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2015年11月

2015年11月26日 (木)

【第402回】 人生の残り時間

先月の終わりに小・中学校毎日のように遊んでいた友人を亡くしてしまいました。

人は誰かが亡くなった時に、改めて誰にでも死というものが訪れるということを意識します。
人生の残り時間を考えます。

私は今、三年生の担任をしていますが、もう卒業まで100日を切りました。
残りの時間の使い方を、クラスを8つのグループに分けて考えさせています。(2学期から)
グループに分けたのは、個人の責任やメンバー同士のコミュニケーションを重視するためです。 企業などでも、プロジェクトチームや委員会などのように小グループで活動することが多いと思い、クラスでもグループ(クラスではチームと呼んでいます)で学校生活を送っています。

私とチームミーティングをして、現状の把握と改善策をメンバーで考え、頑張っています。
私はミーティングで厳しいことを言います。当たり前にしなければいけないことから細かい事まで指摘します。そして、改善策についても不十分であれば、何回も考えさせます。
そこまで求めなくてもと思うこともありますが、常に一歩前、二歩前までを要求します。

なぜならば・・・

我々「先生」(先に生まれた者)は、先に生まれて得た経験値を後から生まれた子達に伝えなければなりません。特に、失敗したこと、より良い人生になるようなアドバイスを伝えていかなければなりません。それが、厳しい要求になり、煙たがられても伝えていかなければなりません。3年生は大学等に進学するとしても、高校を出たら社会に出ることになります。
おそらくここが社会に出る最後の砦になると思います。
社会では口うるさく指摘、指導するよりも、関わらないという選択を周りの人はするでしょう。

この取り組みが正解なのかわかりません。
答えは卒業した後にわかるのかもしれません。
我がクラスの生徒がこの取り組みをしていて良かったと思う日が来てくれればと願って日々奮闘しています。

人生の残り時間は人によって違うものであり、どれくらいあるのか分かりません
その限られた時間の中で、私と出会って良かったと思ってくれる人が一人でも増えるように頑張りたいと思います。

2015年11月19日 (木)

【第401回】 苦い思い出は経験値へ

 大学時代に必須科目の量子力学Ⅰを2回単位落とした経験がある。初年度は教授が話す内容が全く理解できず、大学の授業の単位の取り方も分からず受講した。
 初めて単位を友達と違って落とした時、自分の勉強に対する甘さがあることを自覚し、後期の量子力学Ⅱは必死になって本を読んで単位を獲得した。次の年、量子力学Ⅰを1つ学年下の学生と聞く教室の違和感はあったが、卒業するために必要だと努力をした。
 それでも何故か単位を落とした。
 教授に抗議に行ったが、教授は「高宮、お前は基本が全く分かっていない」とその一言でその場は帰らされた。教授がいう基本とは何か分からなかった。本当に分からなかった。
 その当時はまだ、小柴昌俊さんが自然に発生したニュートリノの観測の成功からノーベル物理学賞を受賞する前で、素粒子の存在は『もっとも確からしい』という、99.9%は確かであるが、断定することは難しいという推定の時代であった。私は『確からしい』という物理学で頻繁に使用する言葉が理解できず苦戦をしていた。素粒子は論文内に多く存在し、授業の教材にも計算で証明され、確かに存在しているのもだと私は思い込んでいた。
 存在する素粒子は、全世界で観測することが出来ず、物理学者は存在の断定を誰よりも先は発表したい気持ちが研究者にあった。山ほどいる研究者の一人が教授であったのだ。私はまだ、未熟であり、『確からしい』という言葉のもつ深い意味も分からなかった。
 今年、ニュートリノの振動の発見により質量があることが認められ、梶田隆章さんもノーベル物理学賞を受賞した。
 まだまだ、未知の世界が多い物理学の世界で『確からしい』という言葉が『確かだ』になることを私は楽しみにしている。ただ、『確からしい』という言葉は苦い思いが脳裏に浮かび、あの頃を思い出すので嫌いだ。
 遊学生はこの先、勉強・部活動・人間関係で何か悩み・分からないときが来る。そんなときは、大人や友達に相談しよう。何か力になるかもしれない。
 大人は人生でその経験を何度も歯を食い縛りながら乗り越え、悩んだ経験値は生徒・学生より高い。悩みや分からないことは一人で考え込まないで欲しい。

 あの時の私は誰に相談したかな。

2015年11月12日 (木)

