メイン

2016年4月28日 (木)

【第423回】 愛してるぜ、遊学!Mi. Y. (英語)

 「愛してるぜ、遊学!」これはサッカーの試合中に、その試合には選手として出場が叶わなかった部員たちが、ピッチで戦っている仲間の選手たちに向かって歌う応援歌の一節です。今回、私はこの言葉、「愛している」について話したいと思います。私は以下の話を、生徒たちとりわけ年度初めの新しい生徒たちに対して話すことがあります。日本語・英語・フランス語の共通点や相違点に目を向けさせ、言語学に対する興味を持ってもらいたいからです。
 はじめに、上記3ヶ国語(日・英・仏語)でほぼ同じ内容(言語学の用語で所記)を表している表現(言語学の用語で能記)を見てください。

 日本語   : 私はマリーを愛しています。   S+O+V
 英語    : I love Mary.           S+V+O
 フランス語 : J’aime Marie.          S+V +O

 右側に示した文の3要素から、2つのことがわかります。まず3ヶ国語とも主語(S)が文頭に在るという共通点です。次に目的語(O)と動詞(V)の関係が日本語と他の2ヶ国語では異なるという相違点です。この相違点については私の英語の授業でもよく強調するところです。大部分の生徒たちは、何もあらためて言われることでもない、と言いたげな表情をして聞いています。
 さて次に、前述の3つの文中の固有名詞を代名詞に置き換えてみましょう。

 日本語   : 私は彼女を愛しています。   S+O+V
 英語    : I love her.           S+V+O
 フランス語 : Je l’aime.           S+O +V
   ここでl’ は女性名詞 Marie を受ける女性代名詞の目的格 la が、次に続く動詞 aime が母音で始まっているためla の a が省略されたものです。

 右側の文の3要素の関係から興味深いことが明らかになります。固有名詞での場合とは違って日本語とフランス語ではOとVの前後関係が一致しているのです。すなわちこの2つの言語では目的語の代名詞は動詞の前に置かれるのです。一方英語においては3つの要素の文中での位置関係を見ると、固有名詞の場合と同様に目的語の代名詞は動詞の後に置かれます。
 以上の点から文の構造と言う点においては3ヶ国語の中で英語が最も安定していると言えるでしょう。フランス語では固有名詞と代名詞では動詞との位置関係が異なるという複雑さがある点で、特にフランス語の学習では難しい障害になります。
 ところでこの小文の表題です。「愛してるぜ、遊学!」ですが、ここには主語は表現されていません。しかも目的語(=遊学)は動詞の後に置かれています。つまり文の3要素であらわすとすれば、 ゼロ+V+O となります。これらは私がここまで述べてきたことと全く矛盾しています。そしてこのように規則性の無いこと、あるいはあってもごく限られていることが日本語の最大の特徴と言えます。日本語は通常、助詞の助けが無ければ正しい情報を伝達することは困難です。日本人が英語を勉強する際には英語の規則性を理解しなければいつまでたっても「猿まね英語」しか身に付かないだろうと考えられます。
 私は英語を教える者として、「これは試験に出るから覚えなさい。」と言って生徒に丸暗記させるようなことはしたくありません。理論的に正しい英文を組み立てられる力を付けて欲しいと考えています。現実にはなかなか難しくて苦労の連続ですが、生徒たちがやがてはわかってくれるだろうと信じています。

2014年11月13日 (木)

【第352回】 応援は雨の中でもMi. Y. (英語)

