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2018年10月25日 (木)

【第551回】 「命のつながり」土谷 悠成 (地歴・公民)

 今年は大雪に始まり猛暑、豪雨、地震、台風と多くの災害に見舞われ、尊い命が数多く失われました。
 このブログを書いている今も、台風26号が発生したという報道があり、今後の動きが気にかかります。
 私は遊学館において主に日本史の授業を担当しておりますが、授業の中で思うのが人類の誕生・先土器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代・安土桃山時代・江戸時代・明治・大正・昭和・平成とそれぞれのどの時代においても、私たちのご先祖様は必ずいたという事です。
 当たり前と言われるかもしれませんが、そのご先祖様たちが一人でも欠けると、自分は今この世にはいない。それぞれの時代において、今年おこったような災害だけでなく、戦争・飢饉・疫病などが幾度となく襲いかかる時代を生き抜いてきて下さった。
 いったいどのように生き抜いたのか、そして、どのような暮らしをしていらっしゃったのか、分からぬ事ばかりですが、命を繋いで下さった事は間違いありません。命が尊いというのはまさにそういう事なんだなと。
 私事ですが昨年の12月に父親が往生の素懐を遂げられました。その通夜・葬式の際、多くの方々の弔問があり、今でも大変感謝すると共に、私やその家族がたくさんの方々に支えられている事を改めて知る事が出来ました。
 ご先祖様達から受け継がれ頂いているこの命、多くの方々に支えられているこの命、日々それに応えられるような生活を送っているだろうか。ふと、その思いを自分に投げ掛けますと、自信をもって答えられないのが恥ずかしい限りです。
 このブログを書かせて頂いたのもご縁です。改めてこの機会に自分の生活や考え方を見直し、自信をもって命を輝かせている姿を支えてくださる方、ご先祖様に見て頂きたいと思う次第です。

2018年10月18日 (木)

【第550回】 「節目」T. T. (理科)

 今回のブログで先生ブログが550回目の節目を向かえるということで、何を書いたら良いものかといろいろ悩みました。ブログも節目ということで、私もテーマを「節目」として書いてみることにしました。
 私が人生の大きな節目だなと初めに感じたのは“成人式”の時でした。いろいろなものに守られていた状況から一転、ありとあらゆることをすべて自分で責任を持たなければならなくなり、特に何がということはないのですがその状況に恐怖を感じたことを今でも覚えています。それと同時に今まで守りながらそこまで育ててくれた親への感謝も大きく感じたのも覚えています。高校生である遊学生の皆さんは、親の存在を今はわずらわしいと感じることもあるかもしれませんが、たくさん気にかけてくれたり、心配してくれながら育ててくれていることに感謝し、些細なことからでも良いので親孝行してあげてください。感謝は決して忘れてはいけません。1人では生きてはいけないのだから。
 私の次の節目は社会人になった時。ここでは自分でお金を稼いで生活していくことの大変さを学びました。それと同時に自分のやりたいことにチャレンジしたり、趣味にさらに深くのめり込んだりとやれることの幅も広がりました。学生が終わったら楽しいことなんてほとんどないんだろうなと思っていましたが、できることが増えたことで嫌なことばかりじゃない!そう実感しました。
 最近では、身近で同級生であったり、先輩であったり、結婚の話をよく耳にするようになりました。自分と歳の近い人たちが結婚していくと、もうそういう節目の歳になってきたのかぁと改めて年齢を重ねていることに気づかされます。
 そんな中、自分もこれから訪れるであろう様々な人生の節目に向けて貯金を始めることを決心し、今年の11月から計画的に貯めていくことを自分自身の中で誓いました。先をしっかり見据えて行動することは、人生の節目を迎える上でとても大切なことだと私は思っています。遊学生の皆さんもこれから自分に訪れる“節目”に向けて、今自分にできることを精一杯してください。ここでの選択がその先の自分自身の人生を大きく左右することを忘れないでください。そして有意義な人生を楽しんでください!!

