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2014年6月19日 (木)

【第332回】 家庭科授業の近況S. N. (英語)

今年度より、家庭科の授業が従来に比べ、色々と変化が見られます。特に、2年生の授業が一新しました。1年生の時から、生徒たちからのたっての希望の調理実習が、今学期、第一回目を実施することができました。調理実習に先駆けて、準備として、先に、エプロン作りを取り入れました。これまでの経験から、生徒たちに、調理実習前に、準備するように伝えても、なかなか全員そろって持参することが難しく、頭を悩ませていました。そこで、これは、全員にエプロンを作らせてから実施した方が良いと思い、エプロン制作に取りかかりました。
 教材として、ほとんど縫製済みのもので、首ひものボタン付けと、裾のまつり縫いだけのものにしました。1時間くらいで出来上がるだろうと思ったら、意外や時間のかかること。縫い始めの、「玉結び」からできない生徒、ボタンの穴に糸を通すのも、ボタンと布の間に糸を堅く巻いてしっかりつけることや、糸の始末に「玉止め」をすることなど、できない生徒が大勢いることに、正直、驚きと困惑しました。裾を三つ折りに織り上げ、まつり縫いをする段階では、三つ折りから、「どうすればいいですか?」の質問が、あちらこちらから聞こえ、先生の体がいくつあっても足りない状況でした。まつり縫いに至っては、本当に今まで、小学校や、中学校で実際に習ってきたのかなあ~と疑いたくなる有様でした。縫い方を班ごとに見せて回ると、魔法を見ているような目で、生徒達が、針と糸の行方を追っているのを不思議に思いました。やり直した生徒も中にはいましたが、全員何とか、居残りをしながらも完成させることができました。
 そして、やっと、調理実習に臨めました。今回は、「きじ(鶏肉)焼き丼」と「わかめと豆腐の味噌汁」を作りました。1時間で作るために、先生側での準備の方が大変です。事前に調味料を合わせておいたり、材料を並べたり、ご飯を班ごとに分量に分けておくなどです。前もって、実習のお知らせのプリントを配り、班ごとに担当を決めさせ、手順良くできるようにしておきました。それでも、実際は、てんやわんやで、時間ぎりぎり、食べるのがゆっくりで、片付け時間がなくなり、大慌ての様子でした。次の授業に遅れる生徒を出してしまったクラスもあり、反省しきりです。ともあれ、まず、「おいしかった」「お腹一杯になった」という声や、「こんな調理実習がしたかった」と言ってくれる生徒がいて、まずまず、今回は良かったのではと胸を撫で下ろしているところです。
 今年度4月より新任の谷中先生ともども、今後とも、保護者の皆様、先生方、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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2013年2月14日 (木)

【第267回】 「超々高齢社会」どう生きるのかS. N. (英語)

 電車やバスの中、デパートで買い物する人、街中で見かける人、どこでも、高齢者の占める割合が多くなったような気がする。戦後、産めよ増やせよと、合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子どもの数の平均値)が4人を超えていた、いわゆる団塊の世代の時代から、徐々に出生数が減少し、1989年には親世代を支えるのに必要な2人を初めて下回り、以後、少子化が続いている。2000年に入り、1.26という最低値を記録してから、今日、1.3人辺りで推移している。今後、この状態が続くとすれば、ますます少子化に歯止めがきかず、高齢者を支える世代の減少は危機的状況に陥り、2050年頃には、人口の約半分近くが高齢者という「超々高齢社会」を迎えることになる。

 生まれた時から周りには物があふれ、何不自由なく成長したであろう現代の高校生たちには、自分たちが社会の中心となって活躍する時代が、どんな世の中に変わっているのか、想像をすることが困難だろう。しかし、これが現実なのである。このことを、私たちは皆、各々しっかりと受け止めなければならない時期にきている。人は一度オギャーと生まれるや、誰しも高齢期という人生の終末を迎えるのである。自分が高齢者になった時に、どう生きたいか、どう支えられたいか、高齢期の人生設計を考えておくことは、もはや高齢者だけに限ったことではない。