 先日、ある野球部の生徒から質問を受けました。授業が一区切り終わり、ちょっと休憩、とした時のことです。それは「先生は野球とサッカーのどちらが好きなんですか。」と言う問いでした。私は少々返答に困りました。最近学校を訪れてきた元サッカー部員の卒業生によると、「宮永先生は、サッカーよりも野球のほうが好きだ。」ということになっていたようです。実際、サッカーの試合より野球の試合の応援に行くことのほうが多かったのです。ただその理由はきわめて単純で、野球は金沢市内で行われることが多く、気軽に応援にいけるからでした。
 実は、私とサッカーとの関係は、生徒たちが考えているよりもずっと長いのです。
 私は中学3年生の頃、2,3人の友人とサッカーの真似事をしていました。私が進学を目指していた高校が、当時石川県の高校サッカー界では最強だ、と知ったからでした。その高校に入学できたら、ぜひサッカーをやろうと思っていたのです。ところが、高校には入学できたのですが、1年生の夏で挫折してしまいました。体力が続きませんでした。
 日本のサッカーはメキシコオリンピックを頂点にそれ以降はアジアの壁に阻まれ長い低迷期が続きました。私は1972年フランスに渡ったのですが、フランスのサッカーもまたヨーロッパの中で苦しんでいました。フランスが世界の強豪になるにはプラチニのそしてジダンの登場を待たねばなりませんでした。日本サッカーはJリーグの発足とともに徐々に地力を付け、あの「ドーハの悲劇」を経て、ついにワールドカップ出場を果たしました。あれから日本はワールドカップに連続して出場しています。べスト8に近づいたように思われたこともありましたが、今年のように1次リーグで敗退という惨めな結果になることもあります。日本のサッカーが本当に強くなるのはまだ先のようです。
 このあたりで冒頭の野球部員の質問に戻りましょう。「野球とサッカーのどちらが好きか?」と問われたら、つぎのように答えるしかありません。
 「遊学館の野球は好きだが、他校の試合は全く興味が無い。プロ野球も殆んど関心がない。一方サッカーの試合は全てのレベルの代表チームの試合に関心がある。結論から言えば、私は野球よりもサッカーのほうが好きなのだ。」
 しかしここで強調しておきたいのは、本校が関係する対外試合については、野球もサッカーも分け隔てなく応援に駆けつけます。つまりどちらも同じくらいに好きなのです。

 さて去る11月9日、高校日本選手権の県代表を決める決勝戦が行われました。残念ながら今年も星稜に敗れてしまいました。その決勝も、1週間前の準決勝も雨の中で戦われました。雨の中でも、サッカーの試合はおこなわれます。そして雨の中でも、応援団は応援するのです。選手たちと共に、勝利を喜び、敗北に涙するのです。霜月の冷たい雨に打たれながら…

2013年8月15日 (木)

【第292回】 チョークと応援メガホンとMi. Y. (英語)

私が遊学館高校で教え始めてから5年目になります。教員として嬉しく思うのは、生徒たちが素直で明るく、教師の私は楽しく教えられることです。時々「授業の進み方が速すぎます。」と苦情を言われることもありますが、そんな時は自分の得意なフランス語の話をしたりします。例えばフランス語では語尾の子音字は読まないことが多いので、Paris は「パリス」ではなく「パリ」であり、また restaurant は「レストラントゥ」ではなく「レストラン」となることなどです。このようにして日本語・英語・フランス語の共通点や相違点に目を向けさせ、言語に対する興味を持ってもらうようにしています。

さて授業の終了チャイムが鳴って職員室に戻る全ての教員の手はチョークで汚れています。私も他の教員たちと同様に右手はチョークだらけです。そんな手を洗いつつふと思ったことがあります。チョークで手が荒れるのだから野球のピッチャーの手も荒れているのだろうな、と思ったのです。今年私はクラス会長がピッチャーであるクラスを担当しています。私と生徒たちとの接点は教室の他に野球の応援があるのです。

遊学館野球部と私の出会いは2009年の北信越大会県予選だったと思います。前年に家内を亡くして落ち込んでいた私は、休日は魚釣りに没頭していたのですが、たまたま担当クラスに野球部の選手が多かったので、その生徒たちを励ましてやろう、と思い、野球場へ出かけました。選手たちのひたむきさと保護者応援団の熱心さ、外野へ飛んでいく白球、勝利の喜び、全てが私には新鮮でした。私は選手たちに励まされている自分をみつけました。その試合から私は観客から応援団になりました。

野球場で私のいるところは保護者応援席です。私は自分を保護者の一員として考えています。試合に出ている選手たちはもちろん、ベンチ入りできずに応援に回っている生徒たちも、またマネージャーの女生徒も、みんな私の息子・娘たちなのです。私に元気を与えてくれる大切な子供たちなのです。他の保護者の皆さんと共に、彼らの活躍を願い、力一杯メガホンを振っています。

