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2007年8月14日 (火)

【第2回】校歌にみる「遊学館高校」 −その伝統−井口 一生 (国語)

今年の甲子園大会県予選の時の話です。

本校の第1回戦が、休日と重なったこともあって、私は県立球場に応援に出かけました。
対戦校には申し訳ないですが、16対3という大差で5回コールド勝ちをした試合は、
学期末で疲れ気味の私に、元気を与えてくれました。

試合が終わり、主審のゲームセットのコールで、両チームが挨拶を終え、たがいに握手で健闘を称え合い、
勝利チームの選手たちが、バックスクリーンに向かい横一線に整列し、脱帽します。
勝利の満足感で誇らしげにこうべを挙げて、母校の校歌を待つ、おきまりのシーンです。
ベンチ裏で観戦していた私も、当然起立して帽子を取り、選手と一緒に校歌を歌おうとしていました。
私の隣には、某高校のユニフォームを着た生徒が、グラウンドへ整備に行こうと待機していましたが、
その生徒も一旦その場で動きを止め、脱帽しました。
本校の校歌が流れ出しました。

前奏が終わり、私が校歌を歌い出したそのとき、隣の彼も同時に歌い出したのです。
「ウーエケーンー、ヒートモー、ナーツカァーシィーヤー…」
こんな難しい歌詞の校歌を、しかも他校の生徒が歌い出したことに驚いて、
私はしばらくその生徒を眺めていました。
なんと彼は、本校の校歌を見事に歌いきったのです。
校歌が終わり、彼は整備に遅れまいとグラウンドに降りようとしました。
私は思わず無理矢理に、急ぐ彼の袖をひっぱり、本校の校歌を歌えるわけを尋ねました。
「何回も聴いているから自然と覚えました。意味はさっぱり分からないけど、いい校歌ですよね」
そう言い残して、彼は走り去って行きました。
それだけの話です。

それでも私はとても嬉しく幸せに感じ、この時、本校の「伝統」を強く意識したのです。
本校の校歌は、金城高等女学校の校歌として、大正13(1924)年に制定されました。
ですから、それ以来、多くの生徒たちによって、80年以上も歌い継がれてきたことになります。
ここに、本校の七五調の格調高い校歌と、その意訳を載せたいと思います。
未熟な私の拙い訳です。
間違いやご指摘がありましたら、メールやお便り等でお知らせください。

遊学館高等学校校歌

八波則吉先生 作詞   大西安世先生 作曲

植ゑけむ人も なつかしや         いったいどのような人が植えたのだろう
庭の姫松 年毎(としごと)に        その校庭に植えられた姫松が年を追うごとに
弥栄(いやさか)えゆく 学びやは     ますます繁っていくように我が校が栄えゆくのは
名も*金城の 揺るぎなき         その名も金城のように堅く揺るぐことのない
*徳の礎 あればこそ            徳の礎があればこそである

*桃李(とうり)言はねど おのづから   徳のある人のもとには人柄を慕って
下蹊(したこみち)成す 習ぞと      自然に人々が集まってくるものだと
教の君の 言の葉の            教えていただいた先生のお言葉のように
末は紅葉と 照り映ゆる          ゆくゆくは紅葉と光り輝く
錦心に 飾らばや              錦のように美しい徳で心を飾りたい

万花の春に さきがけて          多くの花が咲き誇る春に先だって
清き香放つ 白梅の            清らかな香りを放つ白梅のような
高き操を 則(のり)としつ         気高いまでの志を手本としながら
知徳を磨き 体を練(ね)り         学問に励み身体を鍛え
皇御国(すめらみくに)に 尽さなむ   我が祖国に貢献したいものだ

*金城(守りが堅固な城。)    
*徳(修養によって身につけた、すぐれた品性や人格。)
*桃李…下蹊成す(「史記-李将軍列伝」にある「桃李言はざれど下自ら蹊(こみち)を成す」に拠る。
「桃やすももは何も言わないが、その果実に誘われて人が集まってくるので、その下には自然と小道ができる」との意味。
転じて上記訳。