2019年1月17日 (木)

【第562回】 MY HOME TOWN

 新しい年になりました。いよいよ平成が4月30日までで、5月1日から新元号となりますね。ちょうど30年前のお正月明けに昭和~平成へと成ったのが、私が高校一年生の時です。30年間に社会も大きく変化しました。勿論、自分自身のライフステージも高校卒業から、親元を離れての東京での学生生活、そして、仕事、結婚、出産、家族の形も変わってきました。両親、嫁、2人の子どもたち・・・。

 ここで、あまり今までブログの中でも登場してこなかった。妹の話をちょっとします。
 2つ下。小さい頃から大きな喧嘩も無く、まあ仲の良い兄弟だったと思います。あまりお互いを干渉することも無く、それぞれが夢に向かい、日々の生活を過ごしてきたと思っていました。

 しかし妹は私の健康面の心配や時間を費やしてきた勝負の世界での活躍、飛躍を願い応援してくれ、自分の事以上に兄の事を気にかけてくれていたようです。恩義世がましく無いので気付きませんでしたが、笑

 昨年、その妹と共通の達成させたい事案、プロジェクトが出来ました。その案件は様々な方の協力もあり、驚くべきスピードで良い方向に向かっています。自分たちのルーツに係わることでもあるので、必ずや達成されると信じて、確信しています。

 新しい元号、そして、いのしし年を“エイヤーッ”と進んで行きたいと思います。

2019年1月10日 (木)

【第561回】 「好奇心」

 私事ですが、昨年第一子が誕生し子育ての大変さを実感している毎日です。お腹がすいたら泣いて、オムツを替えてほしくて泣いて、抱っこしてほしくて泣いて…。言葉に出来ないので、全力でアピールをしてきます。伝えたい想いがあって、それを何とかして分かってもらおうとする所は大人と同じですね。
 さて、赤ちゃんという生き物はどんなものにも興味を示します。毛布、お箸、雑誌、新聞、音が出るおもちゃ、昔話、童謡、葉っぱ、パーカーの紐など目に見えたもの、耳に聞こえたもの、手で触ったものすべてが気になるようです。すべてのものが新鮮で、機嫌が悪いときを除いて、目を輝かせて毎日を過ごしています。
 大人になるにつれて、いろいろなことを教えられます。自分にとって興味のあることだけでなく、一見無意味に思われるようなことまで。その教育の過程の中で、「これは自分には関係ない」「これは自分にはできないからやらない」と自分で世界を狭めている状況を時折目にします。自分の見える範囲、出来る範囲の世界しか知らなくて本当にいいのかと、とても残念で仕方がありません。すでに時代はSNSの発達により、全世界とのつながりを持つような仕組みになっています。彼らが想像しているよりも世界は広がっているのです。“目に見える範囲”に興味のあることが無いのかもしれない、“今知っている範囲”に面白いものが無いのかもしれない。広い世界のどこかには、彼らを魅了する何かがきっとあるのだと思います。知らずして諦めるなど、とてももったいないですね。
 赤ちゃんのときは新しいものを周りの人から提供され、どんどん世界が広がっていきます。それがとても楽しいのでしょう。あの頃の感覚を思い出すことは不可能です。しかし、想像してみてください。知らなかったことを学び、出来ることが一つずつ増えていくあの喜びを。きっとワクワクしてくるはずです。世界がいままでとはまったく違うものに感じるはずです。新しい一年が始まります。学び多き年になることを願っています。

2018年12月27日 (木)

【第560回】 What makes you special?