 加齢とともに人は皆、身体機能が衰えていく。これまで出来ていたことが、出来なくなり、人の手を必要とするときが必ずやってくる。高齢の両親、とりわけ、認知症の母の介護を通して、学んだことが多かった。排泄機能の衰えがひどく、尿失禁には、正直なところ悩まされた。毎晩、寝る前に、布団におねしょシーツを敷き、おむつを当て寝てもらっても、朝方起きてみると、おねしょシーツを毛布代わりに掛けていて、布団は濡れ、本人の着ているものも、ぐっしょりだった。朝は戦争だった。それから、本人を着がえて、濡れたものを一式洗濯し、布団を干し、朝ごはんを作り、昼食用のご飯も用意して、それから、学校に出てきていた。あの頃は、自分が大変なんだ、自分がと、自分のことしか考えていなかったように思う。母の立場に立って見れば、おねしょシーツを濡らしていけないから、と逆に迷惑をかけないための行為だったのかもしれない。おむつも時々はずして、隠してあった。布団の下や、こたつの中、特に腹が立ったのは、きれいに洗濯してある、衣類の間に隠してあった時だった。これも、汚しちゃいけない、汚してしまった、申し訳ない、そんな思いからの行動だったかもしれない。徘徊もあった。何度も警察の御世話になった。親の介護と一口に言うけれど、こんなに大変なことはない。その負担を救ってくれたのが、社会の仕組みだった。2000年から始まった、介護保険制度のおかげで、家族だけでなく、社会みんなの手で介護する時代へと変わってきた。

 近い将来、高齢者が高齢者を介護する時代がやってくるだろう。元気な高齢者と虚弱な高齢者、この両者を分けるのは一体何なんだろうか。父親は3年前に他界したが、死ぬまで、気もしっかりして、認知症の母を気遣い、支えていた。その父は、趣味の盆栽が自慢で、体力の衰えを防ぐための畑仕事などにも精を出し、どちらも、良く出来たものは、惜しみなく、人様にあげることが喜びである人だった。いつも、前向きに物事を考え、相談を持ちかけると、「明日は明日のこと」と言ってくれて、そうだなあ、考えていてもしょうがないかと思えてくるのだった。「他力本願」(仏教の世界では意味は違うのだが)という言葉があるが、他人を当てにして生きる生き方か、自分の人生にきっちり責任を全うする生き方か、その差ではないだろうか。

 自分が将来どうなるか予想もつかないが、世話をされる高齢者になるよりは、世話を出来る高齢者でありたいと願うところである。

2011年10月 6日 (木)

【第202回】 ある日のつぶやきS. N. (英語)

生徒A:英語なんかしゃべれんでもいいわ。日本人やもん。必要ないし。
生徒B:日本から出ることないし、海外なんか行かんもん。英語知らんでも生きていける。

英語の授業時間に生徒からよく聞く言葉だ。今や英語はもちろんのこと、他の言語も話せることが求められようとしている。2013年度から、文科省の学習指導要領が変わり、英語で授業を行う試みがなされる。これに伴い、今までの文法、読解力中心の授業からコミュニケーションツールとしての英語を身につける授業に方向転換がなされるであろう。日本語だろうが、英語だろうが、中国語、韓国語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、etc. だろうが、すべての言語は、意思疎通のための手段にすぎないのだ。そして、その言語を使うのは、とりもなおさず、人間なのだ。世界中どこへ行っても、人種や肌の色は違っても、同じ人間なのだから、基本的な人の感情は言葉が無くても、案外分かりあえるものである。怒っているとか、喜んでいるとか、悲しんでいるとかは、人間共通の感情だからだ。しかし、自分の意志や考えを相手に伝えたいと思ったら、お互いの共通言語で話さなければ通じない。そこで、世界共通の言語である英語を身につける必要があるのだ。

以前、スペインに旅行したとき、英語は一般の人々には通じないが、駅でロッカーから荷物が取り出せず困っていたとき、しきりと英語で訴えていたのを聞きつけた人が、英語のわかる係員を呼びに行ってくれて事なきに得たことがあった。ともあれ、英語は世界で通用する言語なのだ。残念ながら日本語ではないということだ。だから、私たち日本人は、世界の人とわかり合うために英語を知る必要があるのだ。