【第400回】 「目標」

 早いもので、成人式を迎えてから3年、社会人となってから色んな先生にお世話になりながらも半年の歳月が経った。季節の節目に行われた高校のクラスの同窓会では、久しぶりに会う顔ぶれに思わず当時の気分になってはしゃいだが、仕事の話になると活き活きとした顔で話す者からあまり自信なさげに話す者もいた。
 高校生活を思い返してみると、平素から自信を持って「俺は○○大学に行く!」と公言していた友人は今の進路に納得して進めているような気がする。
 それに対して当時から進路もなかなか定まらず、なんとなくで学生生活を送っていた友人は今の仕事に不満を持っているように感じた。
 私は3年生の授業は持っていないのであまり生徒達と進路の話をしたことはないが、成績が良い生徒の話を聞いてみると「私は○○の専門学校を目指しています。」と話したり、目標を持って高校生活を送っているようだった。
 逆になかなか授業に身に入らない生徒に将来のことを聞いてみても、あまり自分の将来のビジョンが見えていないようだった。
 では私の高校生活はどうだったかというと、私自身は高1のときから数学の教師を志していたので(少なくとも数学については)真剣に授業に取り組んでいたと思う。
 人生一度きりの学校生活、悔いを残さないように生徒達にはだらだらと過ごすのではなく、「目標」を持って精進していってほしいし、私自身も教師という職業は生徒の将来に良くも悪くも影響を与えるのだという意識をもって、「園下先生に習って良かったです」と言ってもらえることを「目標」として、授業を真剣に行うことはもちろん、授業以外でも生徒達に積極的に接していきたいと思う。

2015年11月 5日 (木)

【第399回】 まさか、教え子が甲子園に

 今年の遊学館高校の野球は、盛り上がりました。私は七尾高校との試合を県立球場に観戦に行きました。これでも昔から勝負の世界をよく経験してきているので、「大事な試合に、おれが行ったから負けたのだ」と勝手に考えたりしてしまうので、多分勝ってくれるだろうとの思いもあって、七尾高校戦を見に行きました。しかし、相手の投手は軟投で、意外に点が入らなかったのです。日差しが強くなったので、相手側のスタンドで観戦しましたら、なんと数学を教えていたG君が代打で打席に入りました。あの子のパワーならスタンドもありえると思っていましたが、三振に倒れたのです。何やら肩に力が入っているように見えました。やはり高校野球は難しいもんだなあと痛感しました。しかし、その後、勝ち進んで見事に甲子園にコマを進めたのには感動しました。
 体育館の壮行会では、選手のユニホーム姿は、美しかった。それだけでも一人一人の人生に輝く一ページになるのです。
 この私も、前の学校で野球の応援(団長)に行ったことがあるのです。創部間もないころで、応援団もないので、バトン部とブラスバンドで行ってこいと指示されて行ってきました。穴水高校との試合の応援に行ったのです。試合の方は。20点以上の大差でコールド負け。相手は2番手、3番手の投手を出してきましたが、ほとんどヒットは打てなかったのです。試合終了の後、バスに乗ろうとしたら、恥ずかしながら急に涙が止まらなくなったのです。周りの者たちは、余りの大敗に、先生は悔しすぎて、泣き出したのだと思っていたようですが、実のところ、あの女学校がこうして高校野球に出られた、試合ができた、そのことの感動で、胸が爆発したのであったのです。スコアボードに自分の高校の名前が出たのを思い出してしまうと、さらに嗚咽が倍加しました。わたしは、小学生のころから野球にはそれなりの、思い入れがあったのだと、自分を見つめています。
 そのあと、縁あって、この学校に勤めさせていただき、なんと現実に数学を教えていた生徒が甲子園に行ってくれるとは、自分の人生に驚いています。神様のいたずらかもしれませんが、余りにも出来すぎている自分の人生に、これまた感動しました。しかも全国の強豪相手に1勝してくれるとは。
 私は、勝敗にはあまりこだわっていません。勝負というものは、何しろ、一つしかないものをお互いに死力を尽くして奪い合うのですから大変です。数学の問題のように、ただ解いてくださいと、黙っているわけでなないのですから。人間と人間の勝負は、それは大変です。
 高校生の部活動などいつも、勝負はついて回ります。相手も勝とうとしています。そのとき、相手に勝とうとするのではなく、今の自分にとって一番ふさわしい結果が与えられるんだという、信念を持つということです。もし敗退という結果が与えられたとすれば、それは今の自分にとって一番ベストな結果だと信じることです。その後の努力がさらなる君の成長を促すのです。いつも考えてほしいことは、みなさんの人生の一つ一つの結果には、何らかの意味があります。その意味を問いかけて、さらなる前進を続けてほしいことです。

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