の糧とし、生徒や我が子の成長の糧となれるよう精進していきたいです。

2011年1月19日 (水)

【第167回】今思うことT. H. (数学)

 1月16日(日)全国都道府県対抗女子駅伝が開催された。
本校の生徒も石川県代表として参加した。
残念ながら上位入賞というわけにはいかなかったが、生徒は一生懸命頑張って走っていた。
出場選手には良い経験になったと思う。その努力に拍手を贈りたい。
過去の大会でどんな選手が参加していたのか興味があったのでインターネットで調べてみた。
最近は家にいながら様々なことを調べることができる。便利な世の中になったものだ。

 日本女子マラソン最初の金メダリスト高橋尚子選手を調べてみた。
岐阜県代表として確かに走っていた。高校2年のときである。
その頃は中距離の選手であったらしく、女子800メートルで岐阜県1位になっていた。
しかし駅伝の区間順位は47都道府県代表の中で45位であった。意外な結果に驚いた。
調子が悪かったのか。それとも中距離の選手に駅伝は無理であったのか。

しかし大学入学後は、学生選手権などで学生陸上界のトップランナーになっていく。
社会人になってマラソン転向後は世界一のランナーになる。
天才とはこんなものなのか。高校生のときにはどんな気持ちで走っていたのだろうか。

 長い人生の中で、いつ、どんな時に転機が訪れるのか誰もわからない。
自分の努力の結果がどんな形で花開くかもわからない。
今自分の思い描いている人生とは関係ない世界でささやかな成功をする人も少なくないと思う。
常に向上心をもって努力することがとても大切なことだ。

 1月15日と16日には大学入試センター試験が行われた。
「数学」という教科について、私は生徒のコーチ、指導者である。当然結果は気になる。
昔先輩の先生から、「生徒ができないのを生徒のせいにするな」と言われた。
できるように指導するのが私の責任である。
今年は責任が果たせたかどうか。
気になる結果はこの文章が公開される頃には出ているだろう。大変恐ろしい。
私も向上心を忘れず、しっかりとした指導ができるように頑張りたいと思う。

2011年1月12日 (水)

【第166回】年末年始T. C. (英語)

お正月。みなさんはどうお過ごしでしたか。
私は今年の冬は東京の方に行ってきました。初詣に初めて明治神宮を訪れました。
やはり日本のお正月はいいですね。
今年は家族とおせち料理を食べる事ができなかったものの、外は雪が降り、お店、ホテル様々な場所から正月の音楽「春の海」が聞こえ、前には門松が飾ってある。これこそ日本のお正月ですね。

私は海外旅行をするのが趣味で、今までいろいろな場所を訪れました。
その中でもアメリカのニュ―ヨークとオーストラリアのシドニーで年を越しました。
そこで、今回はそれぞれの国での年越しを紹介したいと思います。

まずはニューヨーク。
日中は-1度、夜は-5度くらいまで気温がぐっと下がります。
その中、各国からこのためだけに人々が集まります。
それはタイムズスクエアーでのカウントダウンです。

何年か前まではカップヌードルの看板が掲げてあったことで有名だったこの場所では、有名な歌手や司会者などの芸能人が年明けカウントダウンを行うのです。
しかしそれは、前方でやっているため後ろにいる人は全くと行っていいほど見えません。
しかもその場所へ入る事ができるのは午後1時まで。つまり0時までの11時間を凍えながら待たなければ行けないのです。もちろん、一度入ってしまえば出る事ができず、何万人もの人がおしくらまんじゅうをしている状態なので座る事も許されません。

そんな状況でなぜ人々は待っているのだろう?と思っていると突然音楽がなり、前方ではショーが始まりました。そしてあまり覚えてはいないのですが、たしか午後9時から1時間ごとにどこからか紙吹雪が空から大量に降ってくるのです。そしてどこから来たのか2004年と書かれた眼鏡や帽子などが無料で配られました。

そうしたサプライズがあり、あっと言う間に時間が経ち、そしていよいよカウントダウン。
何万人もが一斉にカウントダウンをするものですから地響きに近いものがあり、3、2、1、Happy New Year!!!!みんな大騒ぎです。
その場で出会った人々とハグをし、周りではキスをしたりプロポースをしている人がいました。(映画の様ですが、本当にありました)さすが、アメリカですね。

