【第448回】 「言葉の重み」中村 裕行 (地歴・公民)
先生ブログのすき間を埋める管理人の文章にお付き合いください。
私の最近のお気に入り番組は「プレバト」(木曜夜7時~ MRO)で、中でも俳句のコーナーを面白く見ている。1枚の写真をテーマに出演者達が俳句を作るのだが、俳人の夏井いつき先生がそれらの句を毒舌混じりで批評し、添削するのである。五・七・五の限られた十七音の中に、季語を入れることはもちろん、擬人法や倒置法などの手法を用いることや音の響きなどにも配慮して、風景の描写や作者の思いを凝縮していく技は見事と言うほかない。
近頃は思いつくままの文章をメールに並べたり、私もついていけない絵文字や省略語がとびかう中で、この俳句の世界は実に新鮮である。ふり返って、私達は1つの事を表現するのに、どれだけ吟味して言葉を使っているだろうか。教員という立場で言えば、適切な表現でわかりやすい授業ができているだろうか、悩んでいる生徒や試合で負けた生徒に適切な言葉をかけてきただろうかと自問自答する。教員にとって、言葉とはコミュニケーション手段以上の商売道具のようなものであり、言葉で商売をするのであれば、それだけ言葉を磨かなければいけないということにもなるだろう。倫理の授業に登場するカッシーラーという人物は、まさに「人間は言葉(象徴)を操る動物」と規定している。
話は少しそれるが、赴任して3年目、持ち上がった初めての卒業生を送り出す年、俵万智さん(福井県の高校出身 創作活動の他、当時は高校の先生でもあった)の「サラダ記念日」という歌集が大ヒットした。日常の断片を型にこだわらない言い回しで表現し、若者達の共感を集めたように記憶しているが、これにあやかり、皆で卒業文集に記念の短歌を寄せることとした。私自身も作った(であろう)歌は覚えていないのだが、ある生徒が寄せた歌を今でも強烈に覚えている。
“先生を 育ててやった 3年間 感謝しろよと 俺達言った”(Y子)
― う~ん、重たい! 今でも感謝しています。
(余談)ところで、この文章にこのタイトルは適切だったであろうか。「言葉の重み」とするか、「言葉の重さ」とするか、それとも「言葉のもつ重み」とするかで結構悩みました。 他にもっと適切なタイトルがあったかもしれません…。