« 2011年2月 | メイン | 2011年4月 »

2011年3月30日 (水)

【第176回】希望をもって浅岡 宏之 (理科)

 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で亡くなられた多くの方々の
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様へ心からお見舞いを申し上げます。

 先日終業式の後に離任式が行われ、何名かの先生方が遊学館をを離れることになり、生徒へ伝えたいことや次の場所での抱負などをそれぞれの言葉で語っておられました。
離任式が終わると生徒が職員室に何人も訪れ、話をしたり写真を撮ったり連絡先を聞いたりしているのを見てこの学校の先生方は生徒に愛されているなと感じました。

 話は変わりますが、東北地方太平洋沖地震では自然の力の強大さを思い知らされました。
日一日と被害の大きさが増していくことに対して心苦しく思い、同時に衣食住が不自由なく暮らしていける自分の暮らしのありがたさを実感しています。
そして原子力発電所の件もそうですが、理科を教える者の一人としてとして科学技術の有用性や面白さだけでなく、危険性や限界についても
これまで以上にしっかりと伝えなければならないと思いました。

 今は過ぎてしまったことを悔いても仕方ありません。
むしろこれからがたいへんな時代になるのではないかと予想されています。
原因の追究と再発防止は大事ですが、離任された先生方が先を見据えているように、被災された方々が手を取り合って助け合っているように、明日への希望を失うことなく今の自分にできる精一杯のことをしていきましょう。

2011年3月16日 (水)

【第175回】春、卒業生へ森吉 睦恵 (英語)

 3月上旬になっても雪が降り、いつになったら暖かくなるのかと思っていたが、
ようやく春らしい日が続くようになった。

 春は別れの季節であり、出会いの季節でもある。
慣れ親しんだ場所で、気心の知れた仲間と別れることはとても名残惜しいに違いない。
しかし、新しい環境での新たな出会いに希望や期待で心ふくらんでいることだろう。

 3月1日、338名の卒業生が遊学館高校を巣立った。
3年間共に過ごした仲間と別れ、それぞれの道へと進む。
その道の先には新たな出会いが待っている。
「遊学」という言葉は、「故郷を離れ、よその土地や外国に行って勉強すること」を意味する。
このとおり、遊学館高校を卒業したみんなは、
これから新しい場所でさまざまな人と出会い、多くのことを学んでほしい。
そして、いつかまた成長した姿を見せに母校へと足を運んでほしい。

 もうしばらくすると、遊学館高校の校舎は見事な桜の花に包まれる。
こんな話を聞いたことがある。
花というのは太陽に向かって咲くが、桜の花は人に向かって下向きに花を咲かせる。
人はその桜の花を見上げて春の訪れを実感する。

 卒業して母校を離れても、
遊学館高校に咲く桜の花はこれからもみんなを見守ってくれるだろう。お元気で。

2011年3月 9日 (水)

【第174回】建学のこころ森井 みわ子 (国語)

 遊学館の二代目、加藤二郎先生は、私の主人の父・庸男(旧姓、島田)の
四高・東京大を通じての同級生であり、友人でした。
浅野川に架かる梅の橋のすぐそばにあった森井家へも二郎先生は時々お見えになり、まだ子供だった主人は、先生のお名前が「にろう」と読むことを知っていました。

 主人の父は、石川師範学校、石川県第一高等女学校の教師をしていましたが、
二郎先生が、金城遊学館の特色を出すために、リードバンド、バザー、愛犬部、自転車隊などを創設して、
全国に有名になったことを高く評価していたそうです。

 私は縁があって、この学校の教員をさせて頂いていますが、良妻賢母を育てる精神が、ここに脈々と生きていることを、日々感じています。

2011年3月 2日 (水)

【第173回】「ちごげ」考宮永 義博 (英語)

 わたしが遊学館高校で教え始めてからほぼ2年が過ぎました。
着任早々に某フライドチキンチェーンの創始者の名前がわたしのあだ名になり、
今も「フライドチキンちょうだい。」と言われることが時々あります。
わたしが困った表情になると生徒たちは嬉しそうに笑って立ち去ります。

 さてわたしは英語を担当しているのですが、自分では言語学が専門だと考えています。
したがって英語だけでなくフランス語と日本語にも非常に関心があります。
そこで今日はフランス語と日本語の2つの全く異なる言語について共通する言語現象を取り上げてみたいと思います。
実はわたしは遊学館高校に留学中のアメリカ人にフランス語と日本語で話す機会が与えられているのです。

 タイトルにあるように、取り上げる日本語は金沢弁です。
まずこの言葉について考えて見ましょう。

 「ちごげ」は、「あなたはまちがっている。」あるいは「それは違います。」の意味で用いられます。
わたしはこの語がもともとは「ちがうがい」であっただろうと考えます。
すなわち動詞「ちがう」に終助詞「がい」(標準語の終助詞「わい」のw音がg音に変化したもの)が付いたものであろうと考えます。

ところでこの「ちがうがい」をローマ字に書き直すと次のようになります。
子音字+母音字の組み合わせから3つの部分に分けてみました。

   ti  gau  gai

 ここで注目したいのは2つ目の gau と3つ目のgaiです。
なぜこれら2組の組み合わせが興味深いかと言うと、もしこれらをフランス人が読めば、
それぞれ「ご」「げ」と読むことになるからです。

例えば「ゴーフル」というお菓子は gaufre と書きます。
またみなさんがきっと飲んだことのある「カフェ・オ・レ」の「オ・レ」の部分は au lait と書くのです。
もちろんフランス語でも昔は au は「アウ」、 ai は「アイ」と読んでいたと思われます。
しかし現代フランス語ではそれぞれ「オ」、「エ」の読み方になるのです。
つまり私達金沢人は tigaugai を「ちごげ」と発音することでフランス語に於ける言語現象と同じ現象を体験しているのです。

 上記のような視点からいろいろな言葉について考えてみると、英語の単語に多様な読み方のあることが理解できます。
それはまさしく漢字がいろいろな読み方を持っているのと同じです。

 先日3年生のN君と同じバスに乗り合わせました。
彼はわたしが2年間英語を教えたクラスの生徒で、3年生の夏休み中にわたしが行っていた単語教室にも参加していました。
彼の進路について話しているうち、わたしは自分の関心事である言語学について話していました。
彼はじっと聞いていてくれました。
わたしは彼のような生徒と出会えた自分が幸せだと考えています。
そしてそのような機会を与えてくれた遊学館高校に感謝しています。