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2015年4月23日 (木)

【第375回】 ゆっくりしようよI. K. (理科)

ワーッ、外国の人がいっぱい。
今までの金沢では、考えられない光景です。
北陸新幹線の影響??一過性だけかな?

「Excuse me. I want to go here.」とメモを渡され、しどろもどろで冷や汗もの。
やっぱ、英語 必要だわ。とくに、今からの若者は。
 先日、バスの中で、香林坊で降りたかった外国の人が乗り越してしまい、運転手さんに話しかけていました。運転手さんは「Please get off at next bus stop, KATAMATI.」と片言の英語で必死に説明していました。運転手さんも、店員さんも英語がしゃべれないといけない時代になってきましたね。地理的ではなく、時間的に地球はだんだん狭くなっていき、グローバル化していってます。
 それが進歩というものでしょうか…?…

 この劇的に変化していく環境の中で、生きていくという事は大変なことです。 マスコミや流行に流されない自分を確立していかなければ。

 自己確立が一番可能な時期は、十代前半から半ば過ぎまでの年頃なのでは。この年齢までは、徹底して自己中心的であり、その自己中を隠すだけの用心深さと、狡さを持っていない時期です。この時期に、順調に周りから愛され、幸せに暮らした子と、何かの不幸でいろいろあった子では、その後の人生観に大きな差ができます。
 今、いい意味で世間に注目されている金沢という環境下で大人になっていく遊学生のみんなに、若さと将来の可能性に対してうらやましさと、反面ちょっぴり心配な気持ちと、いろいろ複雑な思いを感じます。

 世間は時短・時短と流れ、生活は楽に・便利に・綺麗にとなっています。第一線で活躍して経済を引っ張って行っている人たちを除き、普通の人は、どうせ、短い人生、何とか楽(らく)をして、たのしく過ごそうという風潮になっています。
…まるでイソップ童話の「アリとキリギリス」のような…
 でも、キリギリスのような生活ばっかりしていてはいけないのでは。アリのように働いてばっかりというのもなんですけど。…日本人はつい昔は働いてばかりの人が多かったな。

 やはり、勉強は大切です。スポンジのように吸収する脳を持ち合わせている中・高校時代にたくさんの知識を脳の中に入れてください。そして、必要な時に取り出せるように、整理してしまっておいてください。

 でも、あわてないで、あわてないで。
たまに、スマホの電源を切り、テレビを消してみてください。
 ゆっくり、ノートを広げ、数学の問題にでも取り組み、疲れたら、ゆっくり料理でもして、ゆっくり食べ、ゆっくり本でも読んでみては…案外時間はいっぱいあるもんですよ。
 そして、ゆっくり自分を見つめてみてください。

 今の自分があるのは過去があっての、各自違った過去の環境下の上に培われた自分であり、その環境下で、それぞれの今の自分の価値観がつくられ、この現在の自分の価値観が将来の自分を作っていくんです。

 大切なのは、優しい気持ち、謙虚な気持ちです。自分一人はたいしたことないんですよ。周りの人たちの気持ちが分かる人になってください

 さあ、ぼちぼち頑張ってみましょう。

2013年12月 5日 (木)

【第309回】 「良い子はわが子」「わが子は良い子」I. K. (理科)

 慣れました。最近の子供たちに。
「うちのばあちゃんに似ている」
「声が祖母ちゃんそっくり」
「そーか。祖母ちゃん今どこにいるの?」
「わからんけど、年寄りがいっぱいいるところ」
「先生だって、若い時があったんだよ」
「ウソー!!信じられない」「昔って、携帯やコンビニがなかったんでしょ。どんなふうに暮らしていたの?」

