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2021年12月30日 (木)

【第712回】「留学生との時間の中で Part 2」西村 美恵子 (英語)

 以前このタイトルでブログを書きました。その頃は英語を教える傍ら空いた時間で学校に通っていた交換留学生の日本語の勉強の手伝いをしていました。彼らはアメリカやカナダからやって来て1年間いくつかの家庭に滞在する、いわゆるホームステイをしながら遊学館に通学していました。またリファーレで行われている日本語教室にも通っている学生もいました。そのような留学生と過ごした時間の中でいろいろ感じたことなどを書いたものでした。
 現在遊学館にいる留学生は、当時の交換留学生とは異なり3年間在校し、部活動をし、寮で暮らし、卒業します。そして私自身も日本語教師として彼らと関わっています。
それで今回Part2としました。
 日本語を教えるようになってまず感じることは、日本語は音声としては簡単なほうだけれど、読み書きは3種の文字の使い分けが難しいうえに、漢字の読み方が一通りではないことが日本語を母語とする人にとってすらとても難しいということです。もしかすると日本人は語学の天才じゃないかと思うほどです。例えば、「今は12月です」「今日は月曜日です」「お月様が欠けるのですか」これらの文中の『月』の読みが違うのは小学生でもわかります。けれども同じように漢字を使う本家の中国語ではほぼ一通り、中には二つ読み方を持つ漢字も少しはあると留学生が教えてくれましたし、私が一時期はまっていた韓国語でも表記は今ではハングルでわかりにくいですが、漢字から来た単語の読みは基本一通り、中にはいくつかあるものもありますが、日本語のようにその語が伝わった当時の中国での音に近づける読み方がいくつもあるなどということはありません。ただ日本人にとっては音として幼いころから先に言葉に接しているので、後から漢字がついてくるのにたいして、日本語の学習者にはそれほどの時間的余裕がないのです。そう考えるとついつい申し訳ないような気になって、「ごめんねー、これはそう読まないの―」が口癖になってしまいます。
 私たちの、日本語学習の第一の目標は日常会話ができるようになることです。
ところがその日常会話というものは読み書きがないから簡単だと思われるかもしれませんが、文字以上に難しい日本語の特徴が詰まったものです。高校生ですから少しは敬語・丁寧語が使えるようになってほしいしのですが、目上の人はともかく、内外(うち・そと)の使い分けは日本人にとってもとても難しいものです。日常会話では、仲間との会話と挨拶の言葉とはかなりの違いがあります。挨拶は、あいさつ様式として覚えなければなりません。またものの数え方、その音の変化、例えば、鉛筆がいっぽん、にほん、さんぼんと簡単に言えるようになるにはこれらをまた覚えなければなりません。言語の習得はやはりたくさん使って慣れることが最も大切です。
 ケニア出身の留学生に教えてもらったのですが、彼の国には40以上の部族がそれぞれの地区に独自の言葉を用いて暮らしていて、つまり日本の県のようになっているそうで、学校ではいくつかの部族が集まるので、スワヒリ語と英語が公用語になる、つまり彼は日本に来る前にもう母語を含めると3つの言葉を使いこなせ、日本語は4つ目の言語になるそうです。凄いことですよね。またある留学生は日本に来る前から日本語を勉強していて、昨年日本語能力検定試験1級に合格しました。彼の努力は素晴らしいことですし、本当にうれしいことでした。
 留学生と接していると、とてもたくさんのことを私の方が教わっています。考えさせられています。私にとって彼らは、自分では気づいていない自分たち日本人のことを映す鏡のようでもあり、またもっと広い世界へと開かれた窓のような気がする毎日です。

2021年12月23日 (木)

【第711回】「進路について考える」道上 ちひろ (英語)

 12月20日に『金城体験講座』が実施されました。金城大学コースを希望する1年生95名が金城大学を訪れ「看護」「医療健康(理学療法・作業療法)」「社会福祉」「幼児教育」「ビジネス実務」「美術」に分かれ、大学教員から直接学ぶ機会となりました。

 高校に入学して、一年も経たない段階で卒業後の進路ついて考えることは簡単なことではないかもしれません。しかし、これからの先行き不透明な時代を生き抜くためには、進路選択や職業選択がますます重要になり、早い段階から自分の将来像を描くことが不可欠だと考えます。近年、入学試験や就職試験で求められる知識や技能は高度なものになり多様化しています。それに勝ち抜く力を身につけるには多くの時間や努力が必要となります。

 金城大学コースに限らず、遊学生のみなさんには、どのような学問が存在し、それが自身の職業や将来につながるのかなど主体的に調べることも大切な力だと考えます。何よりも、生徒のみなさんに進路選択に必要な幅広い情報提供することも、教員としての大きな役割であると改めて実感させられる一日でした。

さあ、みなさんは、どんな将来像を描きますか?

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<金城体験講座(講座内容一例)>

看護 生活援助技術 ~手浴の効果を体験してみよう~
医療健康 理学療法士、作業療法士に質問してみよう!
社会福祉 他者理解は自己理解から ~自分ってどんな人間~
幼児教育 作って遊べる軍手人形
ビジネス クリスマスをコーディネートしよう
美術 絵が上手くなる勉強法?!

