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2011年11月 9日 (水)

Vol.3 人は経験を積むために生まれてきた松田 淳 (地歴・公民)

"日曜劇場「南極大陸」"というドラマの中でのセリフです。

私の担当するバトントワリング部の生徒のお母さんが、11月6日(日)に行なわれた全国大会予選であるマーチングバンド・ バトントワーリング北陸大会の2日前に亡くなられました。
彼女(生徒本人)は大きな哀しみを背負っての演技でしたが、お母さんに見守られているかのようにしっかりとした迫力ある演技でした。まさにチームワークの真髄、一人が持つ責任・一人が果たすべき責務を着実に完遂してくれました。
私自身、高校時代にそのような経験がないので、彼女が抱えている哀しみの大きさがどれほどのものなのか、それでも心と体を演技に集中させることの困難さがどれほどのものであったか…想像でしか推し量ることができません。
演技が終わってアリーナから出てくる瞬間には、亡きお母さんが「よく頑張ったね!」と笑顔で迎えてくれていたのではないでしょうか。
閉会式終了後、部員を乗せたバスはすぐにお通夜の会場へ直行しました。
出場したバトンチーム全団体の中で、最も優秀な演技を披露したチームに贈られる「協会支部会長賞」のトロフィーと賞状をお母さんの写真のそばに飾っていただきました。
お通夜から自宅に帰った後、哀しみと無常さで打ちひしがれるように一人で晩酌をしていたときに、ふとテレビからこの言葉が聞こえたのです。

『人は経験を積むために生まれてきた』
人生、決して楽しいことばかりではない。むしろ苦しみや哀しみの方が多いのかもしれない。
それでも人はそれらをも経験するために生まれてきたのだと自分に言い聞かせました。
そして、彼女にもそれを乗り越えて、笑顔で天国のお母さんとお話しができるようになってほしいと願うばかりです。
心の中にはいつもお母さんがいる。
そのお母さんが彼女を強くしてくれ、見守ってくれている。
部活のみんなは待っています。君が再び笑顔で部活に出てきてくれることを…。

中学生、高校生のみなさん。人は経験を積むために生まれてきたのです。
積むごとに人は強く、優しくなっていかなければならないと思います。
大変、客観的になれる理知的な言葉、心を前向きにしてくれる言葉だなと思います。

2011年4月 6日 (水)

【第177回】新入生・在校生のみなさんへ松田 淳 (地歴・公民)

 新入生・在校生のみなさん。
この春休みはどのような生活を送っていますか。

 スタディーサポート試験対策の問題集を日々消化していますか。
何回も何回も取り組むことが大切です。基礎・基本を甘く見てはいけません。

 新入生のみなさん。
この“先生コラム”は生徒諸君の高校生活へのエール、生き方・在り方のアドバイス、
先生たちの体験談・考え方など真っ向勝負としての生の声です。
作られている先生方はあたかも目の前に全校生徒、
クラスの生徒、部活の生徒がいるかのように語りかけます。

 授業の合間に、また放課後の職員室などでカタカタとキ―を叩いています。
時には新聞を片手にその時代の事件やニュースを通じての感想や
そこから学ぶべきことを生徒の皆さんとともに考える材料として発信している例もあります。
今回は一緒に考えてほしい事件についてです。
 この先生コラムに鎮魂の願いも込めて、刻みつけ、後世に残したいと思います。

 2011年3月11日(金)午後2:46頃、東北三陸沖を震源に
国内観測史上最大のマグニチュード9.0の地震が発生(のちに「東日本大震災」と命名)。
その地震と発生した大津波による死者・不明は2万8,000人超、
避難18万人超となり未曽有の被災となった(発生19日後、3月29日現在)。

 全国各地から自衛隊・消防・自治体職員、
ボランティアのみなさんが駆けつけ東北を助けるために日々奮闘している。
昨年まで本校に通っていたカナダからの留学生、
アシュリーさんは応援メールを寄せてくれた。
現在通っている大学で友人を誘って熱心に募金活動に励んでいるとのこと。
彼女の日本への応援メールには“共同体としてとして助け合って…”という一文があった。
まさに生まれも育ちも違う人々が駆けつけ、
国籍が違う人々が海の向こうから東北に心を寄せてくれている。