 子供のころの自分です。もちろん白黒(カラーではない)です。
小さい時、富山県の山田温泉に行った時と、小学校入学の時の写真です。向かって左は弟です。

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  ・・
少し、若すぎたかな??
 この頃(5~6才)、家には「きい祖母ちゃん」{曾祖母  加藤すゑ、享年78歳{加藤外松、フランス大使 S17年没の養母) }が座敷で、病気(たぶん、脳卒中?)で臥せっていました。
 時々、私を布団の中に入れ、「久美子や、お金は天下のまわりもの」「お金の奴隷になるなよ、武士は食わねど高楊枝」など、よくわからないまま、聞いていました。しかし、きい祖母ちゃんの心の屈折は、幼い私には通じませんでした。でも、その言葉が、今の自分の価値観に影響を与えているような気がします。
 中学1年の時、義祖母(母の義理の母 加藤幸子 享年49歳)が、突然、亡くなりました。彼女の死は私にとって大きなショックとその後の自分の生き方に多大な影響を与えました。

 そして、いろいろありながら、その私も、生徒たちから「ばあちゃん」と言われる年齢になりました。

 先日、夜眠れないままラジオを聴いていたら、面白いことを言っていました。

「良い子はわが子」と「わが子は良い子」…これってすごい違いですね。
 

「良い子はわが子」…父親心理。

父性原理は「切断する」機能にその特性があり、強いものを作り上げていく建設的な面があり、そして現在、父性社会が発展し、発展社会は、競争を生み、強いものを造りだしていきました。しかし、成長、発展はやがて、頂点を迎え、頂点を過ぎると破壊に向かいます。 勝つために手段を選ばない「資本主義」が、今、行き詰まっているのが現実です。
 

「わが子は良い子」…母親心理。

母性原理は「抱合する」機能によって、すべてのものを良きにつけ、悪しきにつけ包み込んでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性を持ち、わが子である限りすべて平等でかわいいのであり、子供の個性や能力は関係ないのです。でも、平等、すべてが同じというのは、DNAではありえず、個人差や、頑張ろうとする個性を無視し、競争心は失い、成長、発展はありません。しかし、心の余裕は、礼節、文化、芸術を生み出していきました。

 人間の心には、多くの相対する原理がはたらいています。
その中で、父性と母性の原理の違いの対立は、そのバランスによって、社会が形成され、文化の特性がつくりだされ、そして、現在、21世紀になり、資本主義成熟社会となり、いろいろな弊害が出ています。

老齢化、過疎化、そして個人主義化。

 この環境下では、わりと我慢しない、お金至上主義のなかで育った子供が増えています。 この子たちが成長し、やがて結婚というものに、影響を与え、少子化にも繋がっていくのではないでしょうか。

 昔は、女子高だった、遊学館。女子教育は、やはり大切だと思います。
我々はすべて母親から生まれ、最初に母親から多大な影響を受け、大人になっていくんですもの。
 さあ、今日も授業です。

2012年8月17日 (金)

【第242回】 脳、そして男と女(性差)I. K. (理科)

 「ヒトは何のために生きるか」…古来から繰り返し出される問題である。

 生物学では、「すべての生物は自己の遺伝子を残すために生きている」と結論づけられている。
 主体は遺伝子であり、生体はただ単に次世代に遺伝子を残すための乗り物に過ぎないとまで言われている。
 本当にそれだけなのだろうか。

 生存の目的が遺伝子を残すことにあるのなら、生殖を終わった生物は生きている必要はないことになる。
 動物には一生に一回だけ生殖する一回生殖動物と、一生に複数回生殖する多数回生殖動物がいる。
 一回生殖動物は子供が誕生後、ほとんど自滅する。カイコガなどは一度きりの突発的な生殖を行い、その後すぐに死亡する。成虫のガは口すら持たず、2〜3日で餓死する。
 多数回生殖動物は哺乳類、鳥類、爬虫類、魚類など多数がこれに属するが、ほとんどの種類はまだ生殖可能の状態のまま死亡し、野生動物で生殖能力を失った動物が長く生き続けることはまずはない。

 人間はどうだろう?生殖能力を失ってから、さらにそれまで生きてきたと殆ど同じ年月生存している動物は人間以外にはいない。平均寿命年齢が年々伸び、社会問題にもなっている。

