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2023年1月 5日 (木)

【第764回】「正解」T. M. (英語)

RADWIMPS「正解」より

あぁ 答えがある問いばかりを 教わってきたよ そのせいだろうか
僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない

一番大切な君と 仲直りの仕方
大好きなあの子の 心の振り向かせ方
なに一つ見えない 僕らの未来だから
答えがすでにある 問いなんかに用などはない

次の空欄に当てはまる言葉を書き入れなさい 
ここでの最後の問い

「君のいない 明日からの日々を
僕は/私は きっと □□□□□□□□□□□□□□□□□□」

制限時間は あなたのこれからの人生
解答用紙は あなたのこれからの人生
答え合わせの 時に私はもういない
だから 採点基準は あなたのこれからの人生

「よーい、はじめ」

作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎

これは数年前に「18祭」というもので様々な思いを抱えた18歳1000人とRADWIMPSで歌われた曲の一部です。生徒の皆さんは今の自分と共感できる部分も多いはずです。一度聞いてみてください。歌詞にもあるように、人生に正解はなく、自分で選んだものが正解になっていくという部分を皆さんに感じてほしいです。3年生は進路が決まり、これから自分が選んだ道に進みます。自分が正しいと信じたことには一生懸命になってほしいです。たとえ間違ったとしてもやり直すことはできます。
採点基準はあなたのこれからの人生です。

2021年7月 1日 (木)

【第687回】 「学び」T. M. (英語)

 娘がまもなく1歳8ヶ月になり、話すことがだんだん得意になってきた。教えてもいないのに嫌なことには「No」となぜか英語で答える。母親のことは「ママ」と呼ぶくせに、父親(私)のことは「パ」と呼ぶ。わざとなのだろうか。最近では「アンパンマン」とはっきりといえたり、指差しができたりする。子供の学びの吸収力は恐ろしいものだ。

 一方、大人になるとなかなか物事を覚えることができなくなる。私も今まで避け続けてきた英検を昨年受けた。英単語を覚えるなど、学生のとき以来のことで、全く頭に入ってこなかった。子供を寝かしつけながら1日500単語に目を通すことはとてもつらく、子供ではなく自分が寝てしまったことが何回もあった。努力の甲斐あって何とか合格することはできたが、せめて大学生の間に受けておけばよかったと後悔した。

 このように幼いときや吸収力のある学生のときに学んでおけばよかった、ということが大人になると多々ある。後悔先に立たず。時間は平等にあり、何をするかを一人一人が選択している。だからこそ自分の生徒にはベストな時間の使い方を選択し、たくさんのことを学んでほしい。

 今年3年生の担任となり、大学に行こうか迷っているという生徒が多くいる。個人的には大学に行き、その間に自分が本当に興味を持てることを見つけ、取り組んでほしいと思う。大学生活は「人生の夏休み」だという言葉をよく聞く。その夏休みをどのように使うかは自分次第だ。たくさんのことを経験し、自分の糧にしてほしい。

2020年2月20日 (木)

【第616回】 「生命」T. M. (英語)

 昨年の11月に娘が産まれました。

 初めてエコーを見たときは白い点にしか見えず、これが自分の子供という実感はありませんでした。休みの日には検診に付き添い、経過を一緒に見に行くようになり、白い点はだんだん人間の形になっていきました。鼻は高い、足の骨が太いなど子供のことを聞くことが次第に楽しみになっていきました。産前1か月ごろには胎動も激しくなり、足で蹴っているのがわかるようになると、お腹の中に生命があることが現実になってきました。

 出産当日、帝王切開だったので手術の時間も決まっており、その時間に病院に向かいました。手術中のランプが点灯し、医師が何人か入っていきました。予定時間になっても中から何の反応もなく次第に不安になってきました。出産時に大量出血をすることもあると聞いていて不安なことばかりが頭の中を巡り、時間が本当に長かったです。「何か聞こえた、おめでとうって言っていない?」と義母が言いました。すると中から大きな産声が聞こえ、医師から中に入るように言われました。小さな台の上に小さな赤ちゃんが大声で泣いていました。初めて見る我が子はかわいいというより一生懸命に声をあげて泣いている様子が、力強く見えました。声をかけると必死に目を開けようとしていました。母子ともに健康でそのことが何よりもよかったです。

 産まれたばかりの赤ちゃんは3パターンに分類されるといわれています。ガッツ石松タイプ。朝青龍タイプ。笑福亭鶴瓶タイプ。娘は朝青龍タイプでした。皆さんは何タイプでしたか?我が子はまだ3か月程度しかたっていませんが、首がしっかりしてきたり、あうあう言うようになったりと日々成長が楽しみです。

 学校の保健の授業で習う生命、講話などで聴く生命の大切さはその場で言われていることは理解できるものの、現実味が今まではないものでした。しかし親になって、自分の子供が産まれて、初めてその大切さや尊さに気づくことができたように感じます。

2018年10月 4日 (木)

【第548回】 「恩師」T. M. (英語)

 7月下旬、金城大学のテニスコートで私はそのことを知らされました。どこかで覚悟していたような、それでも信じられないそんな感覚がしました。自分にとって大事な人が亡くなりました。

 滝本先生は私が教員を目指すきっかけをくれた先生のそのまた先生でした。とにかく元気で明るく前向きで一度話し出したら止まらなくなる人でした。そんな先生との一番の思い出は亡くなる2ヶ月ほど前にした大喧嘩です。

