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2024年1月11日 (木)

【第817回】「新しいことへの挑戦」K. M. (英語)

 私は運動が苦手だ。50m走は10秒台、水泳の人生最高記録は21m、逆上がりができたのは人生でたったの一回だけ。自転車をうまく停車できなくて、坂を猛スピードで下って正面に合った植え込みに突っ込んだこともある。とにかくどんくさい。小さい頃からずーっとどんくさい。
 が、こんな私がとある意外な資格を持っている。それは「普通自動2輪免許」だ。「中免」と呼ばれたりもするが、400㏄までのバイクに乗れる免許だ。自動車の免許を取れば自動的に取れる原付免許とは異なり、この免許を取るには自動車の免許を取る時と同じように試験を受けて合格しなければならない。
 なぜどんくさい私がこんな免許を持っているのか。その理由は20年近く前に遡る。
 私は2003年に大学院を修了後すぐに教員になった。社会人一年目。非常勤講師などを一切経験しないままいきなり教員になった。そしていきなり中学一年生の担任になりそれはそれはとても忙しい毎日を過ごしていた。毎日大変だったが、特に経験が浅い私にとっては学期末に書く通知表が最も厄介だった。特にコメント欄の内容には学期ごとに困り、最後にお決まりのセリフのように「~を頑張りましょう。」や「来学期は新しいことにも挑戦してみましょう。」のような言葉を書くようになった。毎回毎回、いくつもの通知表にそんなことを書いた。が、ある時ふと気が付いた。「人に言うだけで私は最近何かに挑戦したことはあっただろうか」と。「新しいことに何も挑戦していない私が子どもたちにそんなことを言う資格があるのだろうか」と。
 そこで私は毎年何か一つ挑戦してみることにしたのだ。なんでもいい。授業での話のネタにもなるしちょうどいいし良い考えではないか。色々考えてみて、大学時代の友人たちに時々乗せてもらった大型バイクを思い出した。私も運転してみたいなと思ったことがあったからだ。
 ただ、大型バイクの免許を取るのは体型的に無理があると思い、中型バイクの免許取得を目標と決めた。その時すでに自動車の免許を持っていたが、再度自動車教習所に入学。毎日仕事終わりに教習所に通った。なにしろどんくさいので技能講習時間には色々やらかした。教習用バイクのミラーをへし折ったり、バイクがウィリーした後で前輪が一気に下に落ち、前にあった上り坂に激突したり…。かなり苦労したが、免許を取った時にはとても嬉しかったし達成感もあった。何かに挑戦するのも悪くない。「グラストラッカ-」という細身の250㏄バイクを買い、通勤にも使ったりしてバイクのある生活を楽しんだ。
 翌年以降は身の丈にあった挑戦をしようと思い、英語の検定試験を受けたり、行ったことのない国に旅に出たり、茶道を始めたり…。着物の着付け教室にも通った。ホットヨガに通ったこともあった。今思えば良い経験ばかりだったと思う。
 が、ここ10年は子育てに時間も労力も費やしてきたので何かに挑戦できていなかった。そのことがずっと心に引っかかっていた。生徒に言うだけで自分は何もしていない。そんな自分に戻っているではないか、と。そこで去年3月、約15年ぶりにTOEICに挑戦してみた。かなり久しぶりの受験ではあったが、900点を超えることができた。しかも900点超えは人生初だった。これもまたやってみて良かったと思う。
 今私は50代にどんどん近づいてきているが、20代の私が掲げた「毎年何かに挑戦する」という目標を再度胸に抱いて2024年を過ごしたい。
 10代の皆さんは今年、どんなことに挑戦しますか。

2022年8月18日 (木)

【第743回】「それって何の役に立つん?」K. M. (英語)