今年、本校は残念ながら甲子園に出場することはできませんでした。生徒会長のN君は涙を流しながら私の手を握り、「後輩をよろしく頼みます。」と言いました。もちろん私はこれからも遊学館野球部を応援し続けるつもりです。

私に高校野球の素晴らしさを教えてくれた2009年の野球部は甲子園への出場はできないまま卒業しましたが、彼らのうちの一人は大学野球で頑張っています。私は卒業後も彼ら野球部員たちがしっかり人生を歩んでいってくれることを願っています。

2012年4月26日 (木)

【第228回】 行き交う人々Mi. Y. (英語)

 わたしが遊学館高校で教え始めてから丸3年が過ぎ、この四月から4年目にはいりました。卒業したK.H君がわたしの着任早々に付けた某フライドチキンチェーンの創始者の名前は、今年の生徒たちにも引き継がれ、今も「フライドチキンちょうだい。」と言われることが時々あります。わたしがいつものように困った表情になると生徒たちは嬉しそうに笑って立ち去ります。

 さてこの3年間の間にわたしがほぼ毎日欠かさず続けていることがあります。今回はそれについてお話しようと思います。

 わたしの住まいは金沢市の郊外にあります。山を越えれば富山県という田舎です。わたしはそこから車で市内に行くのですが、実は学校までは行かずに、途中の駐車場に車を置いて、そこから歩くのです。7時ごろに歩き始め、途中の休みを含め、約1時間半かけて学校にたどり着きます。雨の日にはズボンも靴もずぶぬれになることもあります。暑い日には汗だくになることもあります。時には辛くてバスに乗ろうかと思うこともありますが、車で通勤する場合には得られないことが多くあり、そのため歩くことを続けているのです。

 7時に歩き始めてしばらくするとマラソン人のSさんと出会います。東京マラソンに毎年出ている人です。最初のバス停では遊学館高校に勤める前から顔見知りの人と挨拶を交わします。次のバス停に行く前に昔の知り合いと顔を合わせることもあります。わたしが生まれ育った町内の人です。1箇所寄り道をした後再びバス通りに戻り、2番目のバス停で某私立高校の先生と言葉を交わします。次に挨拶をするのは2つのお店の人たちです。まず呉服屋さんのHさんですが、遊学館に娘さんが通っていることを3年前に初めて知りました。それまでも朝の挨拶を交わしていたのですが、わたしが本校に勤務先が変わったことを知り、そのことを教えてくれたのです。次いで魚屋さんのOさんです。御主人も奥さんも、いつも必ず、「行ってらっしゃい。」と元気付けてくれます。
 さて昨年は3つ目のバス停に着くころに後ろから「お早うございます。」という声をかけられることがありました。サッカー部のH君かK君でした。H君は、1年の時にこっぴどく叱ったのですが、それを根に持つことなく、きちんと挨拶してくれました。4つ目のバス停に向かう途中の横断歩道では交通安全指導員のYさんに挨拶をします。彼とはボランティア大学の観光コースでの受講生仲間でした。さらにしばらく行くと、Kさんと会います。もう退職し、健康のために朝の散歩をされているそうです。わたしと2,3語の言葉を交わすためにわざわざ足を止めたり、時には通りの向こうから横断歩道を渡ってきてくれたりします。
 昨年は浅野川大橋を渡るころ、「先生、お早うございます。」と二人の女子バレー部の生徒が追い越して行きました。また交差点で、全く授業を担当していない生徒と隣りあわせで信号待ちをすることもありましたが、きちんと挨拶をしてくれ、「気をつけて行けよ。」と言うと、「はい。」と元気な声が返ってきました。
 交差点を過ぎてからはしばらくバス通りから離れます。白鳥路に入る手前のタオル屋さんではそこの女主人らしき人や配送担当の人と挨拶を交わします。
 白鳥路にはトイレと休憩所があり、そこで一休みします。掃除担当のおばさんたちと天気状況などを話しているうちに中学生たちが通り過ぎて行きます。わたしも腰を上げて学校へ向かいます。途中では金沢の三文豪を始め、いくつかの彫像たちがわたしたちを見守ってくれています。春には桜が、夏には蝉が、秋には紅葉が季節を教えてくれます。
 白鳥路を抜けると再びバス通りです。何人もの生徒たちが自転車でわたしを追い越して行きます。大体は黙々と、ときどき何人かは「お早うございます。」とわたしに声をかけて学校へ急ぎます。わたしはゆっくりと行きます。昨年の春から途中の神社で手を合わせ、東北の人たちに早く笑顔が戻ってくることを祈ります。バス通学の生徒たちもわたしを追い越して行きます。「お早う。」と言う回数がどんどん多くなり、やがて学校に到着です。