 この大震災を通じて学ぶべきは、苦しみも哀しみも励ましも、さまざまな思いや境遇、立場をわが身に置き換え想像しながら、すべて心を共有することではないだろうか。
東北の人々に笑顔が戻るまで「共有し続ける」ことが共同体として助け合う次なる行動を生むのではないだろうか。
3年、5年、10年かかっても忘れることなく「共有し続ける」ことである。

 学校生活においても「共有」という考え方はとても大切である。
友人の苦しみも哀しみも励ましも、さまざまな思いや境遇、立場をわが身に置き換え想像しながら、すべて心を共有することができるか。
優しさ・思いやり・感謝する心は誰もが奥底に持っている。
それらは心を共有することによって、行動として表現されるものである。

 「共同体」「共感」「共有」…すべてに「共に」という行動が示されている。
再び新しく始まる遊学館での学校生活。
クラスでの授業・放課後の補習や部活動は、先生や友人たちと「共に」という行動が基本となる。
苦労も喜びも悩みも「共に」味わう。“学校”というものは一つの共同体である。

 前述した留学生のアシュリーさんは、共同体としての遊学館から大いに魅力を感じてくれ、
遊学館という共同体を大好きになってくれ愛してくれた一人である。
同じクラスで「共に」生活した友人たちの卒業式のためにわざわざ来日してくれた。
遊学館という共同体に戻ってきてくれた。

 新入生のみなさん。ぜひ遊学館という共同体を大好きになってほしい。
成功への道はそこからだ。何事も前向きに、プラス思考で。
そのような姿勢なら自然と運も向いてくるものだ。
そして初めて出会うクラスメイトと「共に」頑張ろうではないか。

 在校生のみなさん。
遊学館は共同体として、先生と君たちが一つになったとき、最大の力を発揮する。
自分たちの力を信じて「共に」頑張ろうではないか。

 この春からの遊学館が楽しみである。

2010年1月 6日 (水)

【第115回】受験生のみなさんへ松田 淳 (地歴・公民)

勉強の方はどうですか?進んでいますか?
「今のままで受かるかな…」「だめだったらどうしよう…」と不安な気持ちになっているみなさんへ。みなさんの気持ちは私たちも通過してきているのでよく分かります。大人たちも日々、良い結果に喜んだり、また、挫折も味わったりと山あり、谷ありです。

今は、まず限られた時間を精一杯使って、できることに集中しましょう。今、机に座っているその目の前にある参考書や問題集に集中しましょう。「たくさんあって手がつけられない…」と焦らず、一週間の中で、一日の中で時間を割っていき、計画的に、とにかく動きましょう。

格言(1)『悩む前に動け・悩んでも動け』

遊学館高等学校バトントワリング部は、今週1月8日~10日・千葉幕張メッセにて開かれる全国大会に出場します。この冬休み期間中、大晦日・元旦と練習は365日切らすことはありません。なぜなら、それがまず不安という自分との戦いに勝つ最善の方法だからなのです。それで成果が出なければ、自分たちの努力不足だったという客観的かつ冷静な結果のみが残るのです。

自分たちのチームより、さらに厳しく多くの練習をしたチームがいたという事実なのです。まず“今できること”に最善を尽くす…これが最良の不安解消です。「自分はできるだけのことをして臨んでいる」という自分なりの自信と準備を持てるかどうか。日頃の中間試験や期末試験に際しても部員たちに言い続けています。「最後の1分まで答案を見続けよ。簡単な問題ほど気を抜かず確実に積み重ねよ!」と。勝負に100%の保証というものはない。保証は自分自身でするしかないのです。

格言(2)『自分を支えるのは自分』

そして、あきらめないこと・投げ出さないことです。同じ実力を持つ者同士、最後は気持ちや信念が強い方が優ります。鉄則です。遊学館高等学校バトントワリング部は全国大会へ遠征に出かけた際に、前日そして当日の午前まで(出場は当日の午後なのですが)会場とは離れた体育館にこもって、ギリギリまで練習をします。365日のうちのそれが最後の1日でも、当日の1日でも、とにかく練習時間を確保します。