 私は数学が苦手だ。思い返せば小学1年生の通知表には「計算が苦手」というようなことを書かれているのを見た両親が絶句していた。当時母は小学校の教員で父は特別支援学校の教員。父は小学校での勤務経験もあったのだがそんな2人も小1の段階でそんなコメントを貰った生徒を見たことがないと…。
 そんなだから中学生になっても当然数学なんて理解できるはずもない。その時には中学校で理科を教えるようになっていた父は時々私の勉強を見てくれていた。が、私があまりにできなさすぎて父は絶望と失望、そして怒りを爆発させてある日「もうお前には教えへん!!」と言って二度と私に勉強を教えようとはしなくなった。勤務校では温厚な教員として知られていた父だったが、わが子の話となると別だったようだ、父がブチ切れたことに私は驚いた。
 けれども私は思っていた。必死になって数学なんてやる必要があるのだろうか。父は熱くなりすぎじゃないだろうか。だから数学ができなくてもさほど気に病むこともなく、高校受験は内申書と英語と作文、面接の4つだけで済む高校を選んだ。だって私の人生に数学は必要ないから。
 高校に行っても同じ調子だった。とにかく国語と英語が得意だったので卒業後の進路は文系の学部しか考えていなかった。定期試験で数学の赤点を取っても進級にかかわるほどのこともなかったのであまり気にしていなかった。もともと大学は一般入試で文系の学部を受験するつもりだったので内申書を気にする必要もなかったのだ。得意な国語と英語の点数を上げるために時間を使う方が有益に思えた。大手予備校の模擬試験で200点満点中5点程度しか取れなくても平気だった。だって私には国語と英語があるもん。数学なんていつ使うん?
 卒業後は関西の私立大学の文学部に進学。大学の文学部の授業に数学に関するものは一切なく、いよいよ私の数学不要論は確固たるものになっていった。なーんや。やっぱり数学なんていらんやん。簡単な計算さえできたら生きていけるし。
 確かに大学での4年間はそうだった。が、就職活動をしようとして驚いた。一般教養に数学の問題が出る??数学って一般的な教養の一つやったん??私は一般的な教養がないまま大人になってしまったってこと!?
 そうなのだ。数学は大人として働くために必要な教養の一つだったのだ。私は人生経験も働いた経験もないくせに、小さい頃から「数学なんて人生の何の役にも立たない」と勝手に決めつけて苦手なものから逃げていただけなのだ。そしていよいよ大人として社会に出ようという時に思い知らされたのだ。数学は必要なのだと。
 先日『大河への道』という映画を観た。江戸時代に伊能忠敬が日本全国を歩いて測量し日本地図を作ったという話は私も知っているが、それは間違いだったということを中井貴一さん演じる1人の千葉県の市役所職員が気づいてしまうことから始まるお話だ。
 その市役所職員が松山ケンイチさん演じる部下と海岸線を歩いて測量するシーンがある。そこで彼は測量には三角関数が必要だとその部下に言うのだが、部下は三角関数が理解できずに話が通じない。その部下も私と同様数学から逃げて大人になったくちだったのだろう。
 去年少し話題になったSNSの中にハーバード大学の生物学者さんが学生の頃に電車の中で数学の問題集を開いていたら見知らぬおじさん(どうやら職業は大工さん)から「三角比はやっとけ。」と言われたというエピソードがあった。その生物学者さんは当時数学が苦手だったそうだが、今となっては三角関数を毎日使っているそう。それに対するコメントなどを読んでみても、やはり大人になって自分が就いた職業で思わぬ知識が必要となり慌てたり、あるいはその知識があってよかったと思ったりすることが分かる。
 苦手なものからは逃げたい。その気持ちは避けられない。けれどもその苦手なものが必要かそうでないか。それを子どものうちに決めつけてしまうのは時期尚早だ。人生始まったばかりの若造にわかることなんてほんの一握りのことなのだ。タイムマシンがあればあの頃の私にそう言ってやりたい。
 けれどもそんなことはできない。せめて現役の子どもである皆さんと私の2人の子どもにこの話を送りたい。

2021年2月18日 (木)

【第668回】 「ランドセルを知らない子どもたち」K. M. (英語)

 みなさんは「ランリック」というものを知っていますか?知っているあなたは京都府あるいは滋賀県出身の人でしょう。あるいはかなりのカバン通?
 そうです。これはカバンの一種です。ではどのようなカバンでしょうか。名前を見て何となく想像がつきませんか?正解は「ランドセル+リュック=ランリック」です。ちなみに「ランリック」は商標登録された商品名で、私たちは「ランリュック」と呼んでいました。
 去年私の息子が小学校に入学しました。入学前にランドセルを買うことになり、お店に行ってまず値段にびっくり!そして実際に手にしてみてその重さにびっくり!噂には聞いていたけれど、こんな重たいものをこんな小さな子どもに持たせるなんて!!「ランリュック」なら軽くて安いのになあと、思わず「ランリュック」を思い出しました。あの頃はあんなに嫌だった「ランリュック」だったのに…。
 実は京都府内の多くの人がランドセルを使ったことがありません。その代わりに「ランリュック」なるものを使っていました。それが学校指定のカバンだったのです。「ランリュック」は阪神タイガースカラーの柔らかい素材でできたリュックサックです。確かに軽くて使いやすいのですが、ダサい。とにかくダサい。テレビドラマなどに出てくる小学生が背負っているツヤツヤのランドセルがとてもうらやましかった。なんで私たちはこんな変なカバンなんだろう。そもそもランドセルは本当に実在しているのだろうか。実在しているならなぜ私たちは使えないのだろうか。6年間もやもやしながら「ランリュック」を使っていました。
 大人になり、誰かと話している時に「ランリュック」は全国でも京都府と滋賀県でしか使われていないことを知り衝撃を受けました。あんなダサいカバンを使っていたのはやはり私たちだけだったのか、と。

