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2018年3月29日 (木)

【第522回】 『君たちはどう生きるか』Ii. T. (地歴・公民)

 2017年の秋ごろから1冊の漫画が注目を集めています。『君たちはどう生きるか』、マガジンハウス刊。金沢の書店でも店頭に平積みされているので、手に取ったことのある方も多いかもしれません。原作は吉野源三郎による同名の児童小説で、私にとっても印象に残っている1冊です。
 というのも、遡ること8年前、高校入学に際して『君たちはどう生きるか』の感想文が課されているのです。母校の課題としては長い歴史を背負っているようで(来年度退職する恩師も感想文を書いたとか…)、同時に『君たちはどう生きるか』というタイトルから、難しい哲学の本でも読まされるのかと身構えたことはよく覚えています。
 詳しい内容はここでは省略しますが、コペル君というあだ名を付けられた主人公が、日常の中で様々なことを体験し、これについて彼の叔父が思うことをノートに書き留めるという体裁をとって物語は進んでいきます。昨今この本が話題に上ったこともあり、私も改めて読んでみました。
 私だけではなく、皆さんも主人公のコペル君と似たような体験をしたことがあるのではないでしょうか?友人が殴られているにも関わらず、目を背けてしまったコペル君の心情は大いに理解できます。
 順番が前後しましたが、私は皆さんにも『君たちはどう生きるか』をぜひ読んでほしいと思っています。それは文庫本であっても漫画であっても構わないと思うのですが、読んで、「おじさんノート」を通じて吉野が伝えたいことは何かを考えてほしいのです。「コペル君は“すごい”、“ずるい”、“やばい”」そういう形容詞1語で片づける感想ではなく、皆さんが感じ、考えたことを出来るだけ具体化させてほしいのです。
 面倒なことを避け、低きに流れることは簡単なことです。それが一時的に自らの身を助けることもあるかもしれません。私にも身に覚えがあることです。しかし、面倒なこと、嫌いなことを避け続けて、はたして私たちは成長することが出来るのでしょうか。自分から物事に取り組み、解決してゆく能力を身につけることはできるのでしょうか。皆さんにはそこから逃げることなく、主体性や自律性を育んでほしいと切に願います。それが吉野が立てた問いの答えに一歩ずつ近づいてゆくことになるのではないでしょうか。