2018年10月11日 (木)

【第549回】 遊学生、前へ!辻元 友視 (英語)

 夏休みの終わりに白山登山に行ってきました。石川県に生まれて30年余り、恥ずかしくもこれまで白山に登ったことはありませんでしたが、同僚の先生に誘われて登りに行ってきました。登山自体あまり好きではなかったのですが、登ってみると意外と気持ち良いもので、話も弾んでスイスイと登ることができました。それも初めの40分間だけでしたが…。私が思っていた以上に道は険しく、普段の自分のトレーニング不足や準備不足を呪いました。他の先生から叱咤激励を頂きながら登り続け、頂上まであとわずかという休憩所にたどり着きました。そのころには足はもうパンパンで、目の前に頂上が見えているにもかかわらず、愚かにももう帰りましょうと言い出す始末でした。他の先生の説得(?)もあり、再び頂上を目指すことになったのですが、疲労の色は濃く、数歩歩いたら20秒休憩の繰り返しでした。
 しかし、ふと後ろを振り返って見て気づいたのは、どれだけゆっくりでも確実に頂上には近づいているということでした。それは当たり前のことなのですが、人間というものはやるかやらないかを感情で判断することが多いように思います。山頂へは無事たどり着くことができましたが、山頂に登ってみて、「今まで登ること(行動すること)すらしなかったことがたくさんあるな。」としみじみ感じました。
 そこで高校生の若い皆さんに伝えたい。勉強でも部活でも恋愛でも何でも、「踏み出さないと始まらない。」そして「前へ進めば必ずたどり着く」ということです。このようなことはわかっているつもりだったのですが、私自身登山をしてみて感じることができました。高い山(目標)であればあるほど踏み出さないこと(行動しないこと)ってたくさんあります。皆さんにはどれだけその山が高かろうが、勇気をもって一歩一歩前へ進んでほしいと思います。がんばれ遊学生!

301011山頂手前の休憩所

2018年10月 4日 (木)

【第548回】 「恩師」T. M. (英語)

 7月下旬、金城大学のテニスコートで私はそのことを知らされました。どこかで覚悟していたような、それでも信じられないそんな感覚がしました。自分にとって大事な人が亡くなりました。

 滝本先生は私が教員を目指すきっかけをくれた先生のそのまた先生でした。とにかく元気で明るく前向きで一度話し出したら止まらなくなる人でした。そんな先生との一番の思い出は亡くなる2ヶ月ほど前にした大喧嘩です。

 きっかけは些細なことでしたが、そこから授業や英語に関する話になり、お互いに引かず言いたいことを言い合いました。大人になってあんなに本気で言い合ったのは今までなかったかもしれません。しかしその言葉一つ一つは先生から自分への叱咤激励であり、そのとき言われた言葉は今でも忘れることができません。「そんなこともわからないの」「あなたがやらないで誰がやるの」ストレートで重い言葉でした。そのときは私もむきになっていましたが、後になってそこまで自分に対して言ってくれる存在がいるということは幸せなことだと感じました。

 葬儀の際、部活で応援してもらっていた生徒、遅くまで残って英語を教えてもらっていた生徒、いつもは少し突っ張っているけど本当は素直で優しい生徒、みんな泣いていました。その中に予備校時代に私を担当していた先生(滝本先生の教え子であり私にとっての先生)もいました。二人で先生の思い出を話しているときに「滝本先生は君のことをかわいがっていたと思うよ、だってあの人は興味ない人や期待していない人にはそんなこと言わないから」と言われ、生徒がいるので我慢していましたが、その言葉でいろんなことを思い出し、涙が止まりませんでした。もっと休むように強く言っておけば、もっと話を聞いてあげていれば、いろんなことを考えましたが、それでもきっとあの人は元気でいる自分を証明したくて教壇に立っていたと思います。

 「人の成長に間近で関われる仕事」それが教員という仕事だと私は思っています。そして私も含め、多くの人が滝本先生に成長させられていたのだと思います。葬儀の後、予備校の先生から連絡があり、当時の資料や教材がすべて送られてきました。そして「超えてもらわないと困る」と言われました。正直、プレッシャーはありますが、少しずつ自分も誰かに影響を与えられるような存在になりたいです。

 先生のご冥福を祈っております。

※この先生ブログを書いている日に、京都大学の名誉教授の本庶佑(ほんじょ たすく)さんがガン治療の研究でノーベル医学・生理学賞を受賞しました。もっと早くにこの技術が普及していれば、生きている時代が違ったらと、たられば話をしても仕方がないのですが、一人でも多くの人がやりたいことができずに終わることがないように願っています。