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2011年10月 6日 (木)

【第202回】 ある日のつぶやきS. N. (英語)

生徒A:英語なんかしゃべれんでもいいわ。日本人やもん。必要ないし。
生徒B:日本から出ることないし、海外なんか行かんもん。英語知らんでも生きていける。

英語の授業時間に生徒からよく聞く言葉だ。今や英語はもちろんのこと、他の言語も話せることが求められようとしている。2013年度から、文科省の学習指導要領が変わり、英語で授業を行う試みがなされる。これに伴い、今までの文法、読解力中心の授業からコミュニケーションツールとしての英語を身につける授業に方向転換がなされるであろう。日本語だろうが、英語だろうが、中国語、韓国語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、etc. だろうが、すべての言語は、意思疎通のための手段にすぎないのだ。そして、その言語を使うのは、とりもなおさず、人間なのだ。世界中どこへ行っても、人種や肌の色は違っても、同じ人間なのだから、基本的な人の感情は言葉が無くても、案外分かりあえるものである。怒っているとか、喜んでいるとか、悲しんでいるとかは、人間共通の感情だからだ。しかし、自分の意志や考えを相手に伝えたいと思ったら、お互いの共通言語で話さなければ通じない。そこで、世界共通の言語である英語を身につける必要があるのだ。

以前、スペインに旅行したとき、英語は一般の人々には通じないが、駅でロッカーから荷物が取り出せず困っていたとき、しきりと英語で訴えていたのを聞きつけた人が、英語のわかる係員を呼びに行ってくれて事なきに得たことがあった。ともあれ、英語は世界で通用する言語なのだ。残念ながら日本語ではないということだ。だから、私たち日本人は、世界の人とわかり合うために英語を知る必要があるのだ。

残念なことに、生徒たちと同じような考えを持つ人は案外多いものだ。実に、気の毒に思う。なぜなら、自らに、自分の世界観を狭めているようなものだからだ。内側だけを見ていたのでは、外側のことがわからない。外側の世界を知れば、内側の世界が良く見えてくるものだ。日本の国の素晴らしさ、日本人の良さが認識されると同時に、世界と向き合っていくために日本人が獲得しなければならないことも見えてくるのだ。そして、初めて世界に通用する日本人になれるのだと思う。

これからの日本を、世界を背負って立っていく若い生徒たちに、もっと視野を広げて、グローバルな思考を身につけていって欲しいものだ。

(ある日の英語の授業から)

追記:

身の回りには案外英語があふれている。電車やバスの中のアナウンス、街中の表示案内板、観光名所の案内パンフレット、等など、探せばあちこちにあるものだ。何も、高額の英会話教材を買わなくても、いたる所に教材は転がっている。ちょうど、読書の秋、いい季節でもある。街中を散策しながら、『英語』を見つけてみませんか。