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2012年4月30日 (月)

Vol.14 5月3日、遊学館バトン2012新作いざデビュー!松田 淳 (地歴・公民)

金沢の街に新緑のさわやかな風が吹く頃、5月3日(木・祝)市内中心部では「春の舞ひろさか2012」が開催されます。当日13:40頃、しいのき迎賓館 広坂緑地特設ステージにて、わが遊学館高校バトントワリング部が2012新作「Be Magical ! 」を初披露します。

3日後に迫った今日4月30日(月・振)朝8:00。GW連休真っただ中、出演本番に向けて、登校した部員から早朝練習が始まっています。遊学館高校バト ン部の特徴のひとつ、1年365日休むことなく継続される練習。日曜・祝日、長期休暇は朝から夕方までの丸一日の練習。「休みがなくて大変ですね。」とお 気遣いのお声もいただくことがあります。
すべては目標のため。“日本一”この3文字のため。私たちのチームは全国屈指の選手が集うチームではありません。ごく普通の地方の、ごく普通の部活動で す。今年3月末に金沢市にて記念すべき日本海側初となる全日本バトントワリング選手権大会が開催されました。本校から9人のバトン部員が北陸代表として出 場しましたが、誰ひとりとして決勝進出は果たせませんでした。しかしこのチームは集団となると、23年連続北陸代表、全国大会5年連続金賞、過去通算2回 のグランプリチームに変身します。チームっておもしろいですね。力のない“1人”でも、強い意志を持って“結束”すれば日本一を体験できる。フロアに「今 年のグランプリは…遊学館高等学校バトントワリング部!」というアナウンスが響き渡る、その夢のような瞬間をめざして1年365日を頑張るのです。

今日4月30日の北陸中日新聞朝刊1面に『8強戦士が弁護士の道“遊学館高野球部OBの高根さん”』というタイトルで記事が掲載されています。創部から1 年4カ月で夏の甲子園ベスト8に輝いた2002年の遊学館高校野球部でレギュラーだった高根さんは、司法試験に合格して、現在金沢市で司法修習生として研 修に励んでいます。この記事の中で、彼は「トイレに行く時間がもったいない」と猛勉強、「自分を追い込むのが好き。サボっていると逆にストレスがたまる」 と述べています。やはり高い目標・崇高な意志と努力は比例するのですね。夢はその達成のために人を動かすのです。

勉強もスポーツも高い目標が大切です。その高い目標が日々頑張るためのモチベーション(動機づけ)となります。もし、モチベーションが継続できないと悩む なら中途半端な努力で終わらせているからではありませんか。目標の質、努力の質そのものをもっと高めるべきです。日本一になるなら日本一の練習を。頑張れ ば必ず夢はかなうか?いえ、現実はかなわないことがほとんどです。勝負の世界はもっと客観的で冷静です。かなえた人は私たちが理解できないようなその夢に 応じた努力をしたのです。勉強もスポーツも目標達成と努力の量は比例します。ディズニーランドのような夢の世界には憧れますが、その夢の世界を実現するた めにどれだけの影の努力と工夫が結集されているかです。

遊学館高校バトン部にも、高校に入ってからバトンを始める初心者が何人もいます。上級生になったから全国大会に出場できる…という確証はありません。本人 の努力次第です。日本一を競う実力の世界では“上級生”という武器は通用しません。自分の力で、自分の意志で、自分を支えて努力するしか最善の方法はない のです。結局、長年の全国大会への挑戦から得た教訓は「質の高い練習を1年後の365日まで継続すること」が弱小チームが取り組むべき最善の方法なので す。経験豊かな強豪チームの選手は幼少期から血のにじむような練習と時間を積み重ねてきています。私たちは高校3年間で少しでも(強豪チームの)彼ら彼女 らの幼少期に近づかなければ勝てるわけがないのです。彼ら彼女らの幼少期からの努力に敬意を表するからこそ1年365日の練習なのです。勉強もスポーツも 不断の努力が最善の方法なのです。全国大会(入試)まで時間は平等に分け与えられています。あとは一日一日勝負なのです。その勝負はあっという間にやって きます。人間の能力や努力には限界はありません。しかし、時間には限界があるのです。そこを焦らなければ…。