 ヒトはヒトであるが故に種の保存のみのために性は存在しない。」(定塚 甫 著 「性科学」)

 「おめでとう!!、男の子?女の子?」…赤ちゃんが出来た人にまっ先に言う言葉。赤ちゃんがどんな子ということよりまずは男か女か・・・「男か女か」、性別が一番大事だから。
 男女平等と言われている現在(我々、終戦直後に生まれた団塊世代では、とても考えられないが)、異性とも同性とも自然に付き合い、スポーツも料理も同じように気軽に話題にし、職場では屈託なく競争する。男も女も同じようなものだというふりをする。
 しかし、子供が生まれると、男女の違いを無視するわけにはいかなくなる。生後間もないころ目立つ違いは、ほとんどないが、乳児から赤ちゃんに成長していく過程で興味を示すおもちゃも、男女でかなり違う。
 脳も男女で重さ、形も違うと言われている。脳の大きさの差異は、成人後の男女の体格差と一致する。女の子の脳が小さいことが、男の子より脳の成長のピークが早く訪れる。思春期も男の子より1〜2年早く成熟する。
 性の分化は胚の発生初期に始まり、脳の性差も生じる。ヒトでは男が女より攻撃性が強く、空間能力に優れている、と言われている。

  面白い記事を、見つけた。
 …生物学的にいえば、人間はまだ石器時代の狩猟民なのだ。ー現代の人間が森の中に放り出されたら1週間すら生き延びることが困難としても、人間には遺伝的要素以外に、柔軟な適応能力が備わっており、男性の脳は、ほんのわずかだとしても、女性の脳と構造が異なっていて、それが方向感覚とナビゲーション能力に現れている。つまり、男性が地図を讀めるのは、進化の観点から全く正当な行為である場合もある。…(アレン・ブラングドン)

 知性の脳にも男女の差異はあるのか?
 アメリカにおけるメンタルテストでは、読解力、感覚の速さ、連合記憶においては女性の方が優れ、数学や社会科学においては男性の方が優れていると言う統計が出ている。

 授業をしながら、この子はもっと伸びるのではないかな、と思う時がある。

…この子達のせっかくの芽を伸ばしてあげなくては…
そう思い、微力ながら毎日頑張っている、つもりであるが…

蛇足
「男と女、どっちが得か。」
 シロアリの女王アリや女王バチは特別な食べ物を与えられ、ただ生きて子供を産み続ける。産卵し続ける事が果たして幸せかどうか。働きアリや働きバチは同じメス(♀)ながら「この差別はなに?」なんて思わないのか?
 蜂のオス(♂)は用が終われば捨てられる。哀れなものである。

やっぱり人間に生まれてきて良かった。相変わらず変なことばっかり考えている私である。

2011年4月13日 (水)

【第178回】人間が地球・自然を想定するには…I. K. (理科)

 子供の頃から、ずーっと疑問に思っていること、まだわからないことがいっぱいある。
そのひとつに「真実」「本当」という言葉。
本当って何??何が本当で、何がうそなのか、と。

 私は、終戦1年後、富山県の高岡市で生まれた。
実家は古城公園のそばで、庭は公園の堀につながっていた。(今は違う)
子供時代は近所には子供がたくさんいて、皆で隣近所の家を我が家のごとく入りびたり、
走り回り、近所のおばちゃん、おじちゃんにも可愛がられていた。
もちろん、いたずらをして叱られた記憶もある。

 でも、一人でいるときも大好きであった。庭は楽しかった。
公園の堀につながっているので、堀の草カメが庭に卵を産みにきたこともあった。
庭石の孔にいっぱい小さいヘビがいたときは驚いた。トカゲの卵はたくさんあった。
直径約1cmの楕円形。やわらかくポンポンはね、ナイフで切ってみると中に小さな子トカゲがいた。

 そして、一番楽しかったのは、蟻の行列を眺めていたときだった。飽きもせず、何時間も。
 時々、意地悪をして障害物を置いてみたり、巣をほじくってみたり…。
バケツの水を巣に入れ、慌てて出てくる蟻を見ていた。

