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2014年12月11日 (木)

【第356回】 傘寿コンサート村野 元孝 (芸術)

先日ですが横浜みなとみらいホールで傘寿コンサートの演奏会に出演してきました。横浜の駅の近くに隣接している都市型の海の見えるとてもきれいなホールです。久しぶりに私のフルートの先生とご一緒の演奏会です。練習1回、ゲネプロ本番のぶっつけの演奏会です。当日の会場は超満員であり、さらに私のフルートの師匠先生であり元東京音楽大学の学長(現在同大学名誉教授)であり、更に元NHK交響楽団のメンバーであるため、久しぶりの先生との演奏会はとても緊張した心地で行ってきました。ホールが良いせいかとても感じの良い演奏会になりホットしています。
 さて還暦・古希・米寿は知ってはいましたが、恥ずかしながら傘寿とは何か?と分からなかったので調べてみたところ、年齢が八十歳と書くところから傘の年と書くそうです。そういえば私の周りにもその年の方が何人もいました。演奏会でご一緒したフルート奏者で指揮していただいた青木先生(27年3月フルートフェスティバルに来澤)も傘寿です。大学時代お世話になったフルートの播先生も傘寿です。(先日播先生の傘寿コンサートの参加依頼もあったので)。そういえば亡くなった父親も傘寿を過ぎてたな。母親も傘寿をすぎてたな。私は節目の事や祀りごとなどは出来るだけするようにしていますが、抜けていたなと反省です。では次はなにがあるのかなと考えたら……。大事な節目珊瑚婚が来年です。今のうちに考えておかなければ。傘寿の輪から人のハーモニーの輪が広がりました。

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2012年5月10日 (木)

【第230回】 大予言村野 元孝 (芸術)

1月のある日大切にしていた安い万年筆が中程から割れました。
直して使おうと思い接着剤で修理してみましたがあまり使えそうになかったのでそっと棚の上に置いてあります。

私の家には随分前からいろんな物がたまっています。

レッスン室には最初ピアノとオルガンと楽譜棚しかなかったのですが、いまではCDやLD・DVD、仕事の物である音楽書で氾濫しています。
2階の書斎もそうです。
いつか読むと思われる本の山。収集した趣味の物がところ狭しと並んでいます。
最近自分のいる場所がとても狭いということに気がつきました。
そこで思い切って整理してみることにしました。いざ始めるとなかなか難しいものです。勿体ないという気持ちが出てなかなか捨てられないですね。これは何かの資料だから何時か役立つからいるんだとか、これは思い出の品だとか何か理由をつけてまた元の場所に置いてしまいます。
一年以上長く使わない物は思い切って捨てるかきちんと片づけたいものです。世間で言う断捨里を実行したいものです。

この気持ちをもってあたりを見回すと随分と見えてきます。学校の自分の机の上、教室の中、生徒達の部屋等々本当に今いるものなのかどうか疑問に思えてきます。私達の身体もダイエットして身軽になり動きやすくなるように廻りの場所もダイエットして動きやすくして次の事を始めたいものです。

ところで、最初の大予言はなんだったのでしょうか?

2010年7月14日 (水)

【第141回】あたらしくなった吹奏楽部村野 元孝 (芸術)

 昭和6年に前理事長の加藤二郎先生によって部が創られました。
 当初はハーモニカバンドとして活動していたのが前身ですが、アコーディオン、ギターと増え県内でも珍しいリードバンドとして長く歴史を積み重ねてまいりました。

 指揮者も第1代目に加藤二郎先生、第2代目に加藤恒先生、第3代目に北村信好先生、第4代目に中村裕行先生。そして第5代目に私、村野が昨年までの20年間タクトをふってきました。

 しかし、最近の学校での教育楽器はだんだんとハーモニカやリコーダーから管楽器が増えました。リードバンドを行っていた学校も減り吹奏楽部に変わりました。県内最後まで活動していた金城高校リードバンド部も平成8年に吹奏楽部に変りました。

 リードバンドとして活躍の時も、県内各所での演奏会にとどまらず遠くは演奏旅行で東京公演も多くおこなってきました。現在は、毎年行っている定期演奏会も今度で第79回目の公演となります。また小・中学校からの依頼演奏や施設・招待演奏も数多く出演しています。また部員の中には選抜吹奏楽団に所属しハワイや上海などの演奏旅行、コンテストでの演奏など多彩な活動をしています。コンクール等でも最近は金賞受賞が多く、上位チームとして貫禄がついたような気がします。

