【第844回】「歴史を繋ぐ」永井 秀篤 (地歴・公民)
皆さん今年の11月4日は何の日かご存知だろうか?
遊学館高校創立120周年であると同時に令和6年度石川県高校駅伝の開催日である。
この日に駅伝の聖地京都への切符を勝ち取り、学園の創立120周年記念に華を添え、12月22日に京都で勝負したい。この一心で日々活動している。
今回は我々が全力を注いで取り組んでいる駅伝について私の思いを皆さんに伝えたい。
駅伝というのは決められた距離を決められた人数で襷を繋ぎその速さを競う競技であり、個人戦を繋ぐ団体戦である。他の団体スポーツと大きく異なるのがチーム内で同時に競技する者は1人であり、またスタートしたらメンバーの交代ができないところにある。
この個人戦であり団体戦の駅伝だからこそ面白さ、難しさが存在する。
この面白さ・難しさは何かというと駅伝において、自身の力に+αが発生するときもあれば逆に緊張・プレッシャーにのまれ、大きくブレーキ(目標タイムより大幅に遅れてしまうことを駅伝においてはブレーキという)してしまうときがあることである。
この違いは何か?私はこう考える。
+αが生まれるときは「少しの自信」を持っている時と「仲間のために」走りたいと思えるチーム力があるときである。「少しの自信」は日々の積み重ね(練習や学校生活、人としての成長を求める選択を日々当たり前に行うこと)が生み出す思い、「仲間のため」は競い合い、時にはぶつかりながら互いにリスペクトしあう仲間同士の関係が生み出す思いである。後半の苦しい場面で次走者のために、繋いでくれた走者のために、悔しながらサポートに回ってくれた仲間のために走りたいと思えるかどうかである。
逆にプレッシャーにのまれるときは「少しの自信」と「仲間のために」という思いがないときである。レースのときだけの頑張りではなく日頃からこういうことが大事だと意識して取り組んでいけるかどうかが力になる。苦しいときに苦しいことから目を背けず仲間と共に壁を乗り越えようとすることが力になる。そして、襷には様々なものが染み込んでいる。(前走者の汗だけでなくチームの思い、勝負にかける思いや時間)その様々なものがしみ込んだ襷を次の走者に運ぶには入念な準備が必要なのである。
だからこそ私達は日々練習をし、自分自身やチーム、競技と向き合うのである。
最後に。
今年で120周年を迎える遊学館高校。様々な歴史が繋がれてきている。先輩方が繋いできてくださった誇り高い遊学生の襷を今度は君たちが後輩に力強く繋いでいってほしいと心から願っている。