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2017年3月 9日 (木)

【第468回】 ひとり一人に賜物があるはずS. K. (数学)

本多町の閑静な住宅街に、千人をはるかに超える、見目麗しい青年諸君が毎日集まっている現実を知っている人は意外に少ないのではないか。
全国で活躍している数々の部活動の拠点が、こんなところにあることは、この学校に関わって、初めて知りえたことかもしれない。
私もこの学校に関わって、3年が過ぎましたが、ここに集っている、ひとり一人の賜物に思いをはせることがあります。みな、小学、中学と経過して、今この学校の教室で学びの中にあるわけですが、真理を求める探求心が、今開花しようとしている人に良く出会います。これこそ、高校生の姿です。一人一人の過去は、何だったのか問いかけたりする必要はありません。訳が分からないまま、6年、7年と過ぎ去ったのかもしれません。その間苦労の人生であったかもしれません。その苦労が長ければ長いほど、これから自分で獲得したものが皆さんの肉となって身についたとき、一生離れない確実なものになるのです。
「何事にも時がある」という、あるところでは有名な言葉があります。今の皆さんにとって、真理を探求しようという意欲がわいてきたとき、それこそあなたにとってその時なのです。
その時に、自分らしい、他人にはない賜物が備えられていることを悟る領域まで達してもらいたい。
何事も競い合いながら、みずからを鍛えるのもいいですが、この地上で命が与えられた自分に、いったい何を求められているのか、それを問いかけながら進むようにしてもらい。そうすれば、あなた方の心は純粋な成長を遂げると信じます。

2015年11月 5日 (木)

【第399回】 まさか、教え子が甲子園にS. K. (数学)

 今年の遊学館高校の野球は、盛り上がりました。私は七尾高校との試合を県立球場に観戦に行きました。これでも昔から勝負の世界をよく経験してきているので、「大事な試合に、おれが行ったから負けたのだ」と勝手に考えたりしてしまうので、多分勝ってくれるだろうとの思いもあって、七尾高校戦を見に行きました。しかし、相手の投手は軟投で、意外に点が入らなかったのです。日差しが強くなったので、相手側のスタンドで観戦しましたら、なんと数学を教えていたG君が代打で打席に入りました。あの子のパワーならスタンドもありえると思っていましたが、三振に倒れたのです。何やら肩に力が入っているように見えました。やはり高校野球は難しいもんだなあと痛感しました。しかし、その後、勝ち進んで見事に甲子園にコマを進めたのには感動しました。
 体育館の壮行会では、選手のユニホーム姿は、美しかった。それだけでも一人一人の人生に輝く一ページになるのです。
 この私も、前の学校で野球の応援(団長)に行ったことがあるのです。創部間もないころで、応援団もないので、バトン部とブラスバンドで行ってこいと指示されて行ってきました。穴水高校との試合の応援に行ったのです。試合の方は。20点以上の大差でコールド負け。相手は2番手、3番手の投手を出してきましたが、ほとんどヒットは打てなかったのです。試合終了の後、バスに乗ろうとしたら、恥ずかしながら急に涙が止まらなくなったのです。周りの者たちは、余りの大敗に、先生は悔しすぎて、泣き出したのだと思っていたようですが、実のところ、あの女学校がこうして高校野球に出られた、試合ができた、そのことの感動で、胸が爆発したのであったのです。スコアボードに自分の高校の名前が出たのを思い出してしまうと、さらに嗚咽が倍加しました。わたしは、小学生のころから野球にはそれなりの、思い入れがあったのだと、自分を見つめています。
 そのあと、縁あって、この学校に勤めさせていただき、なんと現実に数学を教えていた生徒が甲子園に行ってくれるとは、自分の人生に驚いています。神様のいたずらかもしれませんが、余りにも出来すぎている自分の人生に、これまた感動しました。しかも全国の強豪相手に1勝してくれるとは。
 私は、勝敗にはあまりこだわっていません。勝負というものは、何しろ、一つしかないものをお互いに死力を尽くして奪い合うのですから大変です。数学の問題のように、ただ解いてくださいと、黙っているわけでなないのですから。人間と人間の勝負は、それは大変です。
 高校生の部活動などいつも、勝負はついて回ります。相手も勝とうとしています。そのとき、相手に勝とうとするのではなく、今の自分にとって一番ふさわしい結果が与えられるんだという、信念を持つということです。もし敗退という結果が与えられたとすれば、それは今の自分にとって一番ベストな結果だと信じることです。その後の努力がさらなる君の成長を促すのです。いつも考えてほしいことは、みなさんの人生の一つ一つの結果には、何らかの意味があります。その意味を問いかけて、さらなる前進を続けてほしいことです。

2014年5月15日 (木)

【第327回】 一人一人が創りあげている学校S. K. (数学)

こちらに、新任として務めさせていただいて、一か月ほどになりますが、一言でいえば、すばらしい学校であると言えます。この学校のことについては、野球、駅伝、卓球、バトン部等のことはよく聞いていましたが、日頃の学校自体はどのような学校であるかは、全くわかりませんでした。
はじめて校舎内に入った時、大きい学校だと思いました。生徒数も多い、さすがの規模だなあと。しかしそれは、隣の学校の校舎も、この学校の延長だと思い、その境界線に気がつかなかったのでした。それでも、その校舎を最大限に活用し、生徒と教師が目標を定めて、すべてに全力で突き進んでいる様子が、学校全体に満ちています。
まずあいさつの声が、すばらしい。毎朝、この門をくぐった時から、いや学校に近づいた時から、私は以前のように、自分だけの世界にはまりこんで、遥かかなたの空間を見つめて歩む人生は、遠慮しなくてはならなくなりました。学校の一人一人と、元気なあいさつを交わす、その一人になってしまいました。
私の担当は数学ですが、いつも中心ができている授業は大変いいと思います。授業の中心がいつもそこになければいけないし、それを創り上げていくその責任をひしひしと感じています。
数学は知識を伝える部分もありますが、やはり共に考えて、見えない先を見えるようにすることです。
数学が分からない人は、その人は、大切な人です。私はその人のために来ているのです。みんな分かる人ばかりだと、私は必要ありません。しかし、見えない先を進んでいくことは、洞窟の探検なら、皆わくわくドキドキで、大喜びですが、数学の世界で、同じようにわくわくドキドキで進んでいくとは、難しいかもしれません。しかし、今までの自分の力では、ほとんど見えなかった数学が、何やら見えるような気がしてきたら、共に大喜びしたいものです。洞窟探検と同じように、感激したいものです。その喜びが、周りを嬉しくさせることで、一人一人が世界を創り上げていくのです。
数学で悩み、苦労することも大切です。悩むことによって、ひとは大きく成長していきます。ある意味では、数学はそのためにあるかもしれません。今は、何でも乗り越えるエネルギーがあるはずです。この力を思い切り燃焼させてほしいものです。
まず、はじめの一歩が大切です。

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