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2013年7月25日 (木)

【第289回】 『朝読書』M. N. (国語)

 毎日1時間目の授業の前に、「朝読書」という時間が設けられていますが、その時間に生徒が読んでいる本の表紙を眺めていても、かつての文豪たちの作品や、まして古典作品を読んでいる生徒の姿にはなかなか出会えません。
 古典というと難しいイメージからか、内容を理解する前に拒絶反応を示されることが多いように思います。難しい文法や聞きなれない単語によって苦手意識が芽生えてしまうために、物語自体の読解というところになかなか進めないのかもしれません。
 しかし、生徒に接していて興味深いことは、話の内容を理解できた瞬間に自分たちの感覚で考えてみることです。特に恋を題材に詠まれた和歌や恋心を描く物語への感情移入は、現代の小説へのそれと変わらないものがあるように感じられます。

『思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを』

 これは小野小町が詠んだ和歌です。

『あの人のことを想いながら寝たから夢に出てきたのだろうか。
 もし夢だとわかっていたなら、目を覚まさなかったのに。』

 この小野小町の詠んだ気持ちは現代人にも共感できるものではないでしょうか?またこの歌から、いろんな想像もできると思います。いい夢を見ていたのに、急に目が覚めてしまったのかな、きっといいところで目覚めてしまったんだろうな…と。
 生徒たちがこういった作品に共感を示す姿を見ると、微笑ましく思うと同時に、その感動を「ヤバイ」というオールマイティーな一言で済ませてしまうではなく、古人のように言葉尽くしで伝えられるようになってほしいと思わされます。
 言葉尽くしへの近道は言葉遊びではないでしょうか。言葉を駆使して「うまいこと言う」ことによって、「ヤバイ」の一言以外の、たくさんの言葉を使いこなせるようになるのではないかと思うのです。そしてそれが古人とさえリンクできる生徒たちの感性を内から外へと発信する力となり得ると感じます。
 このことから、古典文学・現代文学問わず、いつもは手に取らない本にもチャレンジし、いろんな作品に触れいろんな言葉を知り、感性と言葉を磨いていくそんな読書の時間を持ってほしいと思っています。