 きっかけは些細なことでしたが、そこから授業や英語に関する話になり、お互いに引かず言いたいことを言い合いました。大人になってあんなに本気で言い合ったのは今までなかったかもしれません。しかしその言葉一つ一つは先生から自分への叱咤激励であり、そのとき言われた言葉は今でも忘れることができません。「そんなこともわからないの」「あなたがやらないで誰がやるの」ストレートで重い言葉でした。そのときは私もむきになっていましたが、後になってそこまで自分に対して言ってくれる存在がいるということは幸せなことだと感じました。

 葬儀の際、部活で応援してもらっていた生徒、遅くまで残って英語を教えてもらっていた生徒、いつもは少し突っ張っているけど本当は素直で優しい生徒、みんな泣いていました。その中に予備校時代に私を担当していた先生(滝本先生の教え子であり私にとっての先生)もいました。二人で先生の思い出を話しているときに「滝本先生は君のことをかわいがっていたと思うよ、だってあの人は興味ない人や期待していない人にはそんなこと言わないから」と言われ、生徒がいるので我慢していましたが、その言葉でいろんなことを思い出し、涙が止まりませんでした。もっと休むように強く言っておけば、もっと話を聞いてあげていれば、いろんなことを考えましたが、それでもきっとあの人は元気でいる自分を証明したくて教壇に立っていたと思います。

 「人の成長に間近で関われる仕事」それが教員という仕事だと私は思っています。そして私も含め、多くの人が滝本先生に成長させられていたのだと思います。葬儀の後、予備校の先生から連絡があり、当時の資料や教材がすべて送られてきました。そして「超えてもらわないと困る」と言われました。正直、プレッシャーはありますが、少しずつ自分も誰かに影響を与えられるような存在になりたいです。

 先生のご冥福を祈っております。

※この先生ブログを書いている日に、京都大学の名誉教授の本庶佑(ほんじょ たすく)さんがガン治療の研究でノーベル医学・生理学賞を受賞しました。もっと早くにこの技術が普及していれば、生きている時代が違ったらと、たられば話をしても仕方がないのですが、一人でも多くの人がやりたいことができずに終わることがないように願っています。

2017年5月11日 (木)

【第477回】 「変化」T. M. (英語)

前回は勉強のことについて書いたので今回は部活のことについて書きたいと思う。

私が男子テニス部の顧問をはじめてちょうど1年くらいになる。
1年前、テニス部を担当することになった私は初めて練習を見に行くことになった。私が行くと数名の生徒がおり、挨拶をしてきた。しかし聞いていた部員数と数が合わず、数名がコートでラリーをしているだけだった。しかも平然と遅刻してくる生徒(当時の部長)もいた。自分が高校生だったころの部活は遅れただけで先輩や顧問の先生に怒鳴られ、無断欠席をした際には次の練習に参加すらできないこともあった。そのイメージで部活を見に行った私にはテニス部の現状がとても衝撃的だった。しかも活動日も不定期でそのつど決めているようで、部活といえるのかあやしいものだった。私はテニスにまったく関わったことがなかったが、せっかく部活としてやるからには1つでも多く勝てるチームにしたいと考え、少しずつテニス部を変えていこうと思った。

初めに部活の活動日を明確にすることと出欠状況の確認を徹底させるようにした。練習は日曜以外の毎日行い、出欠の状況は必ず報告させ、部長と副部長に転記をさせた。そうすると無断欠席を続ける部員で辞めていったものも多かったが精鋭されたメンバーが残った。
夏になると金城大学へ行き、毎日のように練習をした。暑い中声を出させ、必死に走らせた。毎日こつこつと練習を積み重ねていくと少しずつではあるが変化が出てきた。今までは入らなかったサーブが決まるようになったり、ストロークにスピードがでてきたりと初めに部活を見たときの彼らとは別人のようだった。
そして夏休みに行われた地区大会の予選では小さいトーナメントでシングルスでは6人が決勝まで勝ち進み、そのうちの1人が本戦出場を決め、ダブルスでも1ペアが本戦出場を決めた。4月以降に取り組んできたものが一番結果に現れた大会だった。

この1年を改めて振り返ると、まだまだ未熟な部分が多いが部活として成長できたと思う。
初めに考えた1つでも多く勝てるチームという軸をぶらさずに今後も変化し、結果が出せるチームにしていきたい。

2015年12月17日 (木)

【第405回】 「成長」T. M. (英語)

 夏休み前あたりから私は放課後に301の教室で受験のための勉強を教えている。きっかけはある映画の話をしたときに、「本気で変わりたいなら努力しなさい。そうすれば変われるから。」と話をしたことだったと思う。それから3年生2人でスタートした勉強も夏休みの間に4人になり、今ではたまに2年生も顔を出し勉強するようになった。

 初めは隣に座って教えないと全く勉強が進まなかった生徒も今では自分で計画を立て、1人で集中して勉強できるようになった。そして将来のことを話すようにもなった。勉強をスタートしたときの2人は「もっと早くから始めておけばよかった。」と何度も言っており、後輩にも勉強の大切さを話しているようだ。

 当然のことながら受験には合否があるので、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。しかし合否だけでは無く、私は彼らが自ら行きたい大学に挑戦するようになった姿勢やその過程での努力も評価してあげたい。また受験勉強を通じて学んだ多くことは彼らの人生において大きな収穫となると信じている。

「どうせ~」や「~しても意味が無い。」という言葉が口癖のようになっているなら是非一緒に勉強しよう。本気で変わりたくて努力して変わった生徒はたくさんいますよ。