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2018年2月 8日 (木)

【第515回】 「大切なことは700年前から変わらない」I. I. (国語)

 兼好法師が書いたとされる随筆「徒然草」は244段からなり、その内容は兼好の思索や¬雑感、逸話など非常に多くにわたります。その中でも150段「能をつかんとする人」は、落ち込んでいる時に読むと、とても元気が出てきます。
 
   能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに、人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かくいふ人、一芸も習ひ得ることなし。
 いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、そしり笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして、年を送れば、堪能のたしなまざるよりは、つひに上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、ならびびなき名をうることなり。
 天下のものの上手といへども、はじめは、不堪の聞こえもあり、無下の瑕瑾もありき。されどもその人、道の掟ただしく、これを重くして放埓せざれば、世の博士にて、万人の師となること、諸道かはるべからず。
 
     
 その現代語訳がこちらになります。
     
   これから芸事を身につけようとする人は、とかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するのがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例はひとつもない。

 まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざり、バカにされようと笑われようと恥ずかしがらないで、気にしないで、才能がなかったとしても、立ち止まらず、踏み外すこともなく、年を送っていけば、最終的に、その道の極みを嗜まなかった人よりも上の立ち場になれるし、しかも人望も備わって、多くの人に尊敬され、天下一の名声も得られるようになるものだ。
 
     
    ”神レベル”に上手いと言われている人でも、最初は未熟だという評価を受けてきたし、実際、作品には決定的な欠陥とかもあったりした。それでも、道の掟に従い、これを重んじて、遊びもしない人が、その道のプロとして、様々な人の先生となってきたのだ。これはどのジャンルでも変わらない話だ。

 

 
 未熟でも、うまくいかなくても、馬鹿にされて悔しい思いをしても、自分がどう見られているかを気にせずに、一心に打ち込んでいくことの大切さが記述されています。

 遊学館には、そんな一途な生徒が数多くいると思います。そんな生徒を応援するのが僕ら遊学館教員の仕事です。

  頑張れ、遊学生!