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2013年6月27日 (木)

【第285回】 黄金比山本  妃沙美 (数学)

「数学は何の役に立っているのか」

これは誰もが一度は考えた経験があるのではないでしょうか。実際に数学を「使う」人というのは少ないと思います。しかし、数学に「関わっている」人はこの世に多くいると思います。なぜなら、日常生活に数学の世界が広がっているからです。今回は、その一つを紹介したいと思います。

 美しいとされる、歴史的建造物や古代の美術品にはある共通点があります。その共通点とは、黄金比が使われていることです。約5:8の黄金比は、奈良の法隆寺やエジプトのピラミッド、ミロのヴィーナス、飛鳥の観音菩薩にも現れています。そして、その黄金比は現在でも、私達が目にするものに使われています。例えば、タブレット端末やデジタルカメラ、ゲーム機の形、そして、会社のロゴなど、視覚的に訴える図形や立体に多く使われています。

 現在、黄金比が使われているのは、古代の美しさに共通点があると気付き、見つけ出した人がいるからです。そのことを現在も利用し、何かを開発していて、それを利用する人が存在するということは、ほとんどの人は数学に「関わっている」ということになるのではないでしょうか。まだまだ、この世界には黄金比が隠れています。皆さんも見つけてみてください。そして、数学がいろいろな場所で、皆さんの「役に立っている」ことを知っていただけたら幸いです。

2013年6月20日 (木)

【第284回】 月と電子西山  彰 (数学)

 中学生の頃、ある学習塾でのことである。
 科学の先生が周期律表を黒板一杯に書いて説明していた。原子番号の若い順に水素、ヘリウム、リチウム・・・と原子記号を書いて、それぞれの原子構造が示してあった。そして先生は、「水兵リーベぼくの船・・・・」と書いて、このようにして表を覚えなさいと言った。
 私がその語呂合わせの素晴らしさに感動していたとき、一人の友達が質問した。
 「先生、その原子は月と地球みたいやけど、そこにミクロの人間が住んでるちゅうことはないやろか。」
 確かに水素原子は原子核のまわりを電子が一個回っていて、まるで地球と月である。ならばそこに人間のような生命体が存在してもよいではないかと彼は言うのである。何とも夢のある話である。
 教室にどっと笑いが起こった。しかしその先生は、一瞬不愉快そうな表情を見せたあと、再び「水兵リーベ・・・・」と続けたのである。
 この原子核のまわりを電子が回るという図は、もともとラザフォードが天体を模して考案したモデルである。だからそれが地球と月や太陽系に見えても何ら不思議はない。つまりその友達は、モデルにすぎないものを実際にそのような形をしているととらえてしまったのである。
 先生にしてみれば、原子モデルのことはすでに説明済みなので、何を馬鹿なことをと思ったのだろう。しかしここで先を急ぐのをやめて、科学的認識とは何かについて詳しく話してくれたなら、さぞかしためなっただろうと思う。また、周期律表が、世間の嘲笑を浴びながらも貫き通したメンデレーエフの信念の結晶であることに一言でも触れてくれれば、どれだけこの友達は勇気づけられたことだろう。わたしたちは、科学が「水兵リーベ」以上に創意工夫と知的冒険に満ちたものであることを知ったに違いない。
 ちなみに、原子が実際に原子核のまわりを円運動することは科学的に言ってありえないことである。しかし、原子の性質を記述するためには、電子の公転ばかりか、自転(スピン)まで考えるのである。これは光に波長はあるが、光が実際に波打っているのではないことにも似ている。つまり原子物理学のような微細なものを研究する分野では、目に見えないものを研究対象にしているので、その性質を記述することしかできないのである。

250620
写真 『世界で一番美しい元素図鑑』
 セオドア・グレイ 著
 ニック・マン  写真
 若林文高  監修
 武井摩利  訳

2013年6月13日 (木)

【第283回】 言葉と言語、そしてワード。西村 美恵子 (英語)

  何かの心理テストなのか、“あなたはこれから無人島に行きます。水や食料など最低必要なもの以外に、何か一つだけ持って行くことができます。あなたなら、何を持って行きたいですか”という問題があった。私は、あれこれ考えることもなく、“本”と答えていた。でもそのあとから、一冊だけなら何にしようとか、せめて数冊は必要だとか、真剣に悩んだりして。でも、今なら迷うことなく答えるだろう、“電子辞書”。

  私の持っている電子辞書は、一つは英語専門のものだが、もう一つはいつも授業に持って行く高校生向けのもの。それは日本語、英語関連の辞書ばかりでなく、社会や理科の各教科の用語集や小辞典、数学の公式集、百人一首にクラッシック音楽の一節、百科事典、ラジオ英語会話に数か国語のトラベル会話集等々、書ききれないくらい盛りだくさんの電子辞書である。私が高校生の時にこれを持っていたなら、もっと勉強していただろうに。