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 そして、いよいよ自分がわが子のために通学用のカバンを買う番になり、「ランリュック」の素晴らしさに気づかされました。安くて軽い、その上丈夫。なぜこのような良品が全国に広まらないのか。とはいえ、他の子とはまるで違うカバンをわが子に強要するのもいかがなものかと思い、本人の意向を尊重して、結局はランドセルを購入しました。ちょっとしょんぼり。
 調べてみると、今ではちょっとおしゃれなタイプも売っている様子。しかもここ最近は埼玉県や福岡県などでも採用している小学校があるのだとか。
 いつも身近にあって便利だけど、なんだかぱっとしなくて好きになれないもの。そこにあるのが当たり前すぎて、ありがたみを感じられなくなったもの。皆さんの周りにもそういうもの、ありませんか。子どものころの私にとって「ランリュック」はまさにそのようなものでした。
 若い子たちと話していると、石川県は田舎だから嫌だ、方言がダサい、という子がいます。私も若いころはそうでした。けれども、自然豊かな石川県だからこそできることや食べられるものがあります。「~まっし」や「~じ」といった金沢弁特有の柔らかな語尾などは心地よい響きです。
 自分にとっては当たり前にそこにあるけれど、何だかカッコ悪いもの。視点を変えて見てみると、その中に「良さ」や「美しさ」「カッコよさ」が潜んでいるかもしれませんよ。そういうものに気がつくと、人生が今よりちょっとおもしろいものになるかもしれませんね。

2019年9月19日 (木)

【第595回】 「抱きしめたい」K. M. (英語)

 私には忘れられない曲が一つあります。それはビートルズの”I want to hold your hand”という曲です。なぜかというと、この曲が今の私を作るきっかけになったからです。
 私には姉と兄がいるのですが、この2人の影響で私は小学生のころから日本のロックを聴いていました。特に私が好きだったのはBOØWYや氷室京介で、中学生のころには氷室京介のCDのほとんどを持っていました。が、ある日偶然幼なじみの家にある1枚のCDに目が留まりました。それがビートルズでした。そのジャケットの中にまさに私の理想の顔を持つ人がいました。それがポール・マッカートニー。早速私はそのCDを借りて聴いたのですが、聴いてびっくり。それまで聴いていた音楽よりもはるかにかっこいい!!!特に”I want to hold your hand”には衝撃を受けました。衝撃的過ぎてしばらくぼんやりするくらいでした。こんなかっこいい音楽を作り、なおかつ私の理想の顔を持つポール・マッカートニー。敬愛せずにはいられませんでした。彼の話す言語を話せるようになりたい、そしていずれはポールと結婚したいと真剣に思うようになりました。
 私はこの日から氷室京介と別れを告げてビートルズまっしぐらの生活を始めました。まずはおこづかいを貯めてできるだけたくさんのCDを買い、歌詞の中に知らない単語があれば辞書で引き、ノートにまとめました。もちろん歌詞も暗記しました。ポール・マッカートニーの誕生日の6月18日にはイギリス時間の午前0時に合わせて、クラスメイトを巻き込んでポールに向けてハッピーバースデーの歌を大声で歌ったこともあります。(確か学校で国語の授業中だったと思います。先生ごめんなさい。)
 高校に入ると、地元京都では英語教育で有名な「T岡塾」という塾に通い、毎日英語三昧。塾が終わるのが遅くて、終電のぎりぎりの電車に乗って帰宅することもざらにありました。熱心に英語だけを勉強した結果、数学の偏差値は「35」でしたが・・・。

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 大学生になってもポールへのあこがれはあったので、イギリスに行き、かの有名なアビーロードスタジオ近くの語学学校に入学し、アビーロードで写真も撮りました。
 そんなこんなをしているうちに、気がつけば大学院で言語学を研究し、英語の教師になっていました。
 今思えば、中学生の頃の私はちょっと変な子だったかもしれません。けれど、あの一曲に出会ったおかげで、英語を好きになっただけではなく、何か一つのことに熱中して続けることの大切さを学んだように思います。

 みなさんは今、好きなことは何ですか。何に熱中していますか?それが将来の仕事につながるかもしれませんし、もしそうなったとしたらとっても幸せなことですよね。