そしてオーストラリア、シドニー。
ここは南半球に位置しているため12月下旬は猛暑。
ここでもわたしはたくさん人が集まるハーバーブリッジが見えるオペラハウス前にいました。ここでも入場制限がありましたが、シートを敷いて座ることができました。
しかし、なんと言っても真夏。ものすごく暑い。日を遮るものが一切なく直射日光を浴びながら日が沈むまでの約5時間待ちました。(帰って背中を見ると真っ赤になり皮がむけていました。)

日が沈むと、私たちが陣取っている下の階ではハウス音楽がかかりパーティーが始まりました。そして、午後7時くらいになるとハーバードブリッジを間近でみようとプランニングした
ハーバークルーズが、きらきらとイルミネーションを輝かせて湾へ出ていきました。
これもまた夜の海に輝いてすごく素敵でした。

そしていよいよカウントダウン。
ここではどんな事が起こるのかとどきどきしながらまっていると、ブリッジ中心が光りだしました。そして一斉に花火が打ち上げられ、ブリッジ自体も花火に包まれ夜空が輝きました。
また背の後ろにあるオペラハウスでもブリッジより遠方でも花火が打ち上げられ、まるで昼間のようでした。花火の迫力、演出が素晴しく、終わった後は何も言う事ができませんでした。
ニューヨークでの年越しはもういいですが、この場所はもう1度来たいと思いました。

こうして、旅をしてきた私ですが、やはり毎回思うのが少しでも英語を話せた方が倍楽しめる!ということ。
「Hawaiiは日本語が通じるから。」と言ってもやはり少しでも英語で現地の人と会話した方が、大半の日本人が知らないレストランやきれいなビーチに行けたり、その国の風土や文化そして国民性も知ることができます。だから私は海外旅行へ行くと必ずその国民と会話をします。
今まで13カ国旅をしましたが、やはり国際語は英語です。
せっかく違う国へ旅行するのなら、誰だって倍楽しみたいですよね。

2011年1月 5日 (水)

【第165回】負けることについてTa. Y. (英語)

 小学生の息子がある日持ち帰ったお便りにある言葉がありました。
それは「きちんと負けたことがありますか?」という言葉でした。

 息子は最近カードゲームに夢中です。
コンピューターゲームも頻繁にやり、勝ち負けに一喜一憂しています。
その他にも、持久走、縄跳び、オセロ、勝ち負けがでるような事が様々行われる中で、泣いたり、もめたり、怒ったり、落ち込んだりする息子を見ながら、私の心にもやもやとしたものが少しずつ溜まっていたからだと思います。

 私自身の生活でも、前日に大きな大会でいいところまでいって負けた生徒と接する事があります。彼らは意外なほどあっけらかんと明るくいつもの調子で話しかけてきます。気にしていないはずはないのに…。
負けを受け入れて、新しい目標に向けてそれを乗り越えようとしているのでしょう。そんな体験を何度か繰り返しそういう力をつけていく彼らには感心させられます。

 息子のお便りに先生が「きちんと負けたことがありますか」と書かれたのは、負けた子の事実の受け止め方に問題があると、日々感じ取っているからだと思います。負けることは悔しい、できるなら一生負けることから回避していたいという思いは誰にでもあると思います。

 生きている現実は他との比較・相対に支配される事が多くなります。
負けるという事実からは誰も逃げられません。だから、負けるという事実をどのように受け止めていくかは、生きていく上でとても大きな課題です。
負け方の正しい態度を育てておかないと、その敗北感を嫉妬や開き直りの感情に転化してしまいます。挫折を乗り越える力を育てることもできません。さらによくないことは、「負けるくらいならやらない」という逃避すらも生まれます。

 比較・相対はこのところすっかり悪者扱いされていますが、そうとは言い切れないと思います。比較する人やものがあるということは、それだけ自己を対象化でき、自分自身という存在を見つめる機会をつくり、その結果、自己のアイデンティティが確立されていきます。

 大人にとっても負け方は難しい。
そういう私も負けず嫌いだという点では、ちょっと負けない自信はあります。(笑)