相手が問題なのではなく、まず自分たち自身がベストを発揮できるかなのです。遊学館高等学校バトントワリング部はもとより技量を持つ素質ある選手の集団ではありません。高校に入学してからバトンを始める選手が多くいます。昨年は全国制覇、今年はV2をめざしていますが、絶対的な自信があるわけではありません。

格言(3)『限られた条件の中でベストを尽くす。
     (不平や不満は自分を成長させる糧にならない)』

いよいよという最後の場では、自分を信じることです。自分自身に集中することです。受験も試合も、相手あってのことですが、得てして自力の100%を出し切ることは難しい。健康状態、不安、緊張…多くの原因で多くの人たちが100%にいたらない例が普通です。

その中で、100%の力を発揮できる人は素晴らしいと思います。ましてや120%の力を発揮することは普通の人ではできないと思います。100%=完全なのです。めざすなら100%に一歩でも近づこうとする気持ちだと思います。残された1日のために、残された1時間のために最善の方法を考え、集中する…。それが私たち遊学館高等学校バトントワリング部の考え方です。

中学生のみなさん、「兄弟が多いから家の中がうるさい」「通りを走る車の音がうるさい」などと、いろいろな不平や不満があると思いますが、心を落ち着け、前を見て、手元に集中しましょう。

それぞれの志望校をめざして頑張るみなさんを心から応援したいと思います。私たちも全国大会から戻ってきたら、またこのホームページで結果を報告します。それでは、お互いにファイト !!

2009年2月18日 (水)

【第76回】敗北から何を学ぶか、次の一歩が大切松田 淳 (地歴・公民)

2月7日(土)いしかわ総合スポーツセンター、春高バレー石川大会女子決勝“遊学館VS金沢商”覇者・金商バレー部に、わが遊学館がどこまで一矢を報いるか…胸が高まる。金商バレー部の伝統と厚み、類まれな素質を開花すべく日々厳しく練習を積み重ねてきた彼女達は、遊学の反撃にぶれることなく、自分たちのゲームを進めていく。動じることなく自分たちのペースで。

結果、3セット連取され完敗。さすが金商バレー部。石川県の代表として“全国大会”という舞台で金商バレーが躍動されることを心から祈りたい。一県民として心からエールと期待を送りたい。彼女達には今日はひとつの通過点であろう。彼女達の視線はもっとその先にある大きな目標を見据えている。

バトントワリング部の顧問としての私や、スタンドでチアとして応援していた部員も今日の試合からいろいろなことを学ばせてもらった。スポーツは勝利からも敗北からも学ぶべきことが多くある。わがバトン部は全国大会に19年連続出場するなかで、何度涙を流してきただろう。何度悔しさと非力さを痛感させられ、すすり泣きで沈痛な雰囲気のバスの中、帰ってきたか…。その都度、突きつけられたのは、「自分たち以上に努力していたチームがいた」という事実。勝負は冷たいまでに客観的で非情である。勉強もスポーツも、入試もすべてそうだろう。

『夢はかなえるためにある』というが、人並み以上の努力と練習を継続してしてこそかなうもの。『やればできる』というが、やらなければできない。できなかったのはやれていなかったという事実。「バトンに関しては未経験者集団、そんな自分たちが必死に努力してきたんだ…」全国大会覇者のチームにはそんなことは全く関係ない。ひたすら高いレベルで王道を走り続けていた。しかし、忍耐と挑戦の積み重ねから何が必要で何が足らないか少しずつ見えていたことも事実だった。

20回目の全国大会で、ようやく全国優勝…。大きな夢を設定するということは、すべてをそれに投入するという覚悟と不断の努力を要する。歴代の先輩達が歯を食いしばり、目標を下げることなく挑戦し続けてくれたことに心から感謝したい。忍耐と挑戦の歴史がわがバトン部にとって、最高の財産となっている。