 2007年頃、TVのコマーシャルに某IT会社のCMのフレーズ ”What makes you special?” が流れていました。この言葉の意味について考えてみたいと思います。
 生徒の皆さんの多くは既に希望進路を決めているかもしれません。しかしながら希望する学校や職場に進むには需要と供給の条件がマッチしていることが必要で、皆が皆、希望する道に進めるわけではありません。3年生でAO入試などで面接を経験した生徒は認識していると思いますが、入学許可を受け取るには、履歴書を書き、面接で自己アピールして、相手にとって自分が魅力的であることを訴えなければなりません。「私は他の誰とも違う。特別(special)だ。」と。つまり、それは競争であり、戦いです。「戦いに勝ち抜くためには他の人と同じではいけない。ではどうすれば特別な存在になれるのか?」が、冒頭のCMのメッセージです。
 学校や家族というこれまで自分を守ってくれていた場所から巣立って先の見えない人生を一人で戦っていくには「武器」が必要です。それも複数必要でしょう。
 私事で恐縮ですが、私は大学卒業後、この学校で働くまでの間、外資系IT企業の何社かで働いてきました。転職活動の度にCV(Curriculum Vitae)と呼ばれる英文履歴書・職務経歴書を携えて面接に臨み、相手が望む人材であることをアピールしてきました。また、会社の中にいても、やりたい仕事につくために能力を磨いている必要がありました。高パフォーマンス、高稼働率を求める外資系IT企業では悪い評価が2年続いたり、1つのプロジェクトが終わったあとの空き状態(ベンチ、または”idle”(”idol”ではありません)と呼ばれていました)が3カ月続いたりすると肩たたき、つまり退職勧告がやってきます。 それを逃れるには、自分は何を武器(強味)とすべきかを意識し、そして、時々それらを棚卸して見直していかなければなりませんでした。
 貴方は何を武器としますか? まだ何も思い浮かばない時は、まずは勉強による基礎学力や基礎知識力、部活等による人間力を培っておくことをお勧めします。基礎となる土台があることによって、やがて進みたい道が見つかったとき、すぐにスタートラインに立つことができます。しかし、何も準備していない場合は、門前払いに遭うなどして、皆と同じスタートラインに立つことすらかないません。今、何も考えず、何もしないということは未来の自分の可能性を摘み取っているということに気づいてください。好むと好まざるに関わらず、急速にグローバル化やAI化が進み、日本国内にいても、「国」という境界を越えて、限られた仕事の争奪戦が始まっています。逆にチャンスと捉えて、必要十分な武器を携えて国際的な人材市場に乗り込んでいくくらいの気概でいて欲しいと願います。
 最後に、自分の将来を気にかけているであろう高校生の皆さんに「10年後、君に仕事はあるのか?―――未来を生きるための「雇われる力」(藤原和博)をお勧めします。

2018年12月20日 (木)

