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2018年2月22日 (木)

【第517回】 「冬を越えて」宇多 颯 (地歴公民)

第137回北信越地区高等学校石川県大会3回戦で北陸学院に7対6で負けてから
早くも5ヶ月が経とうとしている。
今のチームは昨年の夏から主力となっている選手が多くはっきりいって能力は高い、
しかし、その能力に甘んじて自分に厳しい課題を課すことのできない選手が多くいた。
そのため、自分に対しての不安、相手の勝利への執念に圧されてしまい
本来の力を発揮できずに終わってしまった。
遊学館野球部の練習時間は他の野球部と比べ短く、自主練習を主にしているため
悔しい思いを糧に選手ひとりひとりが、自分色の冬を過ごすことができた。
もうすぐ雪が溶けて球春がやってくる。

この冬を越えた君たちが春・そして夏、どんなプレーをするか私は楽しみにしている。

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2018年2月15日 (木)

【第516回】 「自然が教えてくれたこと」植木 大 (保健体育)

 金沢に来て22年、初めて大雪を体験しました。これまでは、県外の方から雪のことを聞かれても「金沢はたいしたことないですよ」と答えていたが、改めて自然の怖さを体験することになりました。交通機関は麻痺し、学校も数日休校になりました。特に毎日の除雪作業には心身共に疲れました。しかしながら、新しい発見もありました。ボランティアで除雪作業に励む生徒たち、雪で身動きがとれなくなった自動車を救助する人たち、小学生の通学路を確保するために深夜にわたり除雪する人たち、沢山の方々が誰かのために行動していました。
 私は部員に「自分の置かれている環境や状況が良いときは誰でもプラスの判断・行動が出来る。大切なのは自分が上手くいかないとき、逆境に経たされたときに、どう判断し行動できるかが、今後の人生やプレーに影響を及ぼす。」と伝えています。上手く行っているときは普通に振る舞えばいいと思います。肝心なのは苦しい状況に経たされたときに、どう行動できるかだと思います。苦しいときにこそ、人間力の違いが明確になるのではないでしょうか!
 大雪や震災など、時々自然は意地悪をしてきます。悲しいことや苦しいこともありますが、学ぶことも多いのでは・・・人の温かさや大切なことを教えてくれていると思います。
 卓球のナショナルチームのユニホームには「WASURENAI 3.11」とプリントされています。大雪で感じたことを忘れずに、自分も含め、生徒と共に人間力を高めていきたいと決意しました。

2018年2月 8日 (木)

【第515回】 「大切なことは700年前から変わらない」I. I. (国語)

 兼好法師が書いたとされる随筆「徒然草」は244段からなり、その内容は兼好の思索や¬雑感、逸話など非常に多くにわたります。その中でも150段「能をつかんとする人」は、落ち込んでいる時に読むと、とても元気が出てきます。
 
   能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに、人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かくいふ人、一芸も習ひ得ることなし。
 いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、そしり笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして、年を送れば、堪能のたしなまざるよりは、つひに上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、ならびびなき名をうることなり。
 天下のものの上手といへども、はじめは、不堪の聞こえもあり、無下の瑕瑾もありき。されどもその人、道の掟ただしく、これを重くして放埓せざれば、世の博士にて、万人の師となること、諸道かはるべからず。
 
     
 その現代語訳がこちらになります。
     
   これから芸事を身につけようとする人は、とかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するのがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例はひとつもない。

 まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざり、バカにされようと笑われようと恥ずかしがらないで、気にしないで、才能がなかったとしても、立ち止まらず、踏み外すこともなく、年を送っていけば、最終的に、その道の極みを嗜まなかった人よりも上の立ち場になれるし、しかも人望も備わって、多くの人に尊敬され、天下一の名声も得られるようになるものだ。
 
     
    ”神レベル”に上手いと言われている人でも、最初は未熟だという評価を受けてきたし、実際、作品には決定的な欠陥とかもあったりした。それでも、道の掟に従い、これを重んじて、遊びもしない人が、その道のプロとして、様々な人の先生となってきたのだ。これはどのジャンルでも変わらない話だ。

 

 
 未熟でも、うまくいかなくても、馬鹿にされて悔しい思いをしても、自分がどう見られているかを気にせずに、一心に打ち込んでいくことの大切さが記述されています。

 遊学館には、そんな一途な生徒が数多くいると思います。そんな生徒を応援するのが僕ら遊学館教員の仕事です。

  頑張れ、遊学生!

2018年2月 1日 (木)

【第514回】 映画I. Y. (英語)

    “Our deepest fear is not that we are inadequate. Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.” (最大の恐怖は無力と知ることではない。最大の恐怖は自分の計り知れない力だ)(映画「コーチ・カーター(2005)」より)

    これは、あるクラスで見た映画のワンフレーズです。アメリカのとある高校のバスケットボール部を舞台とした実話映画を鑑賞していました。
    最初は、「バスケットボールの映画」とだけ聞くと、
    「バスケ映画とかおもんない」
    「ほかの(映画)がよかった」
といった少々ネガティブな意見がちらほらあがりました。
    しかし、その後映画を見進めていくうちに、生徒からは
    「面白かった」
    「続き早く見たい!」
という意見を聞くことができました。
    私の趣味の一つとして、「映画鑑賞」があります。今ではネットでの映画配信も増加し、映画館やレンタルショップへ足を運ばずとも楽しめるようになりました。
    基本、映画となれば、内容がわかりやすい映画や世間的にも有名な映画など、自分の趣味に合った映画を見ることが多いと思います。また、ざっくりと映画と言っても、ドキュメンタリーやコメディ、ラブストーリーなどジャンルも多数存在しています。
    私が映画を見始めたきっかけは語学学習です。ネイティブに近い英語を聞くことで、知らなかったフレーズや表現をたくさん知ることができます。今では、それに加えて私は映画を見る習慣の一つとして、「タイトルを見る」ことから始めています。どんなジャンルであれ、タイトルから内容を推測してみるのも楽しみの一つです。確かに、タイトルだけで判断して中身を見てみると、すべてが「おもしろい映画」というわけではありませんし、後味が悪いものもありました。でも、その過程は無駄ではないと思っています。
    「このセリフいいな」
    「あ、この風景、あのシーンと似てる!」
どんな形であれ、映画は自分たちの生き方に影響を与えてくれています。
    映画は、この世の中に何百万以上あります。自分の身の丈に合ったものだけをみるだけでなく、普段はあまり見ないものに手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。