残念なことに、生徒たちと同じような考えを持つ人は案外多いものだ。実に、気の毒に思う。なぜなら、自らに、自分の世界観を狭めているようなものだからだ。内側だけを見ていたのでは、外側のことがわからない。外側の世界を知れば、内側の世界が良く見えてくるものだ。日本の国の素晴らしさ、日本人の良さが認識されると同時に、世界と向き合っていくために日本人が獲得しなければならないことも見えてくるのだ。そして、初めて世界に通用する日本人になれるのだと思う。

これからの日本を、世界を背負って立っていく若い生徒たちに、もっと視野を広げて、グローバルな思考を身につけていって欲しいものだ。

(ある日の英語の授業から)

追記:

身の回りには案外英語があふれている。電車やバスの中のアナウンス、街中の表示案内板、観光名所の案内パンフレット、等など、探せばあちこちにあるものだ。何も、高額の英会話教材を買わなくても、いたる所に教材は転がっている。ちょうど、読書の秋、いい季節でもある。街中を散策しながら、『英語』を見つけてみませんか。

2010年12月22日 (水)

【第164回】韓国語S. N. (英語)

Viewimg_4  2002年 サッカー ワールドカップ 日韓共同開催が、私が韓国語に興味を持ち始めた切っ掛けだった。

 それまで、日本から一番近い隣国なのに、全くと言っていいほど無関心だった。これを契機として、韓国ドラマがお茶の間に登場するようになった。日本全土を、特に中高年(?、自分も含まれるかもしれないが)中心に爆発的にヒットした「冬のソナタ」はまだ、皆さんの記憶に残っていることでしょう。

私も、ドラマには一喜一憂しましたが、韓国語を勉強し始めたのは、ハングル文字に関心を抱いたからです。あの記号のようなハングル文字は、組み合わせると、日本語の50音表に、ほぼぴったり合わせることができることに気付いたからです。つまり、韓国人は、日本語のひらがな言葉をつないで話していることになります。だから、韓国語の文章を読むのは、少々疲れます。日本語は、漢字があるので、視覚で意味を悟ることができますが、韓国語はいちいち読まなくてはなりません。

 でも、私の韓国語に対する興味は深まって、何か、生徒たちに役立たせることはできないものか、と考えるようになりました。
そこで、思いついたのが、この学校の特色でもある、毎週土曜日に開催の自主講座だったのです。なんとか、自主講座の一つに、韓国語講座を加えられないだろうかと思い、自主講座担当の教頭 中村裕行先生にお願いしたところ、受け入れて頂き、今日に至っているわけです。

 当初は、日本にワークホリディで来ていた、プサン出身の女子大生に講師になってもらいました。彼女たちも、最初は、戸惑いを感じていたようですが、生徒たちとの年齢も近いことから、1年も経過した頃には、和やかな雰囲気になっていました。彼女たちが、日本を去る日が来たとき、自習講座の生徒皆で、韓国語で手紙を書いて送ったことを思い出します。
あれから、私も、何度か、彼女たちから、近況を伝える便りをもらっています。

 その後の後任として、二人の金先生にお世話いただきました。
お一人の金先生は、お子さんの出産を機に、辞められ、もう一人の、金先生にバトンタッチされました。現在、講師としてお世話いただいているのが、このもう一人の金先生なのです。韓国語講座が軌道に乗るまで、私も、一緒に講座に関わりお世話させていただきましたが、今は、金先生お一人で、担当されています。

 今でも、金先生とは、定期的にお会いし、自主講座での困ったことや、悩みごとなどをお聞きし、より良い講座になるよう話し合っています。
金先生とお話をしていると、金先生のほうが、日本人より日本人らしいのではないかと思えることがあります。古き良き時代の日本人の礼儀正しさや、目上の人や、両親、恩師に対する敬いの気持ち、など、忘れかけた日本人の心の美しさを呼び戻させてもらっているような、そんな気付きがあります。

 今、思うに、あの時、本当に思い切って、韓国語の自主講座を作って良かったということです。いままで、あまり、アジア近隣諸国の中での日本の立ち位置を考えてこなかった私たち日本人にとって、この講座がきっかけとして、アジアの国々に当たり前に、目を向けてくれる若い人たちが育ってくれることを願ってやみません。

 どうか、この講座が、ずっと続いてくれることを願っています。