メイン

2022年12月 5日 (月)

【第759回】「文理選択」S. Y. (理科)

 大体、1年生の10月~11月くらいに文理選択を行う高校が多いと聞くが、本校でも先月、そのコース選択希望調査が行われた。その中で、適性と希望が異なることもある為、その間で悩んであるという生徒もいた。

 このようなタイミングで、私はある機会を得て、金沢大学人間社会研究域で准教授をされている一方井 祐子(いっかたい ゆうこ)先生の「日本における女子生徒の理工系進学の壁 ~社会風土の改善に向けて~」というタイトルの講演を聞いてきた。

 その内容は、世界的に見たときに、日本の女性が理系分野に進出する割合が非常に小さく、その原因を研究しているというものであった。様々なアンケート結果やデータから分析をして、導き出された結論は、高校での文理選択が関わっているのではないかというものであった。そこには進路相談という場面で、教員が生徒に対して性差を無意識に勘定して指導しているのでは?という仮説が示された。そして、それを確認すべく現場の意見を聞きたいと、一方井先生は聴講している我々高校教員に対して、非常に丁寧にかつ謙虚な姿勢でヒアリングをしていった。すると、そこにいた教員達から、自分たちの影響はそこまで大きくなく、家庭や社会環境に大きく影響されているのではないかという意見が飛び出し、その方向に議論が進んだ。

 そして、その講演は次のステージに移行する。そこで一方井先生は、保護者に対するアンケートと生徒の文理選択の相関性を表すようなデータを示した。そこには国際教育到達度評価学会(IEA)の学力調査で、中学2年生時点での数学の能力に性差はほとんどなく、能力差は個人差であっても、性差はないというデータが含まれていた。そこから、さまざまな先行研究の結果をふまえて、日本の女子が中学生のときになぜか数学が苦手なふりをし始めるという分析結果に、一方井先生らは至ったのである。これは何を意味するのか?なぜ、そのように振る舞うのか?日本社会が知らず知らずのうちに女性は数学的能力が低いという固定観念を植え付けているのだとすれば、文理選択やコース選択の自由は失われてしまっていると言える。(そのことを一番危惧している一方井先生らの研究が、今後さらに進むことを期待している。)

 私もフラットに進路選択ができるように生徒の進路相談に応えたいと、この講演を聞いて強く感じた。

2022年12月 1日 (木)

【第758回】「遊学講座」S. Y. (理科)

 今年の遊学講座もあと1回となり、全18回の講座を終えようとしている。本校の遊学講座は60以上の講座の中から、生徒自身が主体的に選び、1年間を通してその道に通じる方々から教えてもらうというもので、文化系のものや学習系、運動系のものまで幅広くある。中には部活動の延長線上にあるものもあるが、基本的には生徒の希望が概ね叶うように受講調整されている。

20221201_3

 この取り組みは、本校の歴史の中でも長く、遊学講座との出会いを通じて、将来の夢や仕事に結びつけた卒業生もいる。そして、その卒業生の方が現役生に還元したいということで、新たに講座を開講してくれるという良い循環が生まれている。

 このように多くの方に支えられながら、運営されている遊学講座は、地域社会に開かれたものとして、今を生きる遊学生の学びに、大いに貢献している。この1年間で何に出会い、何を身に付けたかを、もう一度、遊学生自身、振り返って来年度につなげてもらいたいと強く願っている。

2021年5月27日 (木)

【第682回】 「総体」S. Y. (理科)

 昨年、コロナによる休校で石川県高校総体は開催されなかった。卒業していった先輩達は、その悔しさとどの世代も経験したことのないような想いを胸に巣立っていった。その様子を間近で見ていた後輩たちが最上級生となり、1週間後の大会に向けて日々粛々と練習に励んでいる。
 スポーツは文化的な側面も持っており、文化や芸術はその文明がいかに豊かだったかを測る物差しとしても時折、活用される。一度衰退し、失ったものは簡単には取り戻せないからである。
 そして今、人類はコロナ禍において、オリンピックや各種エンターテイメントが衰退の一途を辿る中、我慢の時とばかり、我々は足掻き、抵抗している。
 命の重さの前には、文化や芸術は意味を成さない、無駄なものだという人もいる。しかし、一見無駄に見えるものこそ、育まれるためには長い年月を要すること、簡単には元に戻せないということを痛切に感じながら、私は日々を過ごしている。
 私たちの社会には楽しいことがたくさん溢れている。そのたくさんのことが失われても命を落とすことはないだろう。でも、そんな世の中では幸せに暮らしていくことはできないだろう。
 今、この時代に生きていることに感謝して、競技をしているその瞬間を精一杯楽しんでくれることを願っている。