 こうしてあらためて考えてみると、わたしは朝だけでもなんと多くの人々に出会っているのか、と驚くばかりです。車に乗って、点から点へと移動している限り、こんなに多くの人々と接することは不可能です。わたしが有難く思うのは、それらの人々がわたしの挨拶に応じてくれることで、わたしは自分の存在=自分が生きていることを確認できるということです。それがわたしにこれからも生きていく元気を与えてくれているのです。もちろん生徒たちの「お早うございます。」に一番元気付けられるのは言うまでもありません。今後も体力のある限り歩き続けようと思っています。

2011年3月 2日 (水)

【第173回】「ちごげ」考Mi. Y. (英語)

 わたしが遊学館高校で教え始めてからほぼ2年が過ぎました。
着任早々に某フライドチキンチェーンの創始者の名前がわたしのあだ名になり、
今も「フライドチキンちょうだい。」と言われることが時々あります。
わたしが困った表情になると生徒たちは嬉しそうに笑って立ち去ります。

 さてわたしは英語を担当しているのですが、自分では言語学が専門だと考えています。
したがって英語だけでなくフランス語と日本語にも非常に関心があります。
そこで今日はフランス語と日本語の2つの全く異なる言語について共通する言語現象を取り上げてみたいと思います。
実はわたしは遊学館高校に留学中のアメリカ人にフランス語と日本語で話す機会が与えられているのです。

 タイトルにあるように、取り上げる日本語は金沢弁です。
まずこの言葉について考えて見ましょう。

 「ちごげ」は、「あなたはまちがっている。」あるいは「それは違います。」の意味で用いられます。
わたしはこの語がもともとは「ちがうがい」であっただろうと考えます。
すなわち動詞「ちがう」に終助詞「がい」(標準語の終助詞「わい」のw音がg音に変化したもの)が付いたものであろうと考えます。

ところでこの「ちがうがい」をローマ字に書き直すと次のようになります。
子音字+母音字の組み合わせから3つの部分に分けてみました。

   ti  gau  gai

 ここで注目したいのは2つ目の gau と3つ目のgaiです。
なぜこれら2組の組み合わせが興味深いかと言うと、もしこれらをフランス人が読めば、
それぞれ「ご」「げ」と読むことになるからです。

例えば「ゴーフル」というお菓子は gaufre と書きます。
またみなさんがきっと飲んだことのある「カフェ・オ・レ」の「オ・レ」の部分は au lait と書くのです。
もちろんフランス語でも昔は au は「アウ」、 ai は「アイ」と読んでいたと思われます。
しかし現代フランス語ではそれぞれ「オ」、「エ」の読み方になるのです。
つまり私達金沢人は tigaugai を「ちごげ」と発音することでフランス語に於ける言語現象と同じ現象を体験しているのです。

 上記のような視点からいろいろな言葉について考えてみると、英語の単語に多様な読み方のあることが理解できます。
それはまさしく漢字がいろいろな読み方を持っているのと同じです。

 先日3年生のN君と同じバスに乗り合わせました。
彼はわたしが2年間英語を教えたクラスの生徒で、3年生の夏休み中にわたしが行っていた単語教室にも参加していました。
彼の進路について話しているうち、わたしは自分の関心事である言語学について話していました。
彼はじっと聞いていてくれました。
わたしは彼のような生徒と出会えた自分が幸せだと考えています。
そしてそのような機会を与えてくれた遊学館高校に感謝しています。