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2025年11月27日 (木)

【第915回】「流行語」T. Y. (地歴・公民)

 2025年も残り1ヶ月ほどとなり、暑い時期が長かったせいなのか、これまでになく時の流れの早さを感じております。年末が近づいてきますと、毎年恒例になっている、今年の「新語・流行語大賞」の候補となるノミネート30語が発表されました。大賞は12月1日に発表されるそうです。ノミネート30語を眺めていますと、「二季」や「古古古米」からは気候変動や食糧問題、「トランプ関税」や「物価高」、「女性首相」からは政治・経済、「国宝」や「ビジュイイじゃん」からはエンタメ、「ミャクミャク」からは文化など、今年1年の人々の関心や不安を短い単語の中で見事に表現しているように感じます。
 その中で気になったのが「7月5日」というノミネート語です。これは7月5日に大きな自然災害がおこるという、科学的な根拠がないにも関わらず、SNSを中心に広がったことを指す言葉ですが、その背景にある情報の拡散力に恐ろしさを感じてしまいます。誤った情報が実際の社会や旅行業界に影響があったとういう報道もありました。この言葉がノミネートされることで、情報化社会が進展するなかで、私たちがデマや噂をどのように扱うか、どう責任をとるかという問題を改めて考えさせられるきっかけになるのではないでしょうか。
 ノミネート語が発表された後、校内にて「エッホエッホ」と階段を駆け上がっておりますと、女子生徒に「古っ!(笑)」と言われ、流行が過ぎ去る早さも感じておる今日この頃です。
 今年はどの言葉が大賞に選ばれるのか、そして2026年はどのような言葉が生まれ、関心が持たれるのか、注目していきたいと思います。

2025年11月20日 (木)

【第914回】「当たり前って?」T. T. (理科)

 誰かに親切にしてもらったら「ありがとう」と言う。食事中は肘をつかない。目上の人には敬語を使う。「こういうときにはこうするのが普通だ」という社会のルールやマナーは、数え切れないほど存在します。
 では、皆さんはその“当たり前”を、どれだけ正確に把握できているでしょうか?「そんなの簡単だ」と思うかもしれません。しかし、その「当たり前」が、時代の変化や、育った環境、国や地域、職場の文化によって、実は少しずつズレているとしたらどうでしょうか?最近そのようなことを考える機会が増えました。
 最近、私は自身のクラスで受験準備のサポートをする中で、この「当たり前のズレ」を痛感する機会がありました。入試の書類確認、出願手続き、面接練習など、様々な作業をサポートするのは、担任として当然の役割です。しかし、これらの準備に対してサポートしたことに関して、「(担任だから)お礼を言われなくても仕方ない」と割り切るべきなのか、それとも「労いの一言ぐらいはあってもいいのではないか」と思う自分がいるのです。もう一つ驚いたのが、受験が終わり合否が出た時のことです。私の中では、合否にかかわらず、お世話になった先生方には自分から出向き、結果を直接報告するのが当たり前の礼儀だと思っていました。しかし、ある生徒に報告を促したところ、返ってきたのはこんな言葉でした。「え?学校にも合否は届くから、先生は知っているものだと思っていました。」この言葉には、正直驚愕しました。私の「当たり前」は、彼らの「当たり前」の中には存在していなかったのです。
 結局のところ、「当たり前」とは、過去の経験と環境によって作られた、その人にとっての最適解です。家族の習慣、学校の教え、初めての場所でのルールなど、育ってきた道筋が違えば、持っている「常識」も当然違ってきます。
 私たちの人生を円滑にしてくれる一つのツールとして「当たり前」があるのだと思います。だからこそ、新しい人間関係や環境にしっかり対応できるように、ある程度の「当たり前」を学び、身に付けておくのが大切だと、今回の経験から改めて強く思いました。
 私自身もまだまだ未熟な立場なので、生徒たちから学ぶ姿勢を忘れず、もっともっとたくさんの「当たり前」を知り、自身の「当たり前」をアップデートしながら、変化の激しい今の環境に適応していきたいと思っています。

2025年11月13日 (木)

【第913回】「無題」谷口 克也 (数学)

 賛否両論あった関西万博は成功裏に終わった。私もご多分に漏れず10月初めに駆け込み見学をしてきた。人の群れに酔ってしまって、2時間ほどでそそくさと退散した。パビリオンには一切入れず、大屋根リングを人の流れに沿って廻ってきただけで終わった。

 振り返れば1970年、大阪万博が開催され、兄は修学旅行で、父は中学校教師として修学旅行の引率でそれぞれ大阪万博に行ってきた。専業主婦の母と小学校4年生の私は、父の「人を見に行くだけだ」という強い反対で、大阪万博には行けずじまい。泣きながら悔しい思いをした。

 確かに今回、「人を見に行くだけ」の関西万博だったが、日本国中が大きな夢と希望を持って開催したイベントに参加でき、家族で記念撮影ができたことだけでも、とてもいい経験ができた。

 いろんな考えがあるだろうが、やらずして諦めるよりも、体験して評価した方が悔いが残らないだろうと感じた。

2025年11月 6日 (木)

【第912回】「AI」T. M. (英語)

最近、「AIが先生の代わりになる日も近い」という話をよく耳にします。確かにAIはどんどん賢くなっていて、個別に学習プランを立てたり、質問に即答したりと、まるで万能な先生のようです。でも私は、どれだけAIが進歩しても、教育に携わる人は絶対に必要だと思っています。

AIは膨大なデータをもとに正確な答えを出すのが得意です。しかし、教育の本質は「知識を伝えること」だけではありません。子どもたちは勉強の中で、うまくいかないことに落ち込んだり、やる気をなくしたり、時には自信をなくしたりします。そんな時に「大丈夫」「一緒に頑張ろう」と声をかけてくれる人の存在は、何より大きいものです。AIには、共感したり励ましたりする“心の力”はまだありません。

もう一つ大切なのは、「価値観」や「生き方」を伝えることです。AIは過去のデータから学ぶことはできますが、「これからの社会をどう作るか」という未来志向の考え方までは教えられません。教育に携わる人は、知識だけでなく「人としてどう生きるか」を子どもたちに示す存在です。その姿勢や言葉が、子どもの中に生き方の“芯”を作っていきます。

AIが教育現場に入るのは、決して悪いことではありません。むしろAIが得意な部分(分析・記録・最適化)を任せることで、教育現場では「人にしかできないこと」にもっと時間を使えるようになります。たとえば、一人ひとりの気持ちを受け止め、想像力を伸ばすような関わり方ができるようになります。AIと人間がそれぞれの強みを活かして協力し合えば、教育はもっと豊かで温かいものになるはずです。

AIの時代だからこそ、教育の価値は“人”の中にあります。知識を教える先生から、心を育てる先生へ。そんな新しい教育の形が、これからの時代を支えていくのだと思います。

さて、ここで問題です。私が書いた部分はどこからどこまででしょうか。恐ろしい時代になったものです。