 今から、思うと、なんとひどいことを、したんだろう。
 そして、いろいろ考えていた。
 「ひょっとして、この蟻さんは私かも?」
 「蟻が私だったら、この大きな意地悪な生物はなんだろう?どう思っているのかな?」
 「水におぼれている蟻さん、可哀想だな…。何にも知らず、ただ、一生懸命歩いていただけなのに…」

 …それから、それから…
 生物にとっての、相対的な大きさの違い、時間の長さの違い、
生きてる時代の違い、違いってみんな違うんだな。
 なんて事を、いろいろ考えていた子供時代を思い出しました。

 大人になって、こんなことを学び、そして今、生徒達に、こういう話をしています。

 地球が誕生して約46億年。
38億年前に海で生命体が誕生し、最初の約30億年は単細胞生物の時代であった。
 約6.7億年前に多細胞生物が出現し、生物の大量発生や、絶滅の時期を経て、
古生代、中生代、新生代、そして現代に至っている。
 この地球生態系の中、温度や光などの無機的環境は、絶えず変化しているが、
生物の種類や数は長期的には、ある範囲内に収まっていて、バランスを保っているように見えていた。
 しかし、約500万年前、高い知能を持つ人間が出現した。
最初の人類は農耕と採集を主とする、他の生物と同じように生態系における消費者として、
自然と調和のとれたものであった。
が、その後、人類は農耕の技術や放牧の方法などを生み出し、
独自の進化を歩み、次第に生態系を作り変えるようになっていった。
 さらに、現在、人口の急激な増加、それに伴う大量のエネルギーや物質の消費により、
次第に地球は、疲弊していった。
 そしてようやく、人間は、人類の生活と地球環境との調和、自然環境の保全を考えようとした、と。

 その矢先、この3月11日に東日本大震災が発生した。
大地震、大津波、原子炉破壊。連日のテレビの報道は、惨憺たるものであった。
でもその後の、復興に向けての被災者の忍耐強さ、
謙虚さ、気使いの心に驚かされ、日本人魂を感じた。
しかし…原子力に関しては…一般人には、何もわからない。ただただ、怖いとしか。
そして、いろいろな風評が流れている。
テレビを見ていて、この言葉がよく使われていた。
 「想定外」の大地震。「想定外」の大津波。「想定外」「想定外」と。
 誰が定めた想定?なのか。  
 想定外とは…辞書で調べてみると「想定」はあった。
「状況・条件などを仮に決めること」と、書いてあった。
 想定外はなかった。

普通の人間にとっての
 時間のスケール…人間の想定できる時間は、生まれてから死ぬまでの約80年。
             1000年前は大昔、100年前も昔、それ以前は、わからない。
             本で勉強して、へー、そうなんだ、って思うだけ。
             恐竜が生きた時代、約3億年、わからない。何しろ人間は500万年。
             一人一人の人間は、30~40年前は大昔と思っている。
             地震が起こるプレートの動きも万~億年の単位である。
             この地震で、震源付近の海底が3m隆起し、24m移動したという。
             何万年かかっての、プレート内部のエネルギーの解放だろうか。

 長さのスケール…キロ、ミリまで。マイクロぐらいになると、ほとんど、無理。何しろ見えない。
             肉眼で見える分解能は0.1mm、光学顕微鏡では0.2μmといわれている。
             ナノは当然無理。可視光の範囲、可聴音の範囲は本当に狭い。

 これですべてが、真実が、分かるはずはない。
 人類は本当に他の生物に比べ、一番高い知能を持っているのだろうか?
 人間は、暗い部屋の小さな穴から外(宇宙、地球)を見て、見える範囲だけ、聞こえる音だけが、
全世界だと、真実だと勘違いしている、のでは??
 人類は、自然に対してもっと、謙虚に接していかなければいけないのでは。