2021年12月16日 (木)

【第710回】「全国大会」水本 勝也 (英語)

 12月12日、遊学館吹奏楽部にとって3年ぶり5度目のマーチングバンド全国大会に出場した。高校野球なら甲子園、サッカーなら国立競技場、マーチングの世界では日本中のプレイヤーが目指す聖地が、大会会場のさいたまスーパーアリーナ。
一昨年は北陸大会でライバルに敗れ、昨年はほとんどの大会がコロナ禍で開催されず、ビデオ審査で敗退。2年分の悔しさと先輩たちの思いを背負い、なんとか勝ち取った全国の出場権。それまでは覇気のない練習に、本気で全国を目指す気があるのか疑問にさえ感じることも少なくなかったが、結果を聞いて涙を流しながら抱き合って喜ぶ生徒の姿が印象的だった。
 迎えた全国大会当日、出番は高校の部の全28団体のトップバッター。審査員の採点で結果が決まる競技では、1番は基準として見られるため高得点が入りにくい。100点満点中90点以上のチームに金賞が与えられるルールの中、遊学館は85点で銀賞を受賞した。個人的には非常に満足している。何より、最高の舞台で全力を出せた生徒を誇らしく思う。
 出番を終えた後も、これから出演するチームが続々と会場に入ってくる中で、もう一つ嬉しいことがあった。私は、大学に入学した年わずか12人で1期生としてマーチングバンド部を立ち上げた内の1人。あっという間に大きなバンドになり、大学日本一にまで昇り詰めた。そして引退する時に監督や仲間と交わした約束「いつか自分の指導するバンドを率いて全国大会で会おう」。今年の全国大会には指導者になった仲間が全員集結した。ようやく夢が叶い、仲間との約束が果たせた日となった。
生徒のおかげでたくさん嬉しいことがあり、仲間にも再会させてもらい、心から感謝している。来年もまた全国の舞台に立ち、互いに生徒の自慢をしあえたらと思う。

2021年12月 9日 (木)

【第709回】「流行語大賞」M. K. (数学、情報)

 2021年のユーキャン流行語大賞グランプリは「リアル二刀流/ショータイム」に決定した。他にはAdoの「うっせぇわ」やコロナ関係の流行語など多々あったようであるが、やはり今年1年を振り返ると、大谷翔平選手の活躍は日本人が誰にもできないと言われるプレーをし、実績を残してくれたことが感動を呼び、受賞となったのでないかと思う。今はコロナの第六波がいつ訪れるかわからない中で、暗い話題を明るい話題に変えてくれたことが老若男女問わず支持を得たのでないか。

 私にとっての2021年流行語大賞は「山のてっぺんから見下ろす景色もいいけども、谷底から見上げる景色もいいもんだぞ。」である。

 この言葉は、NHK相撲解説者の舞の海秀平さんが現役力士時代に当時の師匠であった出羽の海親方(元横綱佐田の山)から掛けられた一言だったと今年の大相撲解説において説明していました。それは幕内に上がって連敗が続いていた時、この言葉だけを残してその場から立ち去ったそうです。その後は練習にも実が入り、勝ち星を積み上げていったということでした。

 言葉は、時には人を喜ばせ、時には人を傷つける魔法を持っているといわれている。

 今後も良い言葉があれば、1年を通じて私にとっての流行語として記録を残してみるのも面白いと思うこの頃である。

2021年12月 2日 (木)

【第708回】「マスクの下の素顔」M. H. (英語)

 11/30から期末試験が始まった。私が担当している科目が初めの方に集中していること、熱心な2年生の選抜クラスを担当していることなど、様々な事情が重なって、試験直前は生徒の下校時間ギリギリまで勉強に付き合う日々であった。世間より一足先に師走に突入した感がある。

 さて、4月から勤務することになった私は、1年生はもちろん、全ての人と、マスクをつけた姿で出会うという特殊な出会い方をした。つまり、鼻から下の姿が分からない状態からスタートした。時が経つにつれて、休憩時間の飲食などで顔全体が見える機会が出てきた。文字通り素顔が明らかになる瞬間である。実は口には出したことはないが、思っていたのと違うという印象を抱くことがしばしばあり、勝手なイメージを作っていたのだと気付かされる。
 私も生徒からマスクを外した姿を見たいと言われることもある。残念ながらそのリクエストに応えられる日は遠そうだが、私が職員室でお茶を飲んだりご飯を食べたりしているところを目撃した、と自慢げに話す生徒もいる。また、ある女子生徒は試験勉強がひと段落した時にカロリーメイトを食べようとしたが、食べている姿を私に見られたくないという理由で顔を背けて食べ始めた。乙女の恥じらいなのかもしれないが、こういう出来事も素顔を知らないからこその出来事のように思える。このように、マスクをつけているという状態は感染予防以外にも色々な彩りを日常に添えてくれている。

 素顔という言葉は、平時であれば内面を指すために使われる。同じように「化けの皮がはがれる」「猫をかぶっている」という言葉も、文字通り皮膚がめくれたり、さかなクンのようにかぶりものをかぶったりしているわけではなく、内面のある部分が現れたり現れなかったりする時に使う表現である。さらに言えば、性格を意味する英単語personalityの語源はラテン語のpersona(仮面)である。このように、人の内面を表す言葉には、物理的な側面から表現されているものがある。そして、これまでの経験からいうとただの喩えや言葉遊びではなく、外面を知ることと内面を知ることは本当につながっているように感じる。

 今年もそろそろ終わりが見えてきた。残り少ない期間であるが、これから生徒たちはどんな「素顔」を見せてくれるだろうか。