« 【第335回】 父を想う | メイン | 【第336回】 生活習慣を変える戦い »

2014年7月15日 (火)

Vol.20 あっ、蝉(セミ)の声だ!松田 淳 (地歴・公民)

私の自慢は、遊学館の職員室の中で最も早く“蝉の鳴き初め”に気づく人間だと。(笑) 
先週の金曜日。遊学館の中庭を囲む廊下を歩いていたときのこと。
ふと、ある鳴き声に気づき、足を止めました。
「あっ、蝉(セミ)の声だ!」
遊学館の中庭の真ん中に大きな榎(えのき)があります。
そこからの蝉の声です。そして、空には夏の青空と白い雲。
「いよいよ、夏だなぁ…」
しばらく、蝉の声を聞きながらたたずんでいました。
そして、今年もあの遠い昔の思い出がよみがえってきたのです。

故郷、小松の梯(かけはし)川の土手を、父親の自転車の後ろに乗せられて走っているあの夏の昼下がりの思い出。
やはり、あの日も、同じ夏の青空と白い雲…。
私の父は肺癌(がん)で亡くなりました。
ものごころがついた時から、父の匂い(におい)といえば、煙草の匂い。
その煙草臭い父の体にしがみつくようにして、自転車のうしろに乗っていたあの日…。
小学校1年生の私は、いつも煙草を吸っている父が嫌いでしたが、あの日はなぜか、その匂いが父に抱かれているような気がして、心地よかったのを憶えています。
ブーンと、小松の飛行場から飛び立った飛行機が白い飛行機雲を描きながら、はるか上空で旋回していく…。
父の背中がとても温かく、なぜか涙が出そうになり、力を込めてしがみつきました。
めったに家族と旅行なんて行くこともないし、父と親子らしく語り合った記憶もない。
その父との唯一最高の思い出がその瞬間だったのです。
今でも、あの青空と白い雲、そして、飛行機雲は忘れません。
土手のまわりは、一面見渡すばかりの田んぼだらけです。木々はありません。
でも、蝉の声が聞こえていました。記憶のなかでも、その蝉の声が残っています。

父が亡くなる前。
癌を患っているゆえ、その姿のあまりの変わりように見舞いにも行きませんでした。
あの温かい背中が日に日に痩せ衰えて、別人となっていく姿を見たくなかったのです。
病院から連絡が来て、息を引き取るときには父の傍ら(かたわら)にいましたが、なぜか涙もでず、客観的に冷静に父を見つめていました。

今、妻と4人の子どもたちと小松の実家の母親に会いに行くとき、小松インターチェンジを下りると父の墓に立ち寄ります。必ず。どんなに急いでいても。
子どもたちは「小松のおじぃちゃん、会いに来たよ。」
「また、来るね。」と口々に語りかけています。
亡くなる前、お見舞いに行かなかった償いと後悔をずっと今でも背負い続けています。

長々と個人的なことを書いてすみません。
夏がやってくると必ず思い出すのです。
青空と白い雲、まっすぐな飛行機雲、蝉の声とともに、温かい父親の背中を…。
自分が4人の子どもたちの父親になった今、あの子たちに何を残しているんだろう。

遊学館の榎(えのき)は優しく私を見下ろしてくれています。
そして、蝉の声とともに、あの父の背中の温かさに包まれているような気がしました。