2020年1月 2日 (木)

【第609回】 「私立という選択」S. Y. (理科)

 令和になって、年が変わり、本校も令和2年度の入学試験を控えている今日。
 今年も多くの中学3年生が本校を受験することを期待しているところである。
 そこで受験生になる中学生には、是非、建学の精神というものを意識してもらいたいと、私立で教える立場としては考える。
 建学の精神とは、創設者の教育理念であり、想いであり、願いである。
 それぞれの私立学校には、それぞれの建学の精神があり、本校にもそれはある。
 『良妻賢母の育成』から『遊学精神の涵養』と時代の移ろいとともに、その理念は変化しているものの、本質的には変わっていないと私は思う。どちらも難しい言葉ではあるが、私は、その時代に合った人間を育成する=間に合う人を1人でも多く輩出するということではないかと解釈している(一個人の見解です)。ただ、この建学の精神をもとに現場で教育を実践するのは、今は亡き創設者ではなく、我々教職員であり、またその時に集う生徒自身なのである。ここにいる人たちがこの理念のもとに実践していくのが、私学の教育であり、私学の良さである。結果や実績には直接的には結び付かないものかもしれない。しかし、それこそが遊学館から巣立っていったときに、卒業生の心の中に残っているものであり、本校でしか得られなかったものということになる。血の通った建学の精神にできるかどうかは、今年卒業する本校3年生をはじめとする在校生、教職員、そして次に入学してくるであろう本校受験生の中学3年生、このすべての人たちが建学の精神を意識し、共有できているかどうかによると思う。
 本校を受験する中学3年生には私立という選択について、もう一度意識して建学の精神と向き合ってもらいたい。そして、遊学館でしか得ることができないものをともに探究できることを願っている。がんばれ!受験生!

2018年8月 2日 (木)

【第539回】 『受験生』S. Y. (理科)

 現在3年生の担任をしているが、この時期の受験生の気持ちはたぶん、不安・焦り・よくわからない(現実を受け止めていない)のどれかではないかと思う。
 中学3年生では、進学する高校を決め、さらには理数科など文理選択を伴う決定をしてしまう生徒もいる。高校に入れば、1年次に文理選択やコース選択があり、3年では卒業後の自分の人生と向き合わなければならない。最終的には皆、就職する方向に向かって動いているわけだが、生徒一人一人によって、目指す進路も多様化し、就職や専門学校・短大・大学への進学等様々である。特に遊学館は、ダイバーシティが生徒の個性と同じくらい進路指導に関しても存在している、なかなか珍しい学校ではないだろうか。
 この社会では何歳までに就職しなければならないという決まりはない。それぞれがそれぞれのタイミングで社会の仲間入りを果たしていくだけである。ならば、それまでにどれだけこだわりを持って、自分自身と向き合うことが出来たかということが最も重要だと私は考える。結局、大学に進学しても就職が延期になっただけと考えるならば、その時間を何に使えばよいかということになる。ある人は留学して自分だけが体験したことを糧として、就職に向き合っていくであろうし、ある人は自分の興味関心のある分野をとことん探求することで、学び続ける面白さに気付き、就職に結び付けていくかもしれない。
 大学は専門学校と違って、職業訓練的な要素はかなり少ない。みんなが行くから自分もではなく、自分だけのこだわりを持って進学してほしい。専門学校のように、もう何者になるかを決めて進学する人のほうが、高卒で社会の一員として就職をする人のほうが、実は自分と一番向き合えた者なのかもしれない。
 しかし、実際はどんな選択をしようと自分自身としっかり向き合った上で結論を出せた者は少ないのではないだろうか。だからこそ、中学生だろうと高校生だろうと受験生には、自分が就職するまでに必要だと感じる時間を逆算して考えてほしいと思う。その時間が君たちに残された社会人になる為の時間である。だから、1分1秒も無駄にはできないし、受験がゴールとなることもない(社会人がゴールであるわけでも決してない)。
 今の漠然とした不安や焦りは自分自身と向き合う絶好のタイミングと捉えて最後まで諦めずに、自分だけのこだわりを貫いてほしい。

2017年2月28日 (火)

【第467回】 『ご卒業、おめでとうございます』S. Y. (理科)