【第559回】 昭和は遠くなりにけり

 高等学校では、すべてとは言わないまでも概ね秋になると3年生が個別に面接の練習を実施していると思います。推薦制大学入試や就職試験に面接が行われることが多いので、遊学館でもそんな練習が放課後あちこちで見受けられます。面接室への入り方に始まり、椅子に座るまでと、座っている姿勢、話し方とその内容等々。どの生徒も一生懸命練習している姿はとても健気で微笑ましく、『頑張れ』と応援せずにはいられません。そんな時私が一番心配になるのは、彼らの言葉遣いなのです。誰と、どんな場面で話をするか、それによって言葉は使い分けなければならないのは当然のことですが、今どきの子供たちにとってそれが案外簡単なことではないらしいのです。私のような昭和の子供たちにとっては言葉遣いは日常生活の中で身につけて行くものであったように思われますが、いつの頃からか、それは望めないことになってしまった気がします。
 言葉、特に話し言葉で言えば、誰もが初めは自分の周囲から学ぶものです。家族であり、地域社会の大人や年上の子供たち、保育園や幼稚園に始まる学校生活の中では教師や上級生といった自分を取り巻く人たちが使っている言葉を学んでいくわけです。言葉そのものばかりではなく、どんな場面でそれらが使われているのかも一緒に学習するわけです。昭和の子供たちの頃は、地域社会が今以上に充実していたように思います。町内会・子供会などの活動もたくさんありました。近くの商店街ではどのお店の人たちもみな顔見知りでした。また年上の子供たちには一緒に遊んでもらったりして、いろいろな遊びを教えてもらいました。歌を歌いながらする遊び、てまりやお手玉などでは意味も解らないようなたくさんの歌をみんなで歌っていました。○○ごっこでは、おかあさんになったり、先生になったりと言葉で演じ分けていました。子供の世界が大人の言葉であふれていたような気がします。そうしたことで子供は語彙数を増やしたり、大人のまねをして場面による言葉の使い分けを学んでいったのだと思います。
 そしてそんな昭和の子供たちに課せられていたことがありました。それは、しっかりと挨拶をするということでした。家族・親戚はもちろんのことですし、また顔見知りの大人に道で会ってもしっかりと挨拶しなければなりませんでした。当時の私にはとても大変な作業でした。(とても内弁慶な子供だったので)。ある時、「あいさつしなきゃ、しなきゃ、・・・」と思ってる間に通り過ぎてしまったことがあったのですが、後から母にひどく叱られたことを今でも忘れられません。また小学校では、生徒は廊下などで先生やお客様に出会ったら目礼をする規則でした。そのため初めて遊学館に来た日、生徒たちが廊下でしっかりと挨拶をしてくれて、とても嬉しく、そして懐かしい気持ちになりました。
 日本語の乱れが叫ばれるようになって久しいですから、言葉遣いは単に高校生だけの問題ではなく、日本人全体のものになっていると言えます。歴史的に見ても、きっとどの時代にも日本語の乱れを嘆く人がいたような気がします。言葉は移り変わるものです。社会の変容に伴いたくさんの言葉が新しく生まれてきます。そして同時にたくさんの言葉が使われなくなっていきます。言葉はまるで命あるもののようです。言葉は変わる。でも変わらないものが必ずあると思います。遊学館高校の職員室を訪れる、とある部活の生徒たちはとても上手に敬語を使って先生と話をしています。顧問の先生方にしっかりと躾けられているのがよくわかります。身を美しくと書いて躾です。言葉遣いは人を表すものです。聞いて心地よい言葉を使いこなせることはその人を美しく見せるのは確かです。
 平成30年も師走となりました。来年春には年号が新しくなります。年号が変わることに特別な思いがあるわけではないけれど、私にたくさんの素晴らしいことを残してくれた昭和という時代に感謝して、草田男を真似て一句!

初雪や 昭和は遠く なりにけり

2018年12月13日 (木)

【第558回】 「制服」

 先日、某TV局の開局記念番組を目にする機会があった。2018年に至るまでの時代の変遷が記録された画像が流された中に、ほんの一コマだが、一瞬で分かる本校のセーラー服が映った。はじける笑顔で街を歩いている女子校時代の生徒の様子は、見ている方にもさわやかな印象を与えるものであった。

 本校のセーラー服は、太い線の内側に細い線と二本の白い線が襟を縁取るように並んでいる。母子線(おやこせん)と呼ばれ、太い方が母を、細い方が子供を表している。また太い線は女性の忍耐強さ、細い線は繊細さと優しさを表していて、二つの意味を持つ。スカートの襞(ひだ)も一般的なものとは異なり、その向きが同じ方向に一周するのではなく、前に中心が来るように寄せられている。私自身の母校はブレザーにボックススカートであったため遊学館高校に着任した当初は、高校でのセーラー服が逆に新鮮でもあった。
 同様に雪の結晶の中に白梅をあしらった校章もその「いわれ」を知ると、創設者の生徒に対する溢れる慈しみの思いが伝わってくる。遊学館高校として共学になってブレザースタイルも導入されたものの、歴史ある思いのこもったセーラー服は現在でも、多くの女子生徒が選択している。

 平成もまもなく終わりを迎える。時代の流れとともに防寒として、指定のセーターを着用しているが、式典等では正装になる。生徒には「正装」ということの意味を改めて考えてもらいたい。時代は変わっても、受け継いでいくものは厳粛に受け止めていかなければならない。冒頭の女子校時代の生徒のように、ブレザー、セーラー共に制服を「着る」のではなく「着こなせる」生徒であってほしい。

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