  その電子辞書の中で一番のお気に入りは、広辞苑。24万項目以上とかで、動植物の写真や図、野鳥などは鳴き声までも収録されている、もはや百科事典である。何か気になることがあると、まずは広辞苑から。例えば、自分自身が知っているつもりの日本語がどうも怪しいと思うとき。それに日々漢字も危うくなっているし。また広辞苑に載っていなければ金沢弁なのだと納得したり、流行りの言葉が載っていたら、ついに日本語になったかと複雑な気持ちになったり。カタカナ語もたくさん載っている。英語をそのままカタカナにしたものもあれば、いわゆる和製英語も載っている。そういえば、私はずっとワイシャツはTシャツのようにYシャツのことで、このYは襟の形なんだと思い込んでいた。宮永先生に“それは音からですよ。”と教えられた。white shirtが、ホワイトの強く発音される部分のワイだけが聞こえてできた言葉なのだ。広辞苑にもそのような説明が載っていた。同じ例は、かなり前になるが、小麦粉をメリケン粉と呼んでいたことがあった。メリケンはAmericanからきたのだろうと想像がついた。広辞苑によると、国産の小麦から作ったものはうどん粉、アメリカ産の小麦からのほうはメリケン粉と区別したとか。言葉は時代とともにあるものなのだとしみじみ感じさせる。言葉に限っても、知っているつもりでも、実は未だに知らないことはたくさんある。知らないことに気付いていないことはさらにたくさんあるだろう。だから知ることは邂逅であり、うれしいこと、幸せなことなのだ。

  もともと日本語は外国語である漢字を文字として使用したのだから、言葉(中国語)もたくさん入ってきた。和語がもともとの日本語、漢語が中国語から来た言葉(音読み)。それに和語に同じ意味の漢字を当てて表した言葉(訓読み)。また日本に入った時期により漢字の音も漢音、呉音,唐音などがありそれも忠実に読み方に取り入れた。(漢字一文字を一音だけに限定して用いた韓国語がうらやましくなるところだが)日本で作られた漢語もある。そのうえ外来語である。古いものは漢字が当てられていたりするがほとんどがカタカナ語である。特に文を書くとき、漢字、ひらがな、カタカナと3種類の文字を使い分けなければならない。その上アルファベット文字も用いられている。留学生に日本語を教えていて一番気の毒に感じるのはこの使い分けである。言葉の由来を想像できないとわけられないだろう。英語のカタカナ語は英語を母語にする人にすぐに理解してもらえる気がするが、実際はアクセントや音が違いすぎて元の英語に気付いてもらえないようだ。でもこのことは日本人の学生も実は大差ないことのように思える。生まれた時から多くの外来語の物と言葉に囲まれて生きてきて、どれが元々の日本語か、外来語かなどと音だけで判断できるだろうか。それは学生に限らず、日本人すべてに言えることだろう。

  言葉は誰にとってもはじめは音である。しかしながら、成長するにつれて文字を学び、いわゆる読み書きができるようになっていく。つまり母語でさえも、しっかり学習しないと、正しく言葉を使うことはできないのだ。日本語では漢字の読み書きに加え、カタカナ語の意味を正確に把握する必要がある。カタカナ語検定なんてどうでしょう。

  英語を教えていて、英語と日本語の間を行ったり来たりしていると、言葉遣いのちょっとした違いが気になってしようがない。一種の職業病かも。そのため増々重くなっていくのでしょうか、私の電子辞書依存症!

2013年6月 6日 (木)

【第282回】 「倫理」という授業中村 裕行 (地歴・公民)

 私は、4月初めの授業で、よく生徒達にこんな質問をします。

 「サザエさんの家を訪ねてきたお客様からいただいたお土産をあけてみると、イチゴのショートケーキが5つ入っていました。サザエさん一家は、サザエ(本人)、波平(父)、舟(母)、マスオ(夫)、カツオ(弟)、ワカメ(妹)、タラオ(長男)の7人家族です。さて、ケーキをどのように分けたらよいでしょうか?」

 初めはポカンとしている生徒達も、時間が経つにつれて頭を働かせ始めます。

 ある生徒は、「7分の5ずつ分ければいい」と答えました(数字に強い生徒かな?)。でも、ショートケーキを7分の5ずつ分けるのは大変そうです。また、5つのイチゴはどうするのでしょうか。

 別の生徒は、「ジャンケンで負けた2人が我慢する」と答えました。さらに別の生徒は、「女性や子供は甘いものが好きだから、波平とマスオが我慢すべきだ」と答えました。

 それでも、「カツオにケーキをあと2つ買ってこさせ、みんなで仲良く1つずつ食べる」とか、「大人が我慢して、イクラちゃん(いとこの子)やタマ(飼い猫)にも分けてあげればよい」という珍解答(?)には感心させられました。

 ところで、こんなバカげた質問や答えがとびかう授業とは、何の授業でしょうか?

 正解は、「倫理」です。倫理とは、「人の踏み行うべき道」をさします。 大げさな言い方をすれば、人の生き方や社会の在り方、徳や正義とは何か、などを考える授業です。決して答えは1つでなく、考え方は様々です。

 とかく白黒や○×をはっきりさせたがる中にあって、グレー(灰色)や△のゾーンは大切だと考えます。そこには、1つでは片付けられない色々なグレー、様々な△が存在します。たとえば、人の生き死にもそれぞれの社会(国)が決めていることで、人工授精や中絶の是非、臓器移植や安楽死の是非など、その考え方は様々です。

 マイナーな授業ではありますが、「倫理」は私にとって大切な、そして大好きな授業です。これからも感受性豊かな生徒達から柔軟な発想を引き出し、共に考えていければ幸いです。