本校は基本的に日曜日ではない限り、3月1日が卒業式となる。明日はその卒業式の日である。私が遊学館に赴任してから変わらず、その日が卒業式であり、式典の厳粛な雰囲気も本校の体育館で行われるということも何一つとして変わりはなかった。しかし、今回は式場が異なる。これは今に始まったことではないが、体育館の建て替えのため、本年度の入学式からというもの、金沢歌劇座での行事が多く行われた。

遊学館はその恵まれた立地条件によって金沢市内の多くの施設を利用して学校行事に参加できる学校である。その行事に参加するには、決められた時間にその場所に集合するという当たり前の行動が伴ってくる。一見、簡単そうに感じるが約1400人もの生徒がいつもと違う道を慣れない交通手段で集合時間に間に合うようにすることは容易ではない。特に慣れていない1年生は事前に場所や移動手段の確認をしないと遅刻してしまう。誰が言ったわけでもないが、私はこれが遊学生としての最低限身に付けるべき能力だと思う。そして、卒業して社会に出るときに必要な能力の一つでもあると思う。それは目標を設定し、そこにたどり着くまでの道筋と手段、所要時間を見積もって、歩を進めていく人生に、本質的には似ているからだ。

明日の卒業式も金沢歌劇座で行われる。何か、いつもより特別な卒業式になるような気がしてならない。卒業生の皆さんには遊学生の集大成として、式を全うされることを期待したい。素敵な卒業式になること、そして卒業生にとってかけがえのない思い出になることを祈って、一足早いが、『ご卒業、おめでとうございます』

2015年10月29日 (木)

【第398回】 やってみないとわからないS. Y. (理科)

  私は毎週土曜日の遊学講座『菜園』の巡回担当をしている。
先週の土曜は安納芋の収穫だった。
掘ってみると、ものすごく大きい芋が出現。
生徒も注意深く、途中で折れないように周りの土を除けて作業する。
私もスコップで参戦。
いつの間にか、私が生徒よりもワクワクしながら掘っていた。
10分か、20分か、どれくらい経ったかは分からないが、大きな芋がいくつも連なって、その全貌を現した。
土の中にいたときには分からなかったが、大変立派に育っていた。
掘ってみなければ分からない。
そう思った。
 その日の昼から本校の女子バレー部が決勝、次の日には本校のサッカー部が準決勝、と盛りだくさんな週末だった。
選手だけでなく、応援に駆けつけた生徒も頑張ったすばらしい試合だった。
スポーツもやってみないとわからない。
 3年生にとっては今が受験シーズンの真っ只中。
1人1人の将来に向けたチャレンジがそこにある。
これもまた、やってみないとわからない。

2014年6月12日 (木)

【第331回】 マイブームS. Y. (理科)

 昨年、富士山が世界文化遺産に登録され、また再来年には8月11日=山の日という祝日が加わる。近年、登山を始めた人も少なくはない。私もその一人だ。

 二年前の夏、誘われて勢いだけで行った白山登山。そのときが初めての登山だった。序盤の調子はどこかへ飛んでいき、中盤にはここへ来たことは選択ミスだったと心の中でこっそり思っていた。しかし、頂上に着いて感じた何とも清々しい充実感、下山してこみ上げてきた達成感が私の心の中を満たしていった。

 翌年には富士山登山を計画し、無事登頂できた。このときも中盤では高山病の気がありながらも登ったため余裕では全くなかったが、下山するときには次に登りたい山のことを考えていた。そして20日後には白山の御来光を見ていた。

 自分が高校生のときに、まさか登山をしようとは考えもしなかった。しかし、自分の知らない世界に飛び込んでいくときの高揚感はいくつになっても変わらないと思う。先日、遊学講座の一環としてこのような話を全校生徒に向けて話す機会をいただいた。遊学精神の涵養のもと、本校の遊学講座は他校にない特色の一つとなっており、まさにこの話は多くの高校生がまだ見ぬ、ひょっとすると一生見ることがないような扉の近くまで案内するものだったと思っている。

 しかし、ここで終わっては単なる旅番組よりお粗末である。私が生徒達に一番伝えたかったのは、山を登るときの思考である。体力に自信のない私は、楽に登ることばかりを考えている。それだけを考えて登っている。どうしても山頂に着きたいからだ。よって、確実に登るために無理はしない。ごつごつした岩場を登るときには歩幅は狭く、膝に負担をかけないため段差はなるべく低いほうがいい。ふと思う。勉強やスポーツも同じ発想なら、目的地まで積み重ねていけるのではないかと。その日だけ、10時間の勉強や、500回の腹筋をしてみても、すぐには望んだ自分は手に入らない。出来ることから少しずつ毎日積み重ねて、ようやくたどり着ける領域がある。

