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2024年3月14日 (木)

【第826回】「都会志向やめます」Ko. M. (英語)

 私は、石川県の中央部に位置する小さな町に生まれた。その町には山も河川も水田もなく、あるのは海岸と砂丘であった。いわゆる何もない田舎である。住んでいる家からは、耳を澄ませば波の音が聞こえるほどであった。当時、それが心地よかった。高校生になると金沢駅まで列車(当時は電車ではなくディーゼル)とその先は自転車で通学した。小さい時から金沢には何度も行ってはいたが、見える景色や会う人たちはガラッと変わり、少し大人になった気分だった。要するに毎日がとても刺激的であった。例えば入学した時、犀川の河原の桜並木がとても綺麗だった。川のない町に生まれた者にとって、その景色はとても新鮮に見えた。さらに通学途中で香林坊や片町などの繁華街があった。何しろ大きな書店やデパートがあり、食欲をそそる飲食店もたくさんあった。片道1時間半の通学時間は苦痛もあったが楽しみの方が勝った。こうして自分の中で都会志向が始まったのである。
 大学受験では更なる大都会への欲求が爆発し、東京に行くこととなる。東京を目指した理由は、単純に日本一の大都会だからである。まずは言葉の習得である。石川県の方言は田舎者扱いされた。「どこの言葉?」とか「どこの出身?」と聞かれるのが、恥ずかしかった。だから、一生懸命、標準語をマスターした。不思議なことに、自分で標準語を話しているつもりでも関東の人たちには違和感があるらしい。悔しくてイントネーションを一つ一つ改善させた。時々、同郷の友人と話す時もあったが、お互いに標準語で話すのはさすがに照れ臭く、小さな声で話し慣れている方言で話した。
 東京は田舎者の集合体であるともいわれる。初めて会った人から出身地を聞かれて、石川県と答えると、その反応はいろいろである。「へぇ~、石川県。寒いんでしょう?」「雪が多いんでしょう?」と否定的な発言が多かった。言っている人たちは悪気がないのはわかっているが、自分の故郷に対して悪口を言われているように聞こえた。これとは反対に金沢は認知度やイメージがよく、「金沢、いい所なんでしょう。」「今度行ってみたい。」「寿司が食べたい。」という人もいた。
 大学を卒業し、その後の就職もやっぱり東京。すっかり都会人になりすましていた。当時私は旅行会社に勤務していたので、お客さんを外国に案内することもあった。世界の大都会といえばニューヨーク。その他にもロンドン、パリ、フランクフルトなどをよく訪れた。ある時、何故か人がいっぱいいる大都会は落ち着かなくなってきた。齢をとったためだろうか。理由は小さな町の存在であった。ヨーロッパには人口が1万人未満でも魅力的な街が数多く存在する。中世の戦乱期には、街を守る城壁を張り巡らせ、今もなお当時の街並みやその町の伝統文化が残されている。例えば、方言や郷土料理や伝統産業などである。大都会とは対照的ではある。私は次第にこれらの小さな町が愛おしく感じるようになった。同時に、自分の生まれた町や高校時代に通学した金沢を軽視していたのではないかという疑念を抱くようになった。地方だからとか方言だから恥ずかしいというのは、全く意味がない。自分を育ててくれたこの土地に誇りを持たなければならない。これからは郷土の良さを発信することが大切であると強く感じたのである。それには郷土についての知識を身につけなければならない。少し調べてみると、明治時代初期、意外なことに石川県は都道府県別で人口が1位であった。もちろん東京や大阪よりも多かったことになる。当時の石川県は都会だったのかもしれない。
 最後に、能登半島地震では、多くの方が愛する人を失ったり、家を失ったりと想像を絶する悲しい思いをしたことだと思う。能登には真っ黒の能登瓦をのせた伝統的デザインの建物が多いが、民家が倒壊した映像を見ると胸が痛い。郷土を愛する能登の人たちの生活が一日でも早く平穏に復することを祈りたい。

2022年10月13日 (木)

【第751回】「個性とコミュニケーション」Ko. M. (英語)

 本年度より本校で英語科の授業を担当することになりました。私は社会人を経験しています。以前はツアーコンダクターとして世界各地を飛び回っておりました。当時の仕事は、お客様に外国の良さを伝え、満足してもらうことが重たる使命でした。今はそのことがとても懐かしく感じます。特に印象深かったことは、訪ねた国々にて、日本との違いを多く発見したことでした。単に言語が違うということだけではありません。実は、根本的にものの考え方が違うということでした。それにより、時には不便や違和感を覚えたり、時にはなるほどと感心して憧れたりもしました。そして、次第に日本との違いを楽しむようになりました。例えば、電車やバスの中での携帯電話での通話は、他人の迷惑になります。だから、日本では禁止されています。しかし、外国ではどの国でも禁止されていません。また、ゲームをする時はイヤフォンを使わずにスピーカーの音を漏らしている人もいます。このことから日本人は神経質なのかと思ってしまいます。もう一つ例を挙げると、教育の考え方もかなり違っています。欧米では、個性を大切にするという考え方が浸透しています。以前、修学旅行の引率でロンドンに行った時のことです。現地の観光ガイドさんは、バスの中で自己紹介の後、次のことを言いました。「ヨーロッパの教育は、日本とは違いますよ。個性を伸ばす教育なのですよ。だからみんなが持っている唯一の個性を大切にしましょう。」でした。その時、それを聞いた生徒も先生も驚いて目をパチパチさせていました。そのガイドさんが言いたかったことは、金太郎飴のような人間にならないでほしいということでした。みんなの顔が違うのと同様、個性も違って当然。興味のあるものを発見し、そのことについて、どんどん腕を磨いていきましょうということだったと私は認識しました。ヨーロッパでは個人主義が基本です。そのため、個性と個性がぶつかり合うことが心配されます。しかし、みんなが違うからこそ、他人を尊重することも大切になります。他人が自分と違うことで差別につながるのではなく、お互いを認め合うことが必要だということです。そこで大切なのがコミュニケーションなのです。私は、前職の経験を通じて外国人とのコミュニケーションの大切さを痛感しました。日本人だからと言って差別されたこと、反対に日本人だから信頼されたこと、でも最終的にはその個人の人柄なのだと理解しました。これらの経験は、ほとんどが失敗の連続でしたが、とても有意義だったと思います。コミュニケーションを深めることによって、人との距離がより近くなることは、私にとって、この上ない喜びでもありました。いろいろな人に話しかけるのは勇気が必要です。しかし、自分と全く違う見方や考え方を発見することができるのです。このことで自分の視野が広がることもあるのです。私は、この違いを発見した瞬間がとても好きでした。
 現在の私の生活は、遊学館高校の生徒や先生方と多くの時間を共有しております。毎日が新しい発見の連続です。もちろん、生徒から学ぶこともたくさんあります。なかでも、目標に向かって全力で打ち込んでいる姿はとても輝いて見えます。遊学生のみなさん、どうか自分の個性を大切にしてください。そして、是非とも自分とは全く違う「いろいろな人」や「外国人」にも興味や関心を持って、優しく思いやりのあるコミュニケーションを目指してください。