5月3日13:40…最善の最高のステージをお見せします。それが出演者としての責任であり使命です。ステージと客席には目に見えない大きな扉があると思 います。その扉を開けて、お客様の目の前にたどり着けるかどうか、それは出演者が解決しなければならない課題です。心を届けられるかどうかは出演者次第で す。遊学館高校バトン部、年間40回近くの出演はすべて全国大会への道に通じています。私たちの部の基本的なスピリットに「限られた条件の中で工夫をして いつも前向きにベストを尽くす」という信条があります。 ステージ下に1人の小さな女の子がいたら、その子が心から楽しんで笑顔になってくれること、家に帰って「楽しかったよ」とお母さんにお話してくれること、 その日の夜に楽しい夢を見てくれること…そのために遊学館高校バトン部46名がベストな演技をすること、それが私たちの使命です。1年365日、その積み 重ねなのだと思います。

練習の質・努力の質を高めることは、夢の質をも高めることになる。成功への鉄則です。
いろいろな分野で頑張る全国の中高生を応援します!
どこかの街角で私たちをお見かけすることがあれば、ぜひご声援お願いいたします。

2012年4月26日 (木)

【第228回】 行き交う人々Mi. Y. (英語)

 わたしが遊学館高校で教え始めてから丸3年が過ぎ、この四月から4年目にはいりました。卒業したK.H君がわたしの着任早々に付けた某フライドチキンチェーンの創始者の名前は、今年の生徒たちにも引き継がれ、今も「フライドチキンちょうだい。」と言われることが時々あります。わたしがいつものように困った表情になると生徒たちは嬉しそうに笑って立ち去ります。

 さてこの3年間の間にわたしがほぼ毎日欠かさず続けていることがあります。今回はそれについてお話しようと思います。

 わたしの住まいは金沢市の郊外にあります。山を越えれば富山県という田舎です。わたしはそこから車で市内に行くのですが、実は学校までは行かずに、途中の駐車場に車を置いて、そこから歩くのです。7時ごろに歩き始め、途中の休みを含め、約1時間半かけて学校にたどり着きます。雨の日にはズボンも靴もずぶぬれになることもあります。暑い日には汗だくになることもあります。時には辛くてバスに乗ろうかと思うこともありますが、車で通勤する場合には得られないことが多くあり、そのため歩くことを続けているのです。

 7時に歩き始めてしばらくするとマラソン人のSさんと出会います。東京マラソンに毎年出ている人です。最初のバス停では遊学館高校に勤める前から顔見知りの人と挨拶を交わします。次のバス停に行く前に昔の知り合いと顔を合わせることもあります。わたしが生まれ育った町内の人です。1箇所寄り道をした後再びバス通りに戻り、2番目のバス停で某私立高校の先生と言葉を交わします。次に挨拶をするのは2つのお店の人たちです。まず呉服屋さんのHさんですが、遊学館に娘さんが通っていることを3年前に初めて知りました。それまでも朝の挨拶を交わしていたのですが、わたしが本校に勤務先が変わったことを知り、そのことを教えてくれたのです。次いで魚屋さんのOさんです。御主人も奥さんも、いつも必ず、「行ってらっしゃい。」と元気付けてくれます。
 さて昨年は3つ目のバス停に着くころに後ろから「お早うございます。」という声をかけられることがありました。サッカー部のH君かK君でした。H君は、1年の時にこっぴどく叱ったのですが、それを根に持つことなく、きちんと挨拶してくれました。4つ目のバス停に向かう途中の横断歩道では交通安全指導員のYさんに挨拶をします。彼とはボランティア大学の観光コースでの受講生仲間でした。さらにしばらく行くと、Kさんと会います。もう退職し、健康のために朝の散歩をされているそうです。わたしと2,3語の言葉を交わすためにわざわざ足を止めたり、時には通りの向こうから横断歩道を渡ってきてくれたりします。
 昨年は浅野川大橋を渡るころ、「先生、お早うございます。」と二人の女子バレー部の生徒が追い越して行きました。また交差点で、全く授業を担当していない生徒と隣りあわせで信号待ちをすることもありましたが、きちんと挨拶をしてくれ、「気をつけて行けよ。」と言うと、「はい。」と元気な声が返ってきました。
 交差点を過ぎてからはしばらくバス通りから離れます。白鳥路に入る手前のタオル屋さんではそこの女主人らしき人や配送担当の人と挨拶を交わします。
 白鳥路にはトイレと休憩所があり、そこで一休みします。掃除担当のおばさんたちと天気状況などを話しているうちに中学生たちが通り過ぎて行きます。わたしも腰を上げて学校へ向かいます。途中では金沢の三文豪を始め、いくつかの彫像たちがわたしたちを見守ってくれています。春には桜が、夏には蝉が、秋には紅葉が季節を教えてくれます。
 白鳥路を抜けると再びバス通りです。何人もの生徒たちが自転車でわたしを追い越して行きます。大体は黙々と、ときどき何人かは「お早うございます。」とわたしに声をかけて学校へ急ぎます。わたしはゆっくりと行きます。昨年の春から途中の神社で手を合わせ、東北の人たちに早く笑顔が戻ってくることを祈ります。バス通学の生徒たちもわたしを追い越して行きます。「お早う。」と言う回数がどんどん多くなり、やがて学校に到着です。