 こういうことは、今までに何度も授業中に、言ってきました。
高校生はここまで、学んでいます。
 何も、進学だけが目的の授業ではなく、正しい知識を持った大人になって、
自分の子供を大切に正しい方向に育ててほしい、と思っています。
 これが、私の信念です。
 我々はやっぱり人間ですもの。若い人々の明るい未来を望んでいます。
 私にできること…今まで通り、一生懸命、授業することかな。
 …と、思うこの頃です。

2010年10月13日 (水)

【第154回】アフリカ旅行I. K. (理科)

 「涼しい!」7月29日正午、たった一人で、ケニアのナイロビ空港に降り立った時に最初に感じたことです。
アフリカってとっても暑く、みんな裸…と思っていたのに。
目の前のアフリカは、今まで行った国の飛行場と比べてみて、同じ景色、同じ空気、同じタクシーの列…。
でも、私の心臓の鼓動はバクバク。
やっとこさ入国手続きを終え、ここで、娘に会えなかったら、どうしよう…
このアフリカの地で野垂れ死にか…と。

周りは真っ黒な巨人ばかり。
わけの分からない言葉(英語とスワヒリ語?)、
好奇心いっぱいの目でこの変てこなおばさん外人(私のことです)を
意味ありげな目でじろじろ見ながら通っていくケニア人たちに、身の縮む思いでした。
だから、到着ロビーで娘の姿を発見したときのうれしさといったら…
娘が超美人に見え、「地獄に仏」を実感しました。

 娘は結婚して、名前は伊藤紀子、東大経済学部博士課程で、開発経済なるものを研究しています。
「アフリカ経済の貧困と対策」をテーマとして、ケニア農村を調査し、今回も6月からケニア入りし、ビクトリア湖畔のオバマ大統領の出身地近くの村で2ヶ月あまり調査していました。
現地調査も終え、後は資料を集めるためにナイロビにきて、私と合流した、という次第です。

 タクシーで、むき出しの赤い大地を土埃を立てながら中心部のダウンタウンへ。
超近代的なビル、崩れ落ちそうなビル、ただただ混沌、雑然とした町並み、ひしめき合ってる車、たくさんのケニア人が目をぎらぎらさせながら、エネルギッシュに歩いている姿に、鳥肌が立つ思いでした。大渋滞、信号は守らない。回りを見渡すと、車の半数は日本のトヨタでした。都心の一角に「EAST AFRICA OF TOYOTA」と書かれた会社がありました。

 ナイロビはイギリスが植民地化してから発展した街で郊外には欧風建築の高級住宅地がひろがり、気候は1年を通じて夏の軽井沢といった感じで年平均気温は約20度。

 でも、都会は疲れました。
都会を離れ一週間、サファリツアーに行ってきました。
アンボセリ国立自然公園、ナクル湖、マサイマラ自然公園などへ。
ゾウ、ライオン、キリン、シマウマ、などたくさんの動物達が、生き生きと暮らしていました。
ここでは、主役は動物達で、空間、時間はすべて動物中心。
われわれ人間は小さい車の中から遠慮がちに見ているだけ。

ナクル湖は湖面がピンク色に染まるくらいのフラミンゴ。
バリバリと大木を食べているゾウ、草原のど真ん中でライオンが交尾し、ラブラブで首を絡ませあっているキリンのカップル、なんかの肉を食べている太めのチーター(妊娠か食べすぎか)、その上でハゲタカがおこぼれ頂戴と待っている。まさに動物天国です。動物達ののびのびした姿に、日本の動物園の動物達の姿が重なり、複雑な思いでした。

 今回の旅行で、異文化に接することで、今までの物事に対する価値観も少し変わりました。
 動物社会は「性の公開・食の隠匿」、その中で人間はどのような過程を経て「性の隠匿・食の公開」となったのか?
現世人類はアフリカで誕生し長い年月をかけて全世界へと拡散していったといわれているのに、なぜアフリカがこのように文明に取り残され、貧困が多いのか?…などなど。

 生物の授業では、人間も動物たちの一員であるということ。
謙虚な気持ちで、自然に接しなければならない事、などを生徒達と考えながら、すすめていこうと思っています。

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