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2009年2月11日 (水)

【第75回】バドミントンと私中村 裕行 (地歴・公民)

 この学校に勤めて、また、県外から石川県に来て良かったと思うことの1つに

バドミントンとの再会があります。

 私が金城高校(遊学館の前身)に赴任した時、バドミントン部は全国大会の常連でした。
(さらに昔の昭和33年には、全国大会の個人戦で単複二冠を果たしています)。

しかし、様々な事情が重なり、次々と顧問が変わっていくうちに、活動も低迷していったようです。

いよいよクラブ存続の危機が訪れ、当時の部員からラブコール(おそらく誰でも良かったのですが…)を受けて、私は中学時代の経験とバドミントン好きだけを頼りに、自ら手を挙げて(同時に3つ目となる)顧問を引き受けました。

石川県は「バドミントン王国」とよばれるほど、バドミントンが盛んです。

自分の勤務校からバドミントン部がなくなる、そんな寂しいことだけは避けたい、
というのが当時の気持ちだったと思います。

 あれから、10年以上の年月が流れました。

私が顧問になってからの卒部生も今年度で 100名を超え、クラブも少しは強くなりました
(先日、卒部生有志により、クラブに電光掲示の大型タイマーが寄贈されました。
ありがとうございます)。

今では、卒業後も大学や社会人のクラブでバドミントンを続け、時には現役の部員を指導してくれるようなOG・OBも増えてきました。

また、私も愚息と通って世話をしたジュニアクラブの子どもたちが、本校でバドミントンを続けてくれるようにもなりました。

地縁のない私にとって、職場以外の人間関係はほとんどバドミントンつながりですが、
部員共々お世話になってきたケースも多く、この場を借りてお礼申し上げます。

指導者としてはまだまだ未熟な私ですが、本校には手本としたい名監督や名選手が
たくさんいるので、年齢や立場を超えていろいろと勉強になります。

 高校で部活を続けなかった私が、今さら思い出したように、バドミントンにハマっている、

自分でも不思議です。

仕事の合間や休日しか面倒みることはできませんが、このような環境へ身を置けることに感謝しつつ、部員達とバドミントンの奥深さをもう少し追い求めていければ、と思っています。
(2/5記)

2009021101

 ところで、この「先生コラム」も私で2巡目を終え、75回を数えるに至りました。
世話役として、読者の皆様と執筆者である先生方に感謝ひとしおです。
次回からの3巡目にも、ご期待ください!