 こうしてあらためて考えてみると、わたしは朝だけでもなんと多くの人々に出会っているのか、と驚くばかりです。車に乗って、点から点へと移動している限り、こんなに多くの人々と接することは不可能です。わたしが有難く思うのは、それらの人々がわたしの挨拶に応じてくれることで、わたしは自分の存在=自分が生きていることを確認できるということです。それがわたしにこれからも生きていく元気を与えてくれているのです。もちろん生徒たちの「お早うございます。」に一番元気付けられるのは言うまでもありません。今後も体力のある限り歩き続けようと思っています。

2012年4月19日 (木)

【第228回】 命の絆

 少し前の話になりますが、皆さん、「今年の漢字」を覚えていますか?毎年、日本漢字能力検定協会が年末に発表している、その年の世相を表す一字です。2011年度の一文字に選ばれたのは『絆』でした。「今年の漢字」は公募であり、発表の前、一か月間ほど全国に応募箱が設置されるのですが(他にはハガキやFAX、ホームページからの応募も可能です)2011年は、私自身も京都タワーの応募箱から投票してきました。『絆』すなわち「きずな」=“人と人とを離れがたくしているもの、断つことのできない結びつき”です。大きな災害を経て改めて人と人とのつながりの大切さを知るということで、この『絆』という漢字は「今年の漢字」となる前から注目されていました。
 ところで、『絆』には訓で「きずな」以外に「ほだし」とも読みます。「ほだし」・「ほだす」とは、“自由に動けないように手かせや足かせ”、“人の自由を束縛する”ということです。「情にほだされて」などと言いますが、これも「人情にひかれて自由に行動することの障害となる」ということです。この意味から『絆』とは原義は牛や馬、人など自由を奪って繋いでおく枷(かせ)や障害のことで、離れがたいもの⇒つながりの意味から、今日我々が「きずな」としているニュアンスとして成ったものなのでしょう。
 この話をすると、「え、じゃあ『絆』ってホントは悪い意味なの?」と言われるのですが、別に『絆』の漢字が、いい意味だとか悪い意味だとかそういうことを議論しようというのではありません。ただ、私はこの「ほだし」をちょっと変わった風にとらえることにしています。先に「ほだし」は自由を奪う枷(かせ)や障害のことであると述べましたが、その枷(かせ)というのが、人をこの世にとどめるための枷だと考えたら――どうでしょうか?強い想いや思い出という心のつながりで大切な人を繋げて、絡めて、この世に結びつけておく枷(かせ)です。昔から、未練や妄執は往生の妨げとされてきましたから、原義通り、その枷は往生には邪魔なものかもしれません。それでも、大切な人にほど生きていてほしいと思うものです。生きていてほしい。だから、その人をこの世につないでおく「ほだし」をつけるのです。こういう風に考えると、そんな枷(かせ)ならあってもいいんじゃないかなあと、あちらこちらで目にする『絆』という字を眺めながら、物思いにふけることがあります。
 2012年が始まってから、早三か月以上が経ちました。しかし、このたった三か月で、自らの手で命を絶った人が全国で既に7000人以上います。
 その一人一人に、この世のほだしがあったなら――。
 自殺の訃報を受ける度にいつもそう思うのです。
 私が、あなたが、大切な人たちの命の『絆』=「きずな・ほだし」でありますように。失ってからでは遅いから。いつもいつも、そう願っています。