がんばれ!遊学館バレー部 !!今日の敗北から何を学ぶか、次の一歩が大切…君達が全国をめざすなら、金商バレー部以上の練習をするしかない。彼女達の素質と努力を超えるには、それ以上の練習をするしかない。答えは明確。優勝は石川県一の練習の証し。金商バレー部の練習がそれを証明したのだ。彼女達は県大会優勝が目標なのではなく、全国大会優勝が目標なのだろう。

がんばれ!遊学館バレー部 !!高校時代に、とてつもない大きい目標を掲げ、圧倒的に強い者に挑戦できることはとて意義深い。次の一歩をどのように踏み出すかだ。悔しさというモチベーションだけでは、夢を追えない。希望もないと夢を追えないだろう。しかし、悔しさも大切な原動力になる。チーム一丸となって、今回の敗北について苦しみ、悩み、研究し、検証する。チーム一丸となっての高い目標設定、不屈の練習姿勢、環境をカバすべく知恵と工夫を絞り出す。自分達だけに通ずる理由を作った瞬間に敗北が決まる。翌日から再び飽くなき挑戦が続くだろう。君達が再び決勝への舞台に躍り出たときに、私達はまた必ずスタンドに集う。王者に対しどれだけの戦いを挑むのか、どれだけの覚悟で努してきたのか、その証しを見るために。

がんばれ!遊学館バレー部 !!七転び八起き。部活動を通じて、将来の人生のいくつもの指針や生き方を学んでいる。君達のチームの持つ明るさと元気よさ、遊学らしさを大切に。遊学のスポーツクラブはとにかく明るい。挨拶がしっかりしている。明るく元気な校風の下、部活動を通じての先生と生徒達の日々の“遊学”が、明日からまた体育館で、そしてグランドにと、途切れることなく続けられる。

遊学館バレー部!がんばれ!!

(終)

2008年5月14日 (水)

【第38回】この春、巣立っていった卒業生諸君へ…ちゃんと朝食をとっているか?松田 淳 (地歴・公民)

3月1日の卒業式から、いつの間にか2ヶ月半が過ぎている。
一緒に過していた日々もずっと昔のような気がする。
名古屋へ、大阪へ、東京へ、全国に散って行った、そして、この地元でも頑張っている卒業生諸君!元気か!?『辛いとき、悩んだとき、遊学のホームページや卒業アルバム見ると元気出るぞ』と、送り出したあの日々から2ヶ月半、そろそろ新生活にも慣れている頃。

ちゃんと朝食をとっているか? インスタント食品ばかりじゃだめだぞ。外食するにしても、せめてバランスよく定食にしなさいよ。(笑)入学・入社当初の緊張感も少しずつ取れ、雰囲気にも慣れてくる今頃、大人達が“五月病”と名づけている、ちょっとした倦怠期がやってくる。何となくヤル気が出てこない、ボ~ッとしてしまう、サボり癖がついてしまう…大丈夫か?

高校生活はおもしろかったよね。
勉強に、部活に、友達付き合い、お昼のお弁当にすら一生懸命、燃えていたよね。春のバーベキュー遠足や体育祭、学園祭と思い出すなぁ。それぞれのクラスに特長があって、本当にいい学年だったよ。

さて…、みんなの今の10代の終わりから20代の初めは人生の中でもとても大切な時期。この大切な時期をどのように過すかで、このあとの生き方も大いに変わってくる。がむしゃらに汗をかいた人。多くの人と出会った人。多くの書物、多くのいい文章や言葉に触れた人。自分って何なんだろう…と悩み続け、答えを探し続け、日々もがいた人。「この人だ」と思えるような人生の師に出会った人。人それぞれさまざまだろう。高校というカッチリとした枠の中から、すべて自分に責任がかかってくる世の中に、飛び込んでいったみんなに、ぜひ伝えたい。このHPを読んでいてくれているかい?

