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2015年9月24日 (木)

【第395回】 OVERCOMES. T. (3年13組担任 数学)

先日、私は3対3で行うバスケットボールの大会「SOMECITY KANAZAWA WHO’S GOT GAME」に出場しました。
内容としては、互いに譲らぬ展開が続き、残り15秒で2点を追う状態、チームとしての攻撃オプションは3ポイントでの逆転。
結果として、そのプレーはロストボールという形で終わってしまいました。
結果25-27での惜敗。
そして、対戦相手が優勝して、本戦出場を果たしていました。
この悔しい思いを糧に鍛えなおして、また来年リベンジしようと思います。
興味のある人は、某動画サイトで検索してみてください。

270924_2 WHO‘S GOT GAME会場にて

バスケでもそうですが、失敗や敗北から学ぶことは多いと思います。
「次はこうしよう」、「あのミスは絶対にしないようにしよう」とか。
私は授業で数学を教えていますが、勉強でもこの失敗から学ぶということをもっと大事にして欲しい。
答えを確認して、赤で書き直しているだけでは絶対に成長しない。
何故間違えたのか、何処で間違えたのか分析して欲しい。
そして失敗を乗り越え、臆せず色々な問題にチャレンジして欲しいなと思います。

2015年9月17日 (木)

【第394回】 活躍川合 美保 (国語)

朝晩涼しくなりました。今年度も半ばです。今年も遊学館高校の生徒はめざましい活躍を続けています。在籍する者としては、学校からの報告や新聞・テレビなどで流れるそれを見聞するたびに誇らしく思います。
 活躍というわけではありませんが、今回は私に起こった些事を述べたいと思います。私はしばしば健康診断(血液検査をしてくれます)感覚で献血に行くのですが、ある日いつものようにのほほんと血液センターへ出かけたときのことです。その日は土曜日で仕事休みの献血者で混み合い、しばらく待つことになりました。そこには十分に雑誌や漫画があるのですが、この日は待つ人が多いためか見たいものは借りられてしまってなく、私はしかたなく(といっては失礼ですが)血液センターが出す情報誌を眺め始めました。パラパラとめくるうち、一枚の写真が目に留まりました。そこには遊学館高校の制服姿の男子五、六人が、初めての献血とのことで堂々たる姿で写っていました。懐かしい、かつての教え子たちでした。思いがけない発見でしたが、思い返せば授業でも積極的に参加していた生徒だったので行動そのものに驚きはありませんでした。しかしながら、やはり誇らしさが湧き上がりました。
 そして別の日、昨年オープンした「かなざわはこまち」の献血ルームへ行ったときのことです。そこは以前学校の近くにあった献血ルームが移転したものです。移転前は近いにもかかわらず立ち寄ったことがなかったのですが、「はこまち」の新しさに惹かれて行ったところ、献血ルームの職員が私の登録情報を見るや「遊学館ですか!?ここに移転しても生徒さんは変わりなく寄ってくれるんです。ありがとうございます。」と笑顔で感謝してくれました。職員に遊学のことを話されることはありますが、それはやはりメディアからの情報でして、このときのようなことは初めてでした。いつも以上に喜ばしい気持ちになりました。
 学校やメディアから伝わる生徒の活躍の情報も良いですが、人から直接知ったり、思いがけないところから得られたりする些細なうれしい情報も良いものです。かえってそちらのほうがいつまでもじんわりと暖かく心に残るものだったりします(私のように)。もちろん人の活躍に大きいも小さいもありません。さまざまなところで活躍する遊学生。その様子をもっと見たい聞きたい知りたい、そしてもっと伝わればよいのにと思った二つの出来事でした。

2015年9月10日 (木)

【第393回】 努力はなんのためにするのかK. N. (数学)

今年の夏の甲子園で、遊学館の生徒たちがプレイをしているのを見た。
彼らが楽しそうに野球をしているのを見て、うれしく思うのと同時に、ここまでくることの道のりを思って気の遠くなる思いをした。

どれだけ苦しい思いをしたのだろう。
どれだけ辛い練習を耐えたのだろう。
本当に頭が下がる。

二回戦を勝って、三回戦で負けたけど、毎年、千人しか生まれない甲子園球児となり、一つ勝つことで、500人の中のひとりになったのである。
高校生が(男子に限れば)167万人いることを考えると、これはすごいことなのだ。
野球部に限っても、(参加)4000の高校に30人程度の野球部員がいると仮定して、
12万人のうちの千人である。いや、12万人のうちの500人になったのだ。
本当に素晴らしい。

この夏休み、三年生のある女子生徒に付き合って、数学の勉強をした。入試で必要だから、勉強をみてほしいと言われたのだ。
一年生のときの教科担当だったので、彼女の実力については、おおよその把握はできていた。正直、(数学の)できる子ではなかった。クラスの中で、後ろから数えたほうが早いような順位の子だった。「大丈夫かな」と思ったが、彼女の「こうなりたい」という強い思いに応えたいと思った。
それが、どうしたことか、驚異的に学力が伸びている。
計算の正確さが上がり、問題を解くスピードもついてきている。
「この問題を解くには、どうすればいい?」と聞くと、(たとえば)「因数分解する」と的確に答えてくる。
計算はたまに間違える。でも、問題の解き方がわかっていて、それをきちんと言葉にできる。とても素晴らしい。