2012年4月13日 (金)

【第227回】 時間という宝物道上 ちひろ (英語)

 今年度は402名の新入生を迎え入学式が行われました。真新しい制服に真っ白なシューズ、ちょっとだけ緊張した表情で受付けにやって来る新入生の姿に微笑ましさを感じました。入学式のたびに時間というのはなんと瞬く間に過ぎてしまうのだろうか・・・と思うのです。新入生のみんなの初々しい姿を見ると、みんなはこれからどんな高校生活を送るのだろうか、自分の高校時代はどんなだっただろうなど、いろいろと思いを巡らせてしまいます。そして毎年、みなさんの姿を通し“時間という宝物”に気付かされるのです。

“Time is money”このことわざは誰もが耳にしたことがあると思います。「時は金なり」書いて字のごとく時間はお金と同じくらい大切であるという意味になります。しかし、私には時間はお金以上に大切なもののようにも感じるのです。お金は努力によって増やすことができます。しかしながら、過ぎ去ってしまった時間は決して取りかえすことが出来なければ、過去に戻ることもできないのです。時間は全ての人間が平等に与えられた宝物なのです。その宝物を輝くものにするのも、そうでないものにしてしまうのも自分自身なのです。

 使えばあっという間に無くなってしまうのがお金。それに対し、時間という宝物は大切に使えば使うほど自分に輝きを与え、自分自身に身に付けたことは決して自分から消えて無くなることはないのです。こんなことを言っている私も、無駄に費やしてきた時間が沢山あり、今もなおそんな時間を過ごしてしまうことも多くあります。こんな当たり前の事実であっても、常に心に留めて努力することは想像以上に難しいことだと感じます。入学式はそんな私に“時間は宝物”と気付かせてくれるのです。それを教えてくれる新入生の皆さんに感謝し、私もこれからの自分を輝かせるべく1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。

 自分を輝かせる方法は、みんなそれぞれ違います。限りある時間を大切にし、「私が高校で過ごした時間はかけがえのない宝物になった」と自信を持って言える3年間を送ってください。高校生活pricelesswink

Michigami

2012年4月 9日 (月)

Vol.13 始業式、新任式、そして入学式…春はスタートの季節!松田 淳 (地歴・公民)

毎年、始業式のあとに行なわれる新任式、その日の午後の入学式が楽しみです。
 教師生活27年、日々心がけていること。それは常に「初心を忘れない」。一日一日を新鮮に迎える。今日という一日にベストを尽くすこと。出勤初日のあの震えるような喜びを忘れない。記念すべき一時間目の授業の失敗を忘れない…。
 その意味では新任式での先生方の所信表明は日々の忙しさの中で忘れかけている“自分”を取り戻す好機なのです。
 今日の新任式。『この遊学館でこれから30年勤める。心から本気でみなさんと向き合う!』『生物学はかけがえのない命を学ぶ学問。それを伝えたい!』 『英語で挨拶を!英語で呼びかけるね!』などなど。新任の先生方の熱い思いが言葉の端々から伝わってくる。新鮮な感動とともに涙が出そうになります。私も 心の内面から「負けないぞ」という思いが高ぶってきます。心から頑張ろうと思う。
 エネルギーをもらったなと、新任式が終わったあと、力がみなぎっています(笑)。
 入学式での新入生諸君の横顔を見ていると「よくぞ、来てくれた。ありがとう!ようこそ!」という気持ちで心がいっぱいになる。春は別れの季節でもありス タートの季節でもある。春というひとつの季節の中で卒業式には寂しさを、新任式・入学式では喜びを味わう。春という季節は不思議な季節ですね。

 中高生のみなさん。時間とは貴重なもの。いろいろな友、いろいろな先生、いろいろな本との出会いを通じて、自分を見つめよう。自分とはどのような人間な のか、自分はどのような未来に向かって進もうと思うのか。その方向を探るために今がある。哲学者ソクラテスのいう『無知の知』を自覚したとき、その人の可 能性は無限に広がる。新しい先生、新しい生徒たちに心からエールを送りたい。

 心はひとつ、ともに頑張りましょう!

