« 2015年11月 | メイン | 2016年1月 »

2015年12月24日 (木)

【第406回】 おめでとう土谷 悠成 (地歴・公民)

 今年度も残すところ、3学期のみとなり月日の流れの速さに改めて驚かされておりますが、この27年度の1学期・2学期を振り返ってみますと、生徒に「おめでとう!」と言う機会が多かったように思います。

 大学・短大・専門学校の合格、就職の内定を頂いた生徒、高校総体で個人・団体を制覇した男女卓球部員、石川県を制し甲子園大会に出場した野球部員、新人大会で優勝したサッカー部員、北陸代表として全国大会出場を決めた吹奏楽部員、男女アベックで全国高校駅伝に出場を決めた駅伝部員、ジャパンカップとバトントワーリング全国大会で優勝したバトン部員。
(他にも多くの生徒や部活動が輝かしい結果や成績を残しております。部活動の成績に関しては遊学館高校のホームページ、部活成績ブログで確認できます。)
 多くの生徒に「おめでとう!」が言えた1学期・2学期でした。

 以前、車内で何気なくラジオを聴いていた時、パーソナリティーの方が

「“おめでとう”を英語で言うと、“congratulations”複数形の“s”がつくんですよ。」と言っておりました。

 そのラジオ番組で「おめでとう」の話題はこれだけだったのですが、なぜ複数形の“s”がつくのか分からないなか、私がふと思ったのは、「おめでとう」と言われる事を成し遂げた時、それは言われた本人一人の力だけではなく、多くの方の支えと協力があったからこそであり、そういう方をも含めてなので、“s”をつけて複数形にしているのかなと・・・
(英語に対する知識がない私ですので、専門家の方に“congratulations”の解釈が違うと怒られてしまいそうですが・・・お許し下さい)

 ですから、先に挙げた生徒たちも、保護者や地域の方、先輩や後輩、そして多くの仲間や先生方の支えや協力、指導があったからこそ素晴らしい結果を残せたのだと私は思っております。

 この場を借りまして、改めて生徒だけでなく、そういった皆様方にも言わせていただきます!!

「おめでとうございます!」

2015年12月17日 (木)

【第405回】 「成長」T. M. (英語)

 夏休み前あたりから私は放課後に301の教室で受験のための勉強を教えている。きっかけはある映画の話をしたときに、「本気で変わりたいなら努力しなさい。そうすれば変われるから。」と話をしたことだったと思う。それから3年生2人でスタートした勉強も夏休みの間に4人になり、今ではたまに2年生も顔を出し勉強するようになった。

 初めは隣に座って教えないと全く勉強が進まなかった生徒も今では自分で計画を立て、1人で集中して勉強できるようになった。そして将来のことを話すようにもなった。勉強をスタートしたときの2人は「もっと早くから始めておけばよかった。」と何度も言っており、後輩にも勉強の大切さを話しているようだ。

 当然のことながら受験には合否があるので、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。しかし合否だけでは無く、私は彼らが自ら行きたい大学に挑戦するようになった姿勢やその過程での努力も評価してあげたい。また受験勉強を通じて学んだ多くことは彼らの人生において大きな収穫となると信じている。

「どうせ~」や「~しても意味が無い。」という言葉が口癖のようになっているなら是非一緒に勉強しよう。本気で変わりたくて努力して変わった生徒はたくさんいますよ。

2015年12月10日 (木)

【第404回】 言志四録の思い出T. H. (数学)

 人は少壮の時に方(あた)りては、惜陰を知らず。知ると雖(いえど)も、太(はなは)だしくは惜しむに至らず。四十を過ぎて已後(いご)、始めて惜陰を知る。既に知るの時、精力漸(ようや)く耗せり。故に人の学を為(おさ)むるには、須(すべか)らく時に及びて志を立て勉励するを要すべし。不(しから)ざれば即ち百悔すとも亦(また)竟(つい)に益無からむ。
 佐藤一斎の「言志四緑」にある文である。この文と出会ったのは私が高校3年生の時だ。学校の図書館で、漢文の参考書を眺めている中で出会った。当時、結構時間を無駄にしていたので耳の痛い言葉でもあり、何故か心に残った。教師になってから受験生を担当したときなど、何度もこの言葉を用いている。長い教師生活の中で、ずっと付き合うことになった言葉である。
 受験勉強の中で、様々な出会いや発見がある。私は理系であったため、漢文の勉強などはあまりする方ではなかった。ただ、そのときは、目前の課題として仕方なく取り組んでいた。当時面白いと感じて取り組んでいたものでも、現在は殆ど覚えていないものも多い。何が数十年後の自分の心に残るか誰もわからない。
 受験生諸君、受験勉強は苦しい。しかし、その中で自分の一生の宝物になるようなものに出会えるかもしれない。今はそれを信じて好き嫌いを言わずに取り組むしかない。センター試験も近い。合格を目指して頑張れ。

2015年12月 3日 (木)

【第403回】 生徒と先生Ta. Y. (英語)

  志望校合格を目指し、昼休みや放課後3年生と時間を過ごしている。始めたばかりの頃と比べると、取り組み方や学力にも良い変化が見られ手応えを感じる一方、生徒のマイペースっぷりにがっくりすることもたびたびある。毎回きちんと出席する者、言い訳付きで一部分のみやってくる者、プリント自体なくす者・・・。「本番まで後○○日!!」とこちらはやらせたいこと満載で焦っているのに、本人たちが呑気に構えているのを見ると、”自己責任なんだから放っておけばいいんじゃないか。わざわざ時間を割いているのに私だけ頑張っているんじゃばかばかしい。今日はもう止めようか。”という思いがぐるぐる回る。
       そういう時に思い出す1人の生徒がいる。
  1年の時に授業を受け持ったその生徒は特に目立ったわけでもなかったが、席替えをしても毎回なぜか最前列の同じ席にいるので(担任に要望して認められていたからだと後で知る)自然と話す機会が増えた。2年になり授業で直接顔を合わせることがなくなっても、定期テスト前、放課後よく質問しに来た。ついには「△△大学に行きたいから受験勉強をみてほしい」と言って来た。正直その時は“難しいな、頑張っても届くだろうか”と思ったが、放課後私のところに来る毎日が始まった。出した問題を全てこなし、暗記すべき単語や構文も同時進行で覚えてくる。模試の結果の悪さに泣くこともあったが、蓄積されていった学力はその子の武器となり、そして自信につながっていった。“この努力を何とか実らせてあげたい。結果を出せるようにしなくては。”と私にもプレッシャーの日々だった。
   そして2月、志望校に見事合格。
  この夏休みの帰省時に連絡があり、他数人の生徒と一緒に会う機会があった。「向いてないかもしれないけど、先生になりたいから教職を取っているのだ」と聞いて嬉しくなった。「中学の時は学校が嫌いで休んでばかりだった。1年の時たまたま英語のテストが良くて先生に褒められて、もっと褒められたいからますます頑張って、ってしているうちに英語が好きになり、得意教科になり、今の大学に入れた。夢もできた。先生に会えたから遊学に来てよかった。」みたいな事を言われてじんときた。
私自身覚えてもいないそんなことがきっかけになるんだ、と驚きもした。
あの時間は私にとってもかけがえのない時間であり、大切な思い出となった。
   人を「教え育てる」事はこの生徒のように決して成功ばかりではない。私も含め先生たちは失敗したり、立ち止まったりしながら日々模索している。
    “さあ、やっぱり今日の放課後も頑張ろう!”