“五月病”なんてもったいない! 時間は限られている。
みんなが『あっという間の高校生活だった』と漏らしたように今の生活もあっという間に過ぎていく。常に前向きに何かを探し、前向きに迷い、前向きに悩む…。それぐらいがちょうどいい。本当の『遊学』は今、始まったばかり。高校生活3年間で多くの先生から、幸せになるための、人生を豊かにするための方程式はこの遊学で学んだはず。無知の知…もっと自分に経験を積もう。時には書を捨てて野に出よ。人から学び、今という時間を生きていることに感動しよう。君だけが演出できる人生だ。

自分にしかできない、自分の足でしか歩めない道を探そう。君の人生、まさに「生涯、遊学の人」であれ。まだまだ自分は進化すると信じよう。自分の心の中に信念をつくろう。いいこだわりを持とう。「らしさ」を大切にしよう。

体の奥から沸き起こってくる小さなエネルギーとヤル気を大切にしよう。新しいことに出会える喜びを心と体全体に感じよう。日曜日の静かな校舎、職員室から見える青空…この空は君住む町へと続いているのかな…

このエールがみんなに伝わりますように。
がんばれ、遊学人! ファイト、遊学の風!まだまだ止まるのは早すぎる。振り返るには早すぎる。朝起きたら、自分に言い聞かせよう。「さてと、今日はどんな一日にするかな?」と笑顔で立ち上がろう!

それでも、最近心が疲れているな…と思ったら、いつでもおいで。
遊学はいつでも君たちの陣地だ。遊学は君達の青春のふるさと、そんな学校だ。

(第38回−終わり)

2007年8月 7日 (火)

【第1回】吾輩は鯉である −夏休み、ある早朝の風景−松田 淳 (地歴・公民)

ただいま朝の7時30分。

体育館からは部活の朝練の生徒の元気な声が聞こえてくる。
夏季補習のために登校してきている生徒の明るい挨拶が響き始めている。
学生寮オレンジハウスの寮生たちは洗濯もそこそこにグラウンドへ出かけて行く。

吾輩は遊学館の中庭の池の鯉である。
人間たちはこの中庭を“遊学庭”と名づけているらしい。
昨日は全校登校日。
久しぶりに校舎は生徒たちの夏休み中のできごとの話でにぎやかにわいていたようだ。
しかし相変わらず餌もくれないのに手を叩くのだけはやめてほしいものだ。
人間は不思議だ。
なぜ吾輩たち鯉を見ると手を叩くのだろう。

この学校の生徒たちはとにかく明るい。元気がある。いいことだ。
廊下で先生と生徒が出会うと元気に「こんにちは」と声をかけ合っている。
この池まで響いてくるのだ。
吾輩が住むこの池の横にある胸像、せむ先生もにっこり笑っている。
せむ先生とはこの遊学館を女一人の力で守り続けた、がばいばあちゃんである。
吾輩も長年この池に住んでいるが大尊敬する人間の一人である。
せむ先生とは離れて、でも向かい合うようにして広吉先生の胸像がある。
広吉先生とはこの遊学館を今から103年前の明治時代に創設した偉大なる先生なのだ。
そのおふたりがずっと仲むつまじくお互いを見つめ合っている。
そして、この遊学館をいつもいかなるときも見守り続けているのだ。
吾輩にとってもあこがれのご夫婦である。

今日の空は雲ひとつない夏の青空。
遊学庭の真ん中にある樫の木のセミたちは生徒にエールの大合唱だ。
全館冷房の涼しい教室では登校してきた生徒たちがそれぞれで勉強を始めている。
たまには気分転換に外の空気を吸いに吾輩に手を叩きに来てほしいものだ。

おっと、女子生徒が吾輩の池の横に落ちているゴミをすっと拾っていってくれた。
見ているこちらには気づかないらしい。
そこで吾輩は声を大にして言いたい。
今どきの高校生はかなりしっかりしている。
しっかりしなければならないのは世の中の大人たちだと。

そろそろ先生たちや生徒たちが登校してきてあわただしくなってきている。
それでは吾輩も事務のお姉さんからいただく食事としよう。
最後に、このホームページを見ている卒業生のみなさんに朝の一句をお届けしたい。

『世の中に疲れたならば愛に鯉(会いに来い)』     

-2階職員室前の廊下より遊学庭を見ながら、ゆらゆらと泳ぐ鯉の気持ちになってみました-

101

夏休み、ある早朝の風景

102

向かい合う広吉先生とせむ先生