2012年4月 6日 (金)

【第226回】 <新年度を迎えて>M. K. (数学、情報)

 今から約1カ月前の3月1日(木)に、雪が校舎の周辺に残しながら卒業式を迎え、
383名の生徒が、遊学館高校の学び舎を巣立って行きました。

 今年の冬はラニーニャ現象のため、偏西風が南に降りて、例年より1月から3月までの平均気温が低くなり、寒さが残ったままで4月を迎えたような気がします。また、一昨年に流行した新型インフルエンザに変わり、今年はインフルエンザがA・Bの2種類発症するケースもあり、この4月を迎えるまでに、様々な出来事があったように感じました。

 私自身も昨年度仲良くさせていただいた方々と別れることもあり、「出会いは別れの始まり」という言葉を改めて思い知らされた気がします。
 3月に卒業した生徒達は、高校時代の仲間たちと別れ、新たな出会いがあり、遊学館に入学する生徒も、中学時代の仲間と別れ、高校生活の中で新たな出会いが、訪れてくると思います。

 今年度は私たちにとってどんな1年が待っているかわかりませんが、私自身は、

     「生徒から柔軟な発想を学び、曲げてはいけない基本姿勢」

をモットーとして業務に励んでいきたいと思います。

 今年度もよろしくお願いいたします。

Miura

2012年4月 1日 (日)

Vol.12 新しく踏み出す勇気、意識を高く、自分を支えるのは自分!松田 淳 (地歴・公民)