本当にやる気になったときの生徒の力というのは素晴らしい。この調子で続けてほしいと、切に願う。

そういえば、昔読んだ漫画で、主人公がこんなふうに呟くシーンがあった:
「やっぱり、そこそこなのかな」
どういうことだと、主人公に詰め寄る登場人物の一人に、主人公は答える。
「できる子は自分が下手なことをしたらそれが許せなくて頑張る。できない子は、うまくきっかけを掴むと、急に力を伸ばすことがある。でも、そこそこの子は・・・努力すらそこそこなのか・・・」

遊学館の野球部の子は(どちらかと言えば)「できる子」で、自分が下手なことをしたら、自分が許せなくて頑張る子なんじゃないかと思う。

上の女子生徒は「できない子」だったけれども、うまくきっかけを掴めたおかげで、急に力を伸ばせた子だ。

どっちも素晴らしい。では、「そこそこの子」は?

努力が必要なのは、ここだ。

先の漫画の主人公は「そこそこの子」に向けていう:
「努力の先にあるもう一つ上の世界、それを君らに見せたいんだ」

何のために努力するのか。そう。
「努力の先にあるもう一つ上の世界をみるために」

確かに、どんなに努力しても報われないことはある。挫折することもある。
でも、長島茂雄氏によれば
「挫折してもプライドは失われない。努力しているからだ」
さあ、二学期が始まった。季節もいい。たくさん努力しよう。

2015年9月 5日 (土)

【第392回】 就職戦線真っ只中!牛腸 尋史 (英語)

 就職指導を担当して今年で2年目になる。進学指導で30年やってきたため、同じ進路指導であっても勝手が違い、戸惑うことも多くある。その反面、学校関係者以外の方と接する機会が少なかったため、様々な職業に就かれた専門家の方たちとお話をさせて頂くことは、私にとって新鮮で勉強になることも多い。就職は、進学よりもスタートが早く、9月5日に応募書類の提出が始まる。9月4日にこのブログを書いているので、今はまさに就職戦線真っ只中である。生徒が就職を希望する理由は、「早く独り立ちがしたい」や「就職しなければならない」、「勉強したくない」、「やりたい仕事がある」など、様々である。理由や動機は違っても、1年後には私たちを同じ社会人になることには変わりない。
 私も、高校2年生までは就職を希望していて、その理由は「勉強したくない」か「早く独り立ちがした」というようなものだったと思う。「就職」=「大人」、「進学」=「子ども」程度の変に背伸びした考えもあったのだろう。そんな私が大学に進学することになったのは、いざ真剣に職業を考えた時に何を選んだらいいのかを決断できなかったからである。実はその頃、料理が好きだったので「コックさんか板前さんにでもなろう」と考えていた。しかし、料理を自分の職業に決断する段になって、「本当にいいの?」と考え始めてしまったのである。「自分が好きな料理は、好きなものを好きな時に食べてほしい人につくるものであり、それを職業にすることは本当に幸せなのだろうか・・」などと考えてしまうと、頭の中は完全にフリーズしてしまったのである。就職もあまり明確な意思や目標を持てていなかった上に、進学する時も「もう少し自分の将来を考える時間が欲しい」というお粗末な理由だった。これは単なる問題の先送りでしかなく、結局は就職について考えなければならないわけであるが、やはり大学生になると無計画な私でも考え方は多少柔軟になるようで、たどり着いた職業観は、「仕事そのものを目標にするのではなく、自分の性格や特長を活かした職業を選びさえすれば、どんな仕事でもやりがいや面白さはきっと見つかる」ということである。私の場合は、「たくさんの人と接して、人の助けになれたらきっとやりがいを感じるだろうなぁ・・」が出発点であった。その先に見えたのが教師だった。私の場合は、運よく最初に思いついた職業に就いて今に至っているわけである。自分の30年間を振り返ってみても、自分のやりたいことをさせてもらっているなぁと思うことができる(勝手気まま過ぎてたくさんの方に迷惑をかけてしまってもいるだろうが)。
 だから、もし「教師になりたい」と思っている人がいたら、「なぜ教師なのか」を考えてみることも大切なのではないかと思う。私と同じように「たくさんの人と接して、人の助けになりたい」と思ったのなら、それを感じることができる職業は他にもないか考えれば、選択肢はかなり増えるのではないだろうか。幅広い選択肢を持つことができれば、幸せややりがいを感じる職業に就くチャンスもきっと増えると思う。
 いずれにしても今年、就職を希望する3年生が社会人なる時の最初の一歩で少しでも力になって、大学生の時に思っていた「やりかい」を感じることができるように頑張りたい。