 さて、私も学校の仕事の関係で今年度からタクトを置くことになりました。第6代指揮者には現コーチの東さんが担当することになりました。今まで同様の活動を続けられるようにアドバイザーとして部を盛り上げることに努めます。替わって1年目。今まで通りにいって欲しいのですが。

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2008年11月19日 (水)

【第64回】日々思うこと村野 元孝 (芸術)

 なにげない話ですが、日々思ったことを書きます。

 「お勝手」という場所があります。これは皆さんが良く知っている台所のことです。私の家もそうですが、最近は、お勝手だけが独立して存在する家が少なくなりました。田舎の実家もつい先日お勝手をリフォームしました。いままではプロパンガスで煮炊きをしていましたが、コンロもIHに置き換え、壁掛けのテレビをつけ内装も白い壁にして明るくなりました。父が年をとり、足も少し不自由になったため、今まで食事していた場所もたたみに座ることをせず、イスとテーブルにもなりました。ずいぶんと近代化されたような気がします。

この「お勝手」を私は母が動きやすいからそう呼ばれていると思っていましたが、語源を探ると弓道からこの呼び名がきているそうです。弓の世界では左手を押し手、右手を勝手と呼んでいるそうです。押し手は弓をしっかり支える手、勝手は比較的自由に使う事が出来る手という意味だそうです。

昔は女性が家の中で小さくなっていた時代だったので、女性が自由に使える意味で「お勝手」と呼ぶようになったそうですが、実家の母は家にじっとしていません。きれいになった台所から飛び出して、お花のお稽古と大正琴の演奏会、お琴の演奏会や旅行と忙しく動いています。

うちの奥さんもその通りです。保育の仕事や独立した娘のところや息子のところに忙しく動き回っています。

学校の生徒も同様です。部活(吹奏楽部)の生徒は女子だけですが彼女達もそうです。今まで問題を投げかけてもなかなか腰があがりませんでしたが、最近は自分達で話し合い、皆で行動して解決しています。頼もしい限りです。

私の家の台所はリビングの横に少しだけあります。それでいいわけですね。

2008年2月13日 (水)

【第26回】私と音楽について村野 元孝 (芸術)

 たいしたことはないのですが、自分の音楽について少しお話ししたいと思います。

 ふりかえると、音楽との出会いはもう40年前になります。小学校の音楽の授業で聞いた曲がとても印象的で、将来はバイオリニストになりたいものだと憧れていました。

 当時、周りは田舎で、音楽を志している者は(ピアノ位ですが)皆、女子ばかりでした。しかしやっと高等学校に入り、サックスという楽器を手にすることが出来ました。しかし、親の反対ですぐに辞めさせられました。ですが、音楽への憧れは断ちがたく、すぐに戻って活動を再開しました。同じ楽器を続けたかったのですが、高校の部活は男子ばかりで人気のある楽器はすべて使われており、結局、楽器はフルートになりました。

 3年生になり、本格的にフルートを始めました。この頃から大学4年生まで、色々な先生との出会い・教えをいただきました。元NHK交響楽団の植村泰一氏、指揮者アントニンキューネル氏、故ジャンピエールランパル氏、ペータールーカスグラーフ氏、オーレルニコレ氏、クリスチャンラルデ氏、ジェームスゴールウェイ氏、ウィリアムベーネット氏、マクサンスラリュー氏等々・・・・中でもゴールウェイ氏の演奏表現はダイナミックスで、自分が幅広く影響を受けた先生だと思います。

 大学を卒業して、デビューリサイタルから30年経ちました。リサイタルも9回、その他、ソロや吹奏楽、オーケストラと活動してきましたが、現在は吹奏楽の指導の立場として活動しています。

 遊学館高校の吹奏楽部は、とても楽しいものです。人数は多くありませんが、初心者が多い中、一人一人、個性的に演奏しています。毎日の練習は、帰る時間の制限もあり、それほど多く出来ません。せいぜい2~3時間位です。時々は休憩していますが、一人一人一生懸命、楽譜に向かっている部員ばかりです。練習室は夏は暖房、冬は冷房といった環境ですが、みんな黙々と合奏練習や個人練習をしているのが、とてもいじらしい気がします。

 今年度、県吹奏楽コンクールで念願の金賞受賞、そして県代表をいただきました。北陸大会に出場し、部員全員が一生懸命演奏しました。来年度も県代表として北陸や全国大会に参加するという目標を持っています。

 生徒の頑張りは、年毎にパワーアップしています。
私も負けていられません。
「もう一度、練習練習」。
と元旦の計のように唱えはじめました。