〔今回の“Vol.12”は『遊学館 先生ブログ』も合算しての原稿通算No.です〕
 今回はかなり長文です。長文になる理由、思いのこもる日なのです。



 4月1日(日)朝…わがバトントワリング部の2・3年生である上級生たちはニコニコ、ワクワクしています。今日から新入生が本校バトン部での春休みの練 習に合流できる解禁日なのです。自分たちの新入部員の頃を思い出しているのでしょうか。新人たちがさわやかな雰囲気とともに春風を運んできてくれました。
 今日という日は(世間の動きとしては明日からが本格的でしょうか)新入社員が世の中にデビューする日。パリッとしたスーツを着た若い方々が街角を歩いて いると、私自身、この遊学館高校(前身の金城高校)に勤め始めた27年前の春を思い出します。私も真新しい紺のスーツに身を包み、「よし、頑張るぞ!」と 意気込んで職員室に乗り込みましたが、「おい!若いの!荷物運んでくれ!!」との一言。当時、新校舎が完成して新しい職員室への引っ越しの日だったので す。新品のスーツはたちまちホコリだらけ。母がアイロンをかけてくれたシャツも腕まくりでクシャクシャ、汗だらけでベトベト、真っ黒になりました。熱血教 師を夢見た初日はまさに体力勝負の引っ越しにベストを尽くした午前でした。(笑)  そのあと午後に開かれた職員会議の途中、外の廊下がうるさいので、会議の途中にドアを開けて、新人たる私がスポーツ部員の一群に「今、会議中だ!静か に!!」と一喝。あとでその部の顧問の先生から「あの子たちは学校からお手伝いをお願いされて働いてくれていた。」と静かに説明されました。勢い余った私 の大失敗です。今でもその子たちに申し訳ない気持ちが湧き起こってきます。
 それでも失敗続きの新入社員の私に先輩諸氏から、決して丁寧でなく、何気ない短い言葉がふと投げかけられます。「生徒と話すときには目をしっかり見て。 言葉を投げかけるのではなく、思いを伝えて話しをするように。」「一年目に“おかしい”“なぜだろう”と思ったことをずっと忘れないように。いつか変えら れるときがきたら変えるべき。自分の感性を信じて。」…教師としての今の私を形成した私自身にとっての金言名句がどんどん浴びせられます。振り返れば、最 初の3年間が勝負だと思います。最初の3年間で苦労をした人、鍛えられた人、声をかけ続けられた人、しごかれた人、多くのミスをした人、頑張り続けた人、 もがき悩み続けた人…これらすべてが、のちのちの人生の財産になると自信を持って、若い方々に言えます。生徒(部員)という次世代の若者にも今後伝えてい くことが先輩諸氏への恩返しと使命感と責務を持っています。
 さて、今日の部活の最後に部員たちに伝えることは昨日の夜からずっと考え、決めています。新人たちに伝えること。それは目標を高く持つこと。自分はどん どん伸びる人間だと信じること。自分を支えるのは自分であるということ。どれだけ強いチーム、伝統あるチームに所属しても、体制や組織や環境が自分を強く してくれるのではない。自分のモチベーションは自分で高めなければ真のモチベーションにならない。辛いことも多々あるけど、孤独になって戦ってこそ、孤独 になってこそ初めて人は強くなれる。悩むことは誰でもする。これ以上悩めないというところまで悩み切れるか…です。個人の意識が強くなってこそのチーム力 であるということ。仲間意識をまず前提に出すと、いつまでも仲間に頼って強くならない。それぞれが苦労をして、まずそれぞれが努力する。目に見えないとこ ろで。そのような一人ひとりが終結してこそ、チームが集合体として強くなる。これは決して冷たい考え方でもなく、決してエリート意識を重視しているのでな い。チーム(組織)が追いこまれたとき、結局は個人の力量あってこそチームの真価を発揮するのだと思うからです。弱い人間ほど、「チーム力が問題」「環境 が悪い」「方向を示してくれない」と嘆きます。自分自身がチームの一人である前に自分自身の力量を高めようとしているか、限られた環境の中で工夫をしてベ ストを尽くしているか、何が方向性か・今何が求められているのか・何が問題点なのか・解決する手段方法は何なのかを、高い位置・立場に立って考え想像して いるか…チームは群れてはだめです。強い個々があってこそのチームだと自分自身を前向きに思考させ行動しているかです。批判ばかり、グチばかり、文句ばか り、「~だからできない」という人間には多分どれだけ良い環境や条件が来ても、さらに次を求めるでしょう。責任を自分が背負っていないから、常にネガティ ブです。ポジティブな人間は「すべて自分が責任を背負う」「すべての結果は自分にある」という必死な思いがあるからとにかく一生懸命です。そのような人 は、目標、意識、行動、習慣を高めようと生きる姿勢が積極的で、不思議と笑顔なのです。降りかかる問題を自分だからこそ来てくれた難問だと正面から迎えよ うとします。不思議と時間がかかっても、その人が気づいていない小さな成果を積み重ねています。第三者がそばで見ていても、たくましい成長が見てとれま す。
 では次に先輩たちへ…。新人を育てるという理由で、自分を伸ばすべき練習量を減らしていないですか。前述した「チームのために自分という個人が強くなら なければならない」という考え方からすると、新人の方に全エネルギーを傾注すると、それまでのチームそのものの力量が落ち込んでしまう。新人には時々にヒ ントときっかけを与えさえすれば良い。先人たる自分自身たちが伸びなければ“ここぞ”という勝負で自分たち自身が悔いを残すことになる。勝負は新人が育つ まで待ってはくれない。新人は見て覚える・聞いて覚える・自分でやってみるべきと時には突き放してみてもよいのです。今の若い人たちの情報収集力は私たち の若いときと比べてはるかに高い。「その割に人間関係の対応力が低くなっている」という嘆きも聞こえてきますが、“決めつけ”てはならない。この“決めつ け”は自分自身の可能性をも否定することにつながります。鏡の法則です。ネガティブな思考は自分の考え方そのものをネガティブにしてしまう。こちらが新人 の能力や伸びしろを決めつけて、あきらめてしまっていることにつながります。物のとらえ方・人の見方をもっと前向きにポジティブにしましょう。新しい人 に、できない人に、まだの人に、もっと夢と希望を感じましょう。肯定的にとらえましょう。その考え方はチーム自身に肯定的な活力や“あきらめない”という 雰囲気を与えます。今を嘆く前に自分自身がどうであるか鏡に映して見るべきです。人に要求する前に自分がどれだけの努力をし、日々ベストを尽くしている か…。



どうもこの調子だと終わりそうもありません。今朝から来た新入生たちの瞳を見てさらに私の心の灯が燃え上がっています。新入生はチームに活力を与えてくれます。今いる人間は足元を振り返るきっかけにもなります。継承すべき善し悪しを分析することにもなります。
 春は、動物にも植物にも人間にも新しい息吹と活力を与えてくれる季節です。

  追記 長い文章にお付き合いいただき感謝します。(松田より)