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2021年4月29日 (木)

【第678回】 「START☞」S. Y. (保健体育)

サッカー部には新たに31名の新1年生を迎え、今シーズンもスタートを切りました。
まず、最初の合宿で、「他己紹介」というものを行いました。本人が自分の自己紹介をするのではなく、他の選手が自分を紹介するというものです。ただ紹介するでは普通なので、必ず共通点を3つもりこみ紹介することがルールです。10分間の準備タイムを設けいざスタート。個性あふれる紹介がどんどん飛び出します。二人の共通点は「イケメンなところです!」「好きな女の子のタイプが一緒です!」など大盛り上がり。まだまだお互いのことが分からない中、自分の紹介をするのではなく相手をいかに分かりやすくみんなに伝えるか。まだまだ恥ずかしくてうまく伝えられないところもありますが、少しはお互いを理解できたのでは?

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まだまだこれからの1年生。
この先苦しいこと、辛いことも待ち構えています。
その分、最高に楽しいことも山ほど待ち構えています。
可能性は無限。本気がみんなを強くする!!!

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2021年4月22日 (木)

【第677回】 「声の記憶」嶋田 司 (数学)

 人の声や話し方が記憶と強く結び付いていると思った出来事が二つある。
 一つは会議のためある公立高校に行ったときの出来事である。会場となった高校の校長先生の挨拶を聞いた瞬間,高校3年生の現代文の授業風景が頭に浮かんだ。校長先生は私が高校時代に習った国語の先生だった。男性ながら優しい声で,話し方にも特徴があり大変聴きやすい授業だった。校長先生の挨拶を聞きながら20年以上も前の授業を思い返していた。
 もう一つは逆に気付いてもらった出来事である。あるお店のカウンターで食事を済ませ会計をしようとしたとき,店主から「S先生ですよね。」と声を掛けられた。残念ながら,店主の顔を見てもまったく思い出せなかった。話を聞くと,私が初めて非常勤講師として勤めた公立高校で教えた生徒であることが分かった。30年以上も前の週4時間ほどの数学の非常勤講師をよく覚えていたなと驚いたが,声で分かったそうだ。
 自分が意識していない聴覚情報が脳内にまだまだ埋もれていそうです。

2021年4月15日 (木)

【第676回】 「軽音同好会、はじめました。」S. R. (国語)

<軽音同好会の活動目標>
①軽音同好会での活動を通して、遊学館にきてよかったと思えるような特別な思い出をつくること
②軽音同好会での活動を通して、生涯楽しめる趣味や仲間を見つけること
 

030415↑オマンジュウカフェで行った新入生歓迎ライブの様子
 

一人では出会うことができないような素敵な音楽との出会い、素敵な大人との出会いが皆さんの人生を豊かにすると信じて活動していきます。



興味がある人は第一職員室の佐野のところまできてください!

2021年4月 8日 (木)

【第675回】 「難しいを過去形に」S. T. (数学)

 数学の授業で新しい単元や分野を扱うと「難しい」「意味分からん」といった声が上がる。
今まで扱ったことのない数式や概念なのだから当然と言えば当然だろう。
 しかし、小学校2年生で習った九九でさえ最初は「難しい」「意味不明」なものだったのではないか。

 最初は、その「難しい」九九を毎日家に帰って暗唱を繰り返すことによって「簡単」なものに変えていったのではないだろうか。それ以外にも今では簡単に計算することができるであろう3桁の掛け算や、足し算における繰り上げ、引き算の借り受けなどそのすべてが当初は難しかったはずである。
 では何故、九九や、それらよりも難しい高校数学を家で勉強しないのか。
高校数学は難しい。だからこそ九九よりも勉強しなければ決して習得することはできない。

 ただ逆を言えば、難しい九九を簡単なものにすることができたのだから、努力さえすれば高校数学も「難しかった」と過去形にすることができるはずである。

 数学以外も同じだろう。

 簡単なことだけやっていてもそこに成長は無いし感動も無く、いずれ飽きるだろう。高校で難しい事に積極的に挑戦し、簡単な解法を見つけ出して欲しいと思う。

2021年4月 1日 (木)

【第674回】 「高校生の私へ」小森 眞里奈 (国語)

遊学館の皆さんと同じ高校生の頃、私は自他共に認める、
"お父さんがキライ" そんな思春期真っ只中の女子高生でした。
社会人になって、私の父嫌いは少し薄れつつも、父には素直になれないままでした。

しかし、私が24歳の時…父に癌が見つかり余命を宣告されます。
父に結婚式に参列してほしい…と急遽大慌てで結婚式準備をしました。
どんどん病気が進行し、入院先の病院から車椅子でやって来て、別人のように痩せ細った父を支えるようにしながら、何とか一緒にバージンロードを歩くことができました。

結婚式から2ヶ月後…
桜が散る春の終わりに、父は旅立ちました。
私が遊学館に勤め始めてまだ20日目のことでした。
亡くなる前日、実家のある富山の病院で、
「お父さん、私明日も授業があるから金沢に帰るね」と言うと、もう声も出せなくなった父が、震える手でしてくれたピースサインが今も忘れられません。

亡くなる前に結婚式ができて、私は少し親孝行できたのかな… そう思う時もありました。
でも、今私には愛する2人の娘がいます。
この娘たちを一目お父さんに会わせてあげたかった…、お父さんがいたら…。
そんな事ばかり思います。

「親孝行したい時には親はなし」
よく耳にする言葉ですが、今とても身に染みています。
まさか数年後に父との別れを迎えているとは思いもしていなかった、生意気で、素直じゃなかった高校生の私へ1番教えてあげたい言葉です。