 さらには、日が暮れるまでに登ってしまわないといけない、試験本番までに目指した学力以上にはなっていたいなど、物事には必ず期限がある。少しずつというわけにはいかないかもしれないが、結果を出したい人はこの山を登るときの思考を是非活用してみてほしい。そうすれば、頂上にたどり着けるかもしれない。ただ確実に言えることは、そこには今までに感じたことのない充実感や達成感が待っているということだけだ。

1白山の御来光(昨年)

26月7日(土)遊学講座の講話の様子

続きを読む "【第331回】 マイブーム" »

2013年2月21日 (木)

【第268回】 学校は百代の過客にして、行き交う生徒もまた旅人なりS. Y. (理科)

 2月は、本校の高校入試や3年生の仮卒業式、自主講座の閉講式など行事が多い。その一方で、もうすぐ新学年を迎えることになる。毎年、1年生特進クラスを担当している私は、2・3年生特進クラスが横並びということもあり、自分が1年生のときに担任した生徒とよく階段や廊下ですれ違う。そして、必ずと言っていいほど、「もうすぐ3年生だね」、「もう卒業?早いね!」、4月になれば、「もう2年生?この間、入学してきたと思ったら」、「あっという間に3年生やな」などの言葉を生徒にかけている気がする…。中には本校の入学試験で出会ってからの付き合いの生徒もいる。こういった1年1年の生徒の成長を見届けられるのは教師をやっていて楽しい部分である。

 しかし、本当に月日が経つのは速い。それは我々に無言のプレッシャーとなって重くのしかかってくる。この短い3年間でどれだけ生徒達を成長させてあげられるか?この課題をクリアすべく私たち教員の教育活動が行われているのである。この限られた時間の中で、〈生徒の努力+教員の努力=最高の結果〉となるように今日も授業をしている。

 もうすぐ新たな旅人たちが本校にもやってくる。どんな1年になるだろうか。楽しみである。

2011年11月10日 (木)

【第207回】 『未来の自分からありがとう』S. Y. (理科)

 10月末、1~3年生の特進クラスを対象とした進学講演会に東京からわざわざ中村一郎先生にお越しいただきました。そこでは、生徒たちもメモを必死にとるくらい非常に貴重なお話が聞けました。それは『大学受験10大(重大)原則』という、日頃から実践できる成績向上に役立つお話を簡潔にまとめたものでした。

 思わず、なるほどと頷けるものもあれば、耳にしたこともある内容も含まれており、やはり勉強方法はある程度共通部分があるのだと再び実感しました。

 中でも印象的だったのは、最初に言われた『素直さ』が大切だということでした。何事にも、まず言われたとおりにやってみるという実行力が必要不可欠であり、毎日顔を見ている先生より東京から来ていただいた先生のほうが生徒も素直に話が頭に入っていったような気がします。

 最後に一番印象的だったのは、10大原則の最後のお話の中で『40歳の自分にありがとうと言われる高校生活を送る』という言葉でした。中村先生は実体験も踏まえながら、『今、タイムマシンがあったら、浪人時代の自分に会いに行って、よく頑張ってくれた、ありがとう!と言いたい』とおっしゃっていました。その言葉に生徒同様、私自身も少し耳が痛くなりました。

― 過去に頑張った自分がいるから、現在の自分がいる ―

 この話を聞いた直後から生徒の様子に変化が現れました。勉強方法で悩んでいる生徒が多かったので、すっきりした顔で何かに向かって走り始めたようです。恐るべし、中村一郎パワー。ただし、継続できなければ結果はついてきません。これから先、我々に出来ることは、中村先生に作り出していただいたこの勢いをより大きく、長く続けられるように生徒の背中を後押しすることなのだと思います。

 ある人は大学受験をこう言いました。『たった3年間の我慢でその後の人生がほとんど決まってしまう。そんなにおいしい話は他にないだろう。』確かに・・・。

 最後に中村一郎先生、お忙しい中、本校に来ていただき本当にありがとうございました。そして、受験を迎える中学3年生、高校3年生の皆さん、あとわずかですが、頑張ってください。未来の自分からありがとうと言ってもらえるように。