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2007年8月 7日 (火)

【第1回】吾輩は鯉である −夏休み、ある早朝の風景−松田 淳 (地歴・公民)

ただいま朝の7時30分。

体育館からは部活の朝練の生徒の元気な声が聞こえてくる。
夏季補習のために登校してきている生徒の明るい挨拶が響き始めている。
学生寮オレンジハウスの寮生たちは洗濯もそこそこにグラウンドへ出かけて行く。

吾輩は遊学館の中庭の池の鯉である。
人間たちはこの中庭を“遊学庭”と名づけているらしい。
昨日は全校登校日。
久しぶりに校舎は生徒たちの夏休み中のできごとの話でにぎやかにわいていたようだ。
しかし相変わらず餌もくれないのに手を叩くのだけはやめてほしいものだ。
人間は不思議だ。
なぜ吾輩たち鯉を見ると手を叩くのだろう。

この学校の生徒たちはとにかく明るい。元気がある。いいことだ。
廊下で先生と生徒が出会うと元気に「こんにちは」と声をかけ合っている。
この池まで響いてくるのだ。
吾輩が住むこの池の横にある胸像、せむ先生もにっこり笑っている。
せむ先生とはこの遊学館を女一人の力で守り続けた、がばいばあちゃんである。
吾輩も長年この池に住んでいるが大尊敬する人間の一人である。
せむ先生とは離れて、でも向かい合うようにして広吉先生の胸像がある。
広吉先生とはこの遊学館を今から103年前の明治時代に創設した偉大なる先生なのだ。
そのおふたりがずっと仲むつまじくお互いを見つめ合っている。
そして、この遊学館をいつもいかなるときも見守り続けているのだ。
吾輩にとってもあこがれのご夫婦である。

今日の空は雲ひとつない夏の青空。
遊学庭の真ん中にある樫の木のセミたちは生徒にエールの大合唱だ。
全館冷房の涼しい教室では登校してきた生徒たちがそれぞれで勉強を始めている。
たまには気分転換に外の空気を吸いに吾輩に手を叩きに来てほしいものだ。

おっと、女子生徒が吾輩の池の横に落ちているゴミをすっと拾っていってくれた。
見ているこちらには気づかないらしい。
そこで吾輩は声を大にして言いたい。
今どきの高校生はかなりしっかりしている。
しっかりしなければならないのは世の中の大人たちだと。

そろそろ先生たちや生徒たちが登校してきてあわただしくなってきている。
それでは吾輩も事務のお姉さんからいただく食事としよう。
最後に、このホームページを見ている卒業生のみなさんに朝の一句をお届けしたい。

『世の中に疲れたならば愛に鯉(会いに来い)』     

-2階職員室前の廊下より遊学庭を見ながら、ゆらゆらと泳ぐ鯉の気持ちになってみました-

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夏休み、ある早朝の風景

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